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牧師だより

桃山基督教会「教会報:葡萄の樹」

  2017年1月
だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。(コリントの信徒への手紙二 4章16節)
 最近、自分も年だな、と思うことが増えてきました。少し運動をしただけで息切れ。たったひと晩の睡眠不足によって延々と続く体調不良。風邪がなかなか治らない。若い頃には感じることのなかった衰えを、日々思い知り、意欲をなくしてしまいます。明日のことを思い煩うなというイエス様の言葉が、頭の上を素通りすることもしばしばです。
 コリントの信徒に宛てた手紙の中で、使徒パウロは「わたしたちは落胆しません」と書きます。「外なる人」である肉体は衰えていきます。そして最終的に、だれもが死を迎えることは、今も二千年前も変わりません。しかし彼は言うのです。「わたしたちは落胆しません」と。それは、わたしたちの「内なる人」が、日々新たにされるからです。
 新たにされるとは、若返るとかきれいになるとか、そういうことではありません。一新されるという意味です。いままでになかったようなものに変えられるということです。
 わたしたちはどうしても、自分の目に見えているものを大切にしようとします。自分の肉体、お金や財産などの所有物、地位や名誉などです。しかしそれらのものにしがみつくことは、わたしたちが「外なる人」として生きることを意味します。見えるものに固執することで、衰えがもたらす恐怖と戦い続けなければならないのです。
 そうではなく、わたしたちキリスト者は見えないものに目を注ぐのです。どうすれば、そのようなことができるのでしょうか。
 福音の光は、身の回りのたくさんの物を抱えている間は、わたしたちのもとに届かないでしょう。自分の力に頼り、自分で歩いていこうとすると、そのかすかな光に気づけないのかもしれません。
 しかし神さまの憐みを求め、その愛を必要とするときに、わたしたちは新たな者として生かされます。外なる人は衰えていきます。しかしそのことによって、わたしたちは神さまからの大きなお恵みに気づかされるのです。
 「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。」
 この年間聖句をおぼえ、神さまにすべてをお委ねしましょう。神さまはわたしたちを愛しておられます。

バナースペース

勤務地:日本聖公会 奈良基督教会
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牧師:司祭マタイ古本靖久
副牧師:司祭エレナ古本みさ