
| 8月 11日「サムエル記上13:8〜18」 | ||||
| サウルは、「焼き尽くす献げ物と和解の献げ物を持って来なさい」と命じて、焼き尽くす献げ物をささげた。 (サムエル記上13章9節) |
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| サウルは王として、イスラエルの人たちをまだ束ね切れていなかったのかもしれません。特に軍隊は、いわゆる義勇兵のような状態だったのでしょう。兵士たちはペリシテ人を恐れ、サウルから離れていきます。 | ||||
| このようなときにイスラエルは、「主の力」に頼ってきました。今回もサウル王は、サムエルを呼びます。しかしサムエルは七日経ってもサウルのいるギルガルに来ませんでした。しびれを切らしたサウルは、「してはいけないこと」をしてしまいます。 | ||||
| サウルには王として民を導く権威は与えられていました。しかし祭司としての働きは、サムエルにしか与えられていなかったのです。それなのに焼き尽くす献げ物を自分でささげてしまったサウル。そのおこないは、許されないことでした。 | ||||
| 8月 12日「サムエル記上13:19〜23」 | ||||
| それで、イスラエルの人が鋤や鍬や斧や鎌を研いでもらうためには、ペリシテ人のところへ下るほかなかった。 (サムエル記上13章20節) |
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| 13章の最後には、ペリシテ軍とイスラエルの人々の状況が語られます。当時の戦いで用いられていた剣や槍は、ペリシテ人の鍛冶屋が一手に扱っていたようです。ヘブライ人というのは、イスラエルの人々のことです。 | ||||
| つまり簡単に言うと、ペリシテ人とケンカをすれば剣や槍といった武器はもちろんのこと、鋤、鍬、斧、鎌といった農作業や日常生活で必要なものさえ使えなくなってしまうということです。ヨナタンはどうしてそんな相手に、戦いを挑んだのでしょうか。 | ||||
| ただここで聖書が言いたいのは、ヨナタンの無鉄砲さではありません。それほどまでの苦境に陥った中で、イスラエルはどう戦っていったのかということです。そしてそこには、神さまの導きがあったということが大事。それが次の14章に書かれていきます。 | ||||
| 8月 13日「サムエル記上14:1〜5」 | ||||
| ある日、サウルの息子ヨナタンは自分の武器を持つ従卒に言った。「さあ、渡って行き、向こう岸のペリシテ人の先陣を襲おう。」ヨナタンはこのことを父に話していなかった。 (サムエル記上14章1節) |
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| ここで突然、物語はヨナタンを中心にして進んで行きます。ヨナタンはサウルの息子でした。彼は600人の兵士を率いており、そこにはアヒヤやイカボドといった兵士もいたようです。 | ||||
| ヨナタンは自分の武器を持つ従卒に向かって言います。「さあ、向こう岸のペリシテ人の先陣を襲おう」と。戦いに勢いをつけるために先手を打とうというのです。ただし、ヨナタンと従卒は、兵士たちに気づかれないうちに出て行ったようです。 | ||||
| ヨナタンはサウル王の息子ですから、王子ともいえる人物です。そのような人物が、従卒だけを連れて先陣を襲おうとしているのです。無謀といえば無謀なのですが、その行動には大きな理由があります。それが何なのかは、明日以降読んでいきましょう。 | ||||
| 8月 14日「サムエル記上14:6〜15」 | ||||
| もし、『登って来い』と言えば、登って行くことにしよう。それは、主が彼らを我々の手に渡してくださるしるしだ。」 (サムエル記上14章10節) |
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| ヨナタンと従卒は、二人だけでペリシテ軍の先陣に向かいます。その背景には、主への大きな信頼がありました。「主が我々二人のために計らってくださるにちがいない。主が勝利を得られるために、兵の数の多少は問題ではない」。 | ||||
| ヨナタンはペリシテ軍の先陣の兵士がどう対応するかによって、主のみ心を探ります。このあたりのやり取りは、今のわたしたちにはなかなか理解しがたいことです。しかしヨナタンは、このときに主のみ心を確信したのです。 | ||||
| ヨナタンと従卒は、ペリシテ軍の兵士を20人ほど討ち取ります。その数はペリシテ軍の中ではほんのわずかかもしれませんが、彼らの中には恐怖が渦巻きます。敵が目に見えないからこそ、皆うろたえたのです。 | ||||
| 8月 15日「サムエル記上14:16〜23」 | ||||
| サウルはアヒヤに命じた。「神の箱を運んで来なさい。」神の箱は当時、イスラエルの人々のもとにあった。 (サムエル記上14章18節) |
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| 混乱するペリシテ軍の様子が、サウルの見張りに伝わります。サウルはなぜそのような状況になったのか、理解できなかったことでしょう。点呼を取ってみると、ヨナタンとその従卒がいませんでした。 | ||||
| サウルは、「ヨナタンが何かしたに違いない」と気づいたと思います。それが具体的にどういうことなのかは分からなかったとしても、ペリシテ軍が混乱に陥っている状況が目の前にあるのです。このチャンスを逃す手はありません。 | ||||
| サウルの兵士も出撃しますが、ペリシテ軍は混乱の中で同士討ちまで始めていました。誰が味方で誰が敵かさえ、分からなくなったのでしょう。こうしてヨナタンの策はうまくいきました。そしてその背後には、主のご計画があったのです。 | ||||
| 8月 16日「サムエル記上14:24〜30」 | ||||
| 兵士が森に入ると蜜が滴っていたが、それに手をつけ、口に運ぼうとする者は一人もなかった。兵士は誓いを恐れていた。 (サムエル記上14章26節) |
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| 十戒には、「誓ってはならない」という掟があります。しかし旧約聖書にはたびたび、神さまに誓う場面が出てきます。戦いの後、自分を最初に出迎えた者を主におささげすると誓って自分の娘をささげざるを得なかったエフタの例(士師記11章)もありました。 | ||||
| サウルは、「日の落ちる前、わたしが敵に報復する前に、食べ物を口にする者は呪われよ」と誓います。兵士が飢えている中で、なぜこのようなことを誓うのでしょうか。ただ、王の誓いです。人々は恐れながら、それを守ります。 | ||||
| ヨナタンは、王である父サウルがそのようなことを誓ったということを知りませんでした。そのため、森にあった蜂蜜を何も考えずに食べてしまいます。その結果、ヨナタンの目は輝きました。ヨナタンにとって、父に誓いは的外れに思えたことでしょう。 | ||||
| 8月 17日「サムエル記上14:31〜35」 | ||||
| 兵士は戦利品に飛びかかり、羊、牛、子牛を捕らえて地面で屠り、血を含んだまま食べた。 (サムエル記上14章32節) |
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| この箇所の出来事が、日の落ちる前の出来事か、後の出来事かは書かれていません。ただ日の落ちる前であれば、サウル王の誓いはまだ生きていたはずです。しかしそこに言及がないところを見ると、日は落ちていたのでしょうか。 | ||||
| しかしここでは、もう一つの「良くないこと」が指摘されています。それは、「血をふくんだままで」肉を食べたということです。レビ記3章17節にはこうあります。「脂肪と血は決して食べてはならない」と。 | ||||
| さらに「これはあなたたちがどこに住もうとも、代々にわたって守るべき不変の定めである」と定められているのに、兵士たちはむさぼり食べています。それほどまでに、お腹が空いていたのです。サウル王の誓いは、それほど兵士たちを苦しめていたのでしょう。 | ||||
| 8月 18日「サムエル記上14:36〜37」 | ||||
| サウルは神に託宣を求めた。「ペリシテ軍を追って下るべきでしょうか。彼らをイスラエルの手に渡してくださるでしょうか。」しかし、この日、神はサウルに答えられなかった。 (サムエル記上14章37節) |
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| ペリシテ軍に大きな打撃を与えたイスラエル軍を率いるサウル王は、夜の間もペリシテ軍を追おうとします。そのときに祭司が進言します。「神の御前に出ましょう」と。神さまに託宣を求めるべきだというのです。 | ||||
| 19節にも祭司が出てきましたが、そのときは祭司との会話を途中でやめ、戦場に出て行っていました。つまりサウルはようやくこのときに、神さまのみ心を確かめようとしたわけです。 | ||||
| ところが神さまはこのとき、サウルに答えられませんでした。戦いに行って良いのかどうかもわからず、サウルは動揺します。そして気づくのです。誰かが神さまを怒らせたに違いないと。その結果は明日わかります。 | ||||
| 8月 19日「サムエル記上14:38〜46」 | ||||
| サウルはヨナタンに言った。「何をしたのか、言いなさい。」ヨナタンは言った。「確かに、手に持った杖の先で蜜を少しばかり味わいました。わたしは死なねばなりません。」 (サムエル記上14章43節) |
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| 旧約聖書の中で「くじ」は、偶然が支配する抽選道具ではありません。神さまのみ心が示されるものです。サウルは神さまが託宣に答えてくれないのをみて、きっと誰かが大きな罪を犯したに違いないと思います。 | ||||
| その罪を犯した人物を知るために、サウルはくじを用います。最初のくじは、罪を犯したのはサウルかヨナタンか、あるいはそれ以外の兵士なのかを示します。なぜそのような分け方にしたのでしょうか。 | ||||
| 結果として、最初のくじはサウルかヨナタンだと示し、そして次のくじでヨナタンが選ばれます。ヨナタンには、自覚がありました。彼は言い訳をすることなく死を受け入れようとしますが、兵士がヨナタンを救います、やはりサウルの誓いは、良くないものでした。 | ||||
| 8月 20日「サムエル記上14:47〜52」 | ||||
| サウルの一生を通して、ペリシテ人との激戦が続いた。サウルは勇敢な男、戦士を見れば、皆召し抱えた。 (サムエル記上14章52節) |
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| 昨日の場面で、ヨナタンの罪(サウルの誓いを破って蜂の蜜を食べてしまったこと)はお咎めなしになりました。ただサウルが誓った相手は神さまだったので、誰かが裁かれる可能性もあったはずです。 | ||||
| しかしサウルもヨナタンも死ぬことなく、それどころか「向かうところどこでも勝利を収めた」そうです。この結果を見ると、ヨナタンを救った兵士の思いは神さまの目には良いものだったようです。 | ||||
| サウル王は勇敢であったと聖書は書きます。このときはまだ、立派な王でした。これまでもところどころに、神さまをないがしろにするサウルの姿が書かれていました。そしてこれから先、彼の「悪行」が描かれることになるのです。 |