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牧師だより

日本聖公会京都教区「教区報:つのぶえ」

  2020年11月 「忙しいでしょう」
イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」(マルコによる福音書5章34節)
 普段教会と幼稚園に勤務していて、誰かに言われるたびに自分の行動を反省してしまう言葉があります。それは「忙しいでしょう」、「お忙しいのに」といった言葉です。
 確かに平日は幼稚園の園長として、土日は教会の牧師として働いていますと、そう見えるのでしょう。またわたし自身特に日曜日には落ち着きなくウロウロしていますので、忙しそうに感じるのかもしれません。
 マルコによる福音書5章21〜43節には「ヤイロの娘とイエスの服に触れる女」といういやしの物語が書かれています。ある日のこと、イエス様が岸に着かれると大勢の群衆がそばに集まってきました。その中にいた一人、会堂長のヤイロがイエス様の足元にひれ伏し、娘をいやしてほしいと願います。イエス様はその願いを聞き、ヤイロの家へと向かいます。
 大勢の群衆もイエス様に従ってついていきました。その群衆に紛れて、12年間も出血の止まらない女性がいました。彼女はこのように考えます。「この方の服にでも触れればいやしていただける」と。
 彼女は後ろからイエス様の服に触れ、彼女の病気はいやされます。しかしここで物語は終わりませんでした。
 自分の内から力が出て行ったことに気づいたイエス様は、誰が自分の服に触れたのかと振り返ります。女性は震えながらすべてをありのまま話しますが、その女性に対し、イエス様はこのように語られます。
 「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」。
 イエス様は女性に対し、「あなたの信仰」と言われました。ではこの「信仰」とは一体何なのでしょうか。
 大勢の群衆と共に、会堂長ヤイロの家に向かうイエス様。その様子は誰からも「忙しそう」に見えたでしょう。しかし彼女はそれでもイエス様にすがりつきました。そうするしかなかったのです。そしてイエス様はその彼女の姿勢、信仰を良しとされたのです。
 牧師は人間ですから、忙しく思われたくなくても忙しく見えてしまうときがあるでしょう。わたしもそうです。
 しかし神さまは、どんなに忙しくてもあなた一人のために振り返り、言葉をかけてくださいます。だからわたしたちは、安心して神さまと共に歩むことができるのです。

バナースペース

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