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牧師だより

奈良基督教会「教会報:シオンの丘」

  2020年6月
求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。(マタイによる福音書7章7節)
 この四月より、奈良基督教会の牧師として遣わされております古本靖久と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
 とは言いましても、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために、なかなか皆さんとお会いする機会が与えられておりません。このシオンの丘が発行されるときにも、どのような状況になっているかは、誰にもわかりません。その中で、自己紹介を兼ねて原稿執筆を依頼されました。そこで「わたしが好きな聖句」をご紹介することで、少しでも身近に感じていただけたらと思います。
 最初に書いたマタイ7章7節の言葉に初めて出会ったのは、中学1年のときでした。ミッション系の学校に通っていたのですが、その入り口に大きく、「求めよ、そうすれば、与えられるであろう」と書いてありました。当時使っていた口語訳聖書の言葉ですが、正直そのときには「なんと気前のいい神さまもいたもんだ」と思ったものです。何でも願えばすべてかなえてくれる。そんな魔法のランプのような神さまがそばにいてくれたらどんなにいいだろうか。
 といいますのも、当時のわたしは神さまは怖いものだと思っていたからです。仏壇と神棚のある“普通の”家庭に育ったわたしは、よく母親からこんなことを言われていました。「そんなことをすると、神さまに○○○○○○!(○○の中には適当な言葉を入れてみてください)」。だから、「求めよ、そうすれば、与えられるであろう」と言ってくれる神さまって、新鮮だし、魅力的に映ったわけです。 それからしばらくして、わたしは教会に通うようになります。しかしそのときに感じたのは、祈っても、祈っても、思うようにならないことの多さでした。求めても与えられないことがこんなにある現実に、すごくショックを受けたことを思い出します。
 それからいろんなことがあり、わたしは十数年もの間、教会から離れていました。毎日好き勝手に生きていて、それなりに楽しい日々を過ごしていました。しかし病気で入院したことで、自分は孤独だということに気づかされます。そのときに、心から思いました。「神さま、ごめんなさい。どこにいるんですか」。そのように必死で祈りました。祈りの中で、感じました。神さまはどこにも行かれてはいないということ。そしてずっと一緒にいてくださっていたことを。
 その経験が、わたしの信仰の源です。神さまを求めたときに、必ず神さまは平安を与えてくださる。そのことを、皆さんと分かち合いたい。その思いを抱きながら、わたしは牧師として歩んでいます。
 皆さんと一緒に礼拝堂に集まり、大きな声で聖歌を歌い、共に語り合う日を心待ちにしています。たとえその日が遠かったとしても大丈夫です。神さまは共にいてくださいます。

バナースペース

勤務地:日本聖公会 奈良基督教会
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〒630-8213
奈良市登大路町45

TEL 0742-22-3818

牧師:司祭マタイ古本靖久
副牧師:司祭エレナ古本みさ