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日ごとの聖書

ショートメッセージ 〜2026年9月21日〜30日

9月 21サムエル記上231528
サウルは山の片側を行き、ダビデとその兵は山の反対側に行った。ダビデはサウルを引き離そうと急いだが、サウルとその兵は、ダビデとその兵を捕らえようと、周囲から迫って来た。
(サムエル記上23章26節)
サウルの子ヨナタンはホレシャにいるダビデのもとに行き、ダビデを励ましました。よく父であり王であるサウルの目を盗んで行けたものだと思いますが、それぞれの従者が活躍したのかもしれません。
ヨナタンとダビデは互いに愛し合い、契約を結んでいました。しかし聖書の中で二人が出会うのは、ここが最後になります。ヨナタンは王の子でありながらダビデに対し、「イスラエルの王になるのはあなただ」と告げます。
ダビデはジフの荒れ野ホレシャに留まりますが、ジフの人々はギブアに上り、サウルにダビデのことを報告します。それを聞いたサウルはダビデを追跡しますが、ペリシテ人が攻めてきたので国に戻ります。しかしこれからも、サウルの執拗な追跡は続いていきます。
9月 22サムエル記上2417
 途中、羊の囲い場の辺りにさしかかると、そこに洞窟があったので、サウルは用を足すために入ったが、その奥にはダビデとその兵たちが座っていた。
(サムエル記上24章4節)
23章でサウル王は、ダビデを追い詰めました。しかしペリシテ人が国に攻め入ったと聞き、ダビデを追うことをやめていました。しかしペリシテ人を追い払った後、またサウルはダビデとその兵を追います。
この執念は、一体どこからくるのでしょうか。ただこのときすでにサウルは神さまから見捨てられ、その祝福はダビデに移っていました。サウルはダビデとその兵がいる洞窟に用を足すために入りますが、それは神さまが仕組んだことだったのでしょう。
しかしダビデは、その場でサウルを殺害することを良しとしませんでした。腐っても鯛と言いますが、サウルは王として油注がれた者です。そのように「聖別」された人物の手をかけてはならない、そう考えてダビデはサウルの上着の端をひそかに切り取ります。
9月 23サムエル記上24816
主が裁き手となって、わたしとあなたの間を裁き、わたしの訴えを弁護し、あなたの手からわたしを救ってくださいますように。」
(サムエル記上24章16節)
ダビデのそばには、400名もの人たちが集まっていました。その人たちはダビデの兄弟や父の家の者だけではなく、困窮している者、負債のある者、不満を持つ者でした(22章1〜2節)。つまり王であるサウルのことをよく思っていない人が多くいたわけです。
洞窟にサウル王が用を足しに来たことは、彼らにとって千載一遇のチャンスでした。しかしダビデは兵がサウルを襲うのを許しません。それどころか洞窟を出たサウルに対してひれ伏し、サウルに語りかけるのです。
ダビデは自分の身の潔白を語り続けます。しかしこのダビデの言葉をよく見ると、「神さまはもうわたしの味方になっている」というニュアンスが所々に見られます。上着の端を切り取られても気づかなかった事実を知り、サウルは何を思ったのでしょうか。
9月 24サムエル記上241723
今わたしは悟った。お前は必ず王となり、イスラエル王国はお前の手によって確立される。
(サムエル記上24章21節)
ダビデの言葉を聞いて、サウルは怒ることなくその状況を受け入れました。洞窟でダビデに引き渡されそうになったことも神さまのみ心だとすると、もうサウルはどうすることもできないのです。サウルは自分の悪意を認め、声をあげて泣きました。
サウルはダビデこそがイスラエル王国を確立させる王となることを悟り、ダビデに対して「主によってわたしに誓ってくれ」とまで言います。ダビデに完全に負けたことに気づかされ、心から悔いているのです。
しかしここで終わらないのが、聖書の物語です。果たしてサウルはダビデを追うことをあきらめたのでしょうか。その結果は5日後くらいに読む箇所で判明します。どうぞ、お楽しみに!
9月 25サムエル記上25111
 ナバルはダビデの部下に答えて言った。「ダビデとは何者だ、エッサイの子とは何者だ。最近、主人のもとを逃げ出す奴隷が多くなった。
(サムエル記上25章10節)
1節で唐突に、サムエルの死が語られます。サムエルが最後に出て来たのは19章でした。サムエル記上は31章まで、さらにサムエル記は下巻もあるというのに、そのタイトルの人物は早くもここで亡くなってしまうのです。
全イスラエルがサムエルの死を悼みました。その中にはダビデだけではなく、サウルもいたことでしょう。そしてダビデは、パランの荒れ野に下っていきました。そこで、ナバルという男が羊の毛を刈っていると聞きます。
ダビデは自分の従者が厚意にあずかれるようにナバルに願います。ただ丁寧に言っていますが、要はあなたの財産をわたしたちに分け与えよということです。ナバルはその申し出に対して怒ります。当たり前かもしれませんが。
9月 26サムエル記上251222
御主人にも、この家の者全体にも、災いがふりかかろうとしている今、あなたが何をなすべきか、しっかり考えてください。御主人はならず者で、だれも彼に話しかけることができません。」
(サムエル記上25章17節)
ヘブライ語で「愚か者」のことを、「ナーバール」と言うそうです。ナバルはダビデの申し出を拒否しました。それは「愚か」だということでしょうか。ナバルの回答に怒ったダビデは兵を率いて、ナバルに属する男をみな殺しにしようとします。
ただここで、二人の人物が戦いを回避させるために動きます。一人はナバルの従者の一人です。彼は完全にダビデを善、ナバルを悪として、ナバルの妻アビガイルに何をなすべきか考えるようにと進言します。
そしてもう一人、アビガイルはそれを聞き、急いでパンやぶどう酒、料理などを用意します。彼女は、ダビデの兵が自分たちを守っていることを知っていたからこのようにしたのでしょう。またナバルの態度に普段から我慢ならなかったのかもしれません。
9月 27サムエル記上252334
 ダビデはアビガイルに答えた。「イスラエルの神、主はたたえられよ。主は、今日、あなたをわたしに遣わされた。
(サムエル記上25章32節)
アビガイルはダビデを見るとひれ伏し、長々と弁明を述べます。ナバルによってもたらされたダビデの怒りを、ナバルの妻アビガイルが収めようとするのです。このような妻がいると、とても心強いですね。
ただしアビガイルは、「夫ナバルを助けるため」という思いでやったのではないようです。それよりも従者や財産を守りたいという思いが強かったのでしょう。またダビデのことを、「主によって遣わされた方」だと認めていたようです。
ダビデは相当頭に血が上っていました。しかしアビガイルの言葉を聞き、神さまの思いに気づかされます。そのままでは多くの血が流されていたでしょうが、アビガイルの行動によってそれが回避されたのです。
9月 28サムエル記上253544
翌朝、ナバルの酔いがさめると、彼の妻は成り行きを話して聞かせた。ナバルは意識を無くして石のようになった。
(サムエル記上25章37節)
ダビデとアビガイルが会ったことなど露知らず、ナバルは上機嫌でした。ダビデは尻尾を巻いて逃げたに違いないと思ったのかもしれません。アビガイルが帰ったとき、ナバルは宴会を催していました。
その宴会は、「王の宴会にも似た」と形容されています。ナバルは分不相応なことをしてしまったのかもしれません。アビガイルは翌朝、ダビデとの出来事をナバルに話します。それを聞いたナバルは意識を無くし、10日ほど後に主に打たれて死んでしまいます。
ダビデを侮辱したナバルは、神さまによって命を落としました。そのことは、ダビデが主に選ばれた者だということを人々にも知らしめたことでしょう。そしてダビデは、殊勲の女性アビガイルを自分の妻として迎え入れます。
9月 29サムエル記上26111
 ダビデはアビシャイに言った。「殺してはならない。主が油を注がれた方に手をかければ、罰を受けずには済まない。」
(サムエル記上26章9節)
24章で和解したかのように見えたサウルとダビデですが、聖書はまた同じような物語を語ります。ダビデの居場所を告げられたサウルが、自分の兵を率いてダビデを捜すという物語です。
ただ24章のときと違い、今回ダビデはアビシャイと共にサウルの元に行きます。彼らはサウルとその軍の司令官アブネルが寝ている場所を見つけ、自分たちの意思でそこに向かうのです。ダビデたちは夜になってサウルの兵士たちに近づきました。
すると不思議なことに(その理由は明日わかります)、兵士も司令官アブネルも、そしてサウルも眠り込んだままでした。そこでアビシャイは、サウルの殺害を提案します。しかし24章同様、ダビデは主が油を注いだ方に手をかけてはならないと立ち去ります。
9月 30サムエル記上261220
 お前の行いは良くない。主は生きておられる。お前たちは死に値する。主が油を注がれた方、お前たちの主人を守れなかったからだ。さあ、枕もとの槍と水差しがどこにあるか見てみよ。」
(サムエル記上26章16節)
ダビデにはサウルを殺害する機会がありましたが、「主が油を注いだ方」に手をかけることはしませんでした。その代わりにサウルの枕もとから、槍と水差しを取って立ち去ります。神さまがサウルたちに深い眠りを与えたために、全員が眠り込んでいました。
そしてダビデは遠く離れた山の頂に立って、アブネルに向かって呼ばわります。アブネルはサウルの軍の指揮官です。王を守るのが、大切な任務です。しかしダビデが言うように、サウルの枕もとには槍と水差しはそこにありませんでした。
そのやり取りを聞いていたサウルは、その声がダビデのものだと気づきます。そのサウルに対し、ダビデは「わが主君、王よ」と繰り返します。この言い方は少し嫌味にも聞こえますが、ダビデの心の中には「いい加減にしてくれ」という思いもあったでしょう。

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