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牧師だより

奈良基督教会「教会報:シオンの丘」

  2021年3月
 2020年4月から奈良基督教会に遣わされ、もうすぐ一年になろうとしています。この一年を振り返ってみると、わたしたちはこれまで教会が経験しなかった大きな出来事に直面しました。新型コロナウイルスの感染拡大は、わたしたちが大切にしていた「食卓を共に囲む交わり」を根底から崩し、「礼拝休止」という苦渋の決断を強いられることになりました。そして2021年1月には11の都府県に緊急事態宣言が発令され、現在もわたしたちは大きな不安の中にあります。
 この現状の中で、わたしたちが見失ってはならないもの。それは何でしょうか。
 聖書を一箇所、引用したいと思います。マルコによる福音書1章40〜42節です。
 さて、重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。
 これはわたしたちが普段用いている「新共同訳聖書」の訳です。「重い皮膚病」とはどういう病気なのか、解説がないとなかなか伝わらないかもしれません。2018年に日本聖書協会から新しい翻訳の聖書が発行されました。その「聖書協会共同訳」の訳によると、「重い皮膚病」は「規定の病(きていのやまい)」となっています。ますますわかりづらいと感じる方も多いでしょう。
 旧約聖書のレビ記には、「清い」、「汚(けが)れている」という表現が何度も出てきます。こういうことをして汚れてしまったときには、こういう献げ物をして清くなりなさいとか、こういうものに触れてしまったら汚れてしまうから気をつけなさいとか、そういう記述が数多く見られます。
 2000年前のユダヤにおいて、「重い皮膚病」にかかっているとされた人たちは、人々から「汚れている」とみなされていました。「重い皮膚病」の人と会話をしたり、食事をしたり、触れることにより、その「汚れ」がうつってしまうと考えられていました。だから人々は、「重い皮膚病」の人たちと関わろうとはしませんでした。また「重い皮膚病」の人たちは、近くに人が来たら「わたしたちは汚れている」と叫ぶように命じられていました。
 イエス様が「重い皮膚病」を患う人に対しおこなったこと、それは単なる身体的な「癒し」の行為ではありません。人々から遠ざけられ、排除され、虐げられ、無視されていた彼を、深く憐れみ、彼に手を差し伸べ、触れ、言葉を掛けられたのです。
 今わたしたちは、共に食卓を囲むことが許されず、人との接触をなるべく避けるようにと言われています。その中で孤独を感じ、寂しい思いを持たれる方も多いことでしょう。しかしイエス様は、憐れみを乞う人に手を差し伸べられる方です。「触れると汚れる」とされていた「重い皮膚病」の人に触れたように、わたしたちにいつも寄り添ってくださいます。イエス様とわたしたちの間には、ソーシャルディスタンスなどありません。イエス様とわたしたちとは密なのです。
 これから先のことは、今のわたしたちにはわかりません。しかし一つだけ確かなこと、それは、イエス様はいつもわたしたち一人ひとりと共におられるということです。そのことを信じ、共に祈りつつ、希望をもって歩んでまいりましょう。

バナースペース

勤務地:日本聖公会 奈良基督教会
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TEL 0742-22-3818

牧師:司祭マタイ古本靖久
副牧師:司祭エレナ古本みさ