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牧師だより

桃山基督教会「教会報:葡萄の樹」

  2017年7月
わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。(二コリ4:18)
 去る5月14日の日曜日、わたしたち桃山基督教会では「伝道開始百年・礼拝堂聖別八十周年」の記念礼拝および祝会がおこなわれました。当日はお天気にも恵まれ、たくさんの方々に出席いただいたこと、本当に感謝しております。
 今から百年前に京都聖ヨハネ教会から分かれた小さな共同体が、20年後には立派な礼拝堂を建て、そして今に至るまで神さまを賛美し続けています。その中にはたくさんの苦労があったことでしょう。そして何よりも神さまのお導きがあったからこそ、わたしたちはこうして信仰を継承しているのだと思います。
 しかし、神さまのお導きは、はっきりと示されないこともあります。右に行けばよいのか、それとも左なのか、不安になることもしばしばです。
 昔、船に乗っている人たちは、夜は星の明かりで方角を確かめていました。どこに向かえばいいのか、星に導かれて行動をしていました。
 今、わたしたちが住んでいる場所で夜空を見上げても、星を見ることはなかなかできません。でもそれは、星がなくなってしまったのではなく、星を見えなくしているものがあるからです。周りの明かりがそこにあるはずの星の光を覆い隠してしまっているのです。
 わたしたちはときに、神さまが何を示されているのかわからずに、途方に暮れてしまうことがあります。しかしここで、よく考えてみたいと思います。神さまが、そこからいなくなってしまったのだろうかと。
 そうではなく、何かが邪魔をして、神さまの姿を見えなくさせてしまったのはないでしょうか。
 様々な思い煩い、不安、疑い、恐れ。それらの思いがわたしたちの目にフィルターをかけ、神さまからわたしたちを引き離そうとしているのかもしれません。星がまったく見えない中、闇雲に船を進めたとしても、目的地には着かないのです。
 そのようなときにこそ、思い出してほしいと思います。星は間違いなくあるということを。そしていつかきっと雲は晴れ、導いてくれるのだということを。
 神さまがわたしたちに伸ばされた手が見えなかったとしても、神さまは必ずわたしたちをつかまえていてくださいます。見えないその手に目を注ぎ、その手に導かれてこれからも歩んでまいりましょう。

バナースペース

勤務地:日本聖公会 奈良基督教会
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〒630-8213
奈良市登大路町45

TEL 0742-22-3818

牧師:司祭マタイ古本靖久
副牧師:司祭エレナ古本みさ