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牧師だより

桃山基督教会「教会報:葡萄の樹」

  2016年7月
話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。 (ルカによる福音書24:15)
 先日一人で歩いていた時のことです。人通りのまばらな広い道だったのですが、後ろから「助けて、手伝って」という声が聞こえてきました。後ろを振り返ると、杖をついたおばあさんが一人、道端に座り込んでいました。
 わたしともう一人、40代位の女性が駆け寄り声を掛けます。「大丈夫ですか?」。話を聞くと買い物に出かけたものの、帰り道でしんどくなったとのこと。一緒に家まで帰ってくれないでしょうか、とおばあさんは頼みます。
 一緒に駆け寄った女性は仕事で反対方向に向かうというので、わたしはおばあさんと歩くことにしました。手をつないで、ゆっくりと歩きだします。おばあさんの家はいつも通る道の途中にあります。「大体五分くらいの距離だなあ」と思いつつ、歩みを進めていきました。
 歩く途中に、いろいろな話をしました。お互いのこと、地域のお祭りの話。途中で何度も縁石に座り込み、また立ち上がるということを繰り返しながら、ゆっくりと歩く。
 なかなか前には進まないけれども、不思議なことに、一緒に歩くことがだんだん心地よくなってきました。そしていつの間にか、「おばあさんは今、座ろうとされているな」とか、「そろそろ立ち上がろうとされているな」というのがわかるようになってきました。
 5分の距離を20分くらいかけて歩きましたが、何物にも代えられない、とても豊かな時間のように感じました。
 聖書の中には、病気の人や助けを求める人たちがイエス様の元へと向かう記事があります。その一方で、イエス様の側から声を掛けられた物語も数多くあります。
 弟子の召命、サマリアの女性やザアカイとの会話、そしてエマオでの出来事。
 イエス様がわたしたちの元にきてくださる。そして共に歩いてくださる。そう聞くと、わたしたちはイエス様に置いていかれないように、必死についていかないといけないように感じるかもしれません。
 しかしそうではないのですね。イエス様はわたしたちの歩みに合わせて歩き、疲れたときには一緒に腰かけ、もう歩けないときには背負ってくださいます。そのことをイエス様は、わたしが出会ったおばあさんを通して教えてくれたように思います。
 おばあさんと二人で歩いていたとき、イエス様も一緒に歩かれていました。

バナースペース

勤務地:日本聖公会 奈良基督教会
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TEL 0742-22-3818

牧師:司祭マタイ古本靖久
副牧師:司祭エレナ古本みさ