
| 8月 1日「サムエル記上9:21〜27」 | ||||
| サウルは答えて言った。「わたしはイスラエルで最も小さな部族ベニヤミンの者ですし、そのベニヤミンでも最小の一族の者です。どんな理由でわたしにそのようなことを言われるのですか。」 (サムエル記上9章21節) |
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| この21節の言葉を見る限り、サウルは大変謙虚です。これから先のサウルの行動を知っている方は、この言葉に少し違和感を覚えるかもしれません。王になる前の彼は、とても「いい人」だったのでしょう。 | ||||
| サウルとサムエルは、共に食事をします。この当時の食事は、とても重要な意味を持ちます。この食事によって、サウルはサムエルと主との交わりの中に加えられたとも考えられるのです。 | ||||
| もうこのときには、行方不明のろばのことはすっかり忘れられています。昨日の箇所で「もう見つかっています」と言われていますが、その言葉をすっかり信じて一晩高台で過ごしたようです。やはりサウルは「いい人」だったようです。 | ||||
| 8月 2日「サムエル記上10:1〜8」 | ||||
| サムエルは油の壺を取り、サウルの頭に油を注ぎ、彼に口づけして、言った。「主があなたに油を注ぎ、御自分の嗣業の民の指導者とされたのです。 (サムエル記上10章1節) |
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| サムエルは主が命じた通り、サウルの頭に油を注ぎ、イスラエルの民の指導者として聖別します。聖書には「メシア」という言葉が出てきますが、その言葉には「油注がれた者」という意味があります。 | ||||
| 「メシア=救い主」のようにイスラエルの民を救い、そして支配しなさいという意味がこの油注ぎにはあります。そしてサムエルはサウルに対し、この先起こるであろう出来事を予告します。 | ||||
| ラケルの墓の脇で二人の男に出会い、ベテルに神を拝みに上る三人の男に出会い、そして聖なる高台から下って来る預言者の一団に出会う。サウルはそれらの出来事を通して、自分が置かれた状況に気づかされていくのでしょう。 | ||||
| 8月 3日「サムエル記上10:9〜16」 | ||||
| そこにいた一人がそれを受けて言った。「この人たちの父は一体誰だろう。」こうしてそれは、「サウルもまた預言者の仲間か」ということわざになった。 (サムエル記上10章12節) |
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| 旧約聖書には、「預言状態になった」預言者たちが出てきます。これはいわゆる恍惚状態で、他人から見ると少し奇異に映ります。どうしてサウルは、このような状態にされたのでしょうか。 | ||||
| サウルはこれから、預言者として歩むわけではありません。王になるにあたり、神の霊がサウルにも激しく降るのだということを本人にも周りの人々にも示す、という目的があったのでしょう。 | ||||
| ただサウルがおじに出会ったとき、サウルはおじにサムエルに出会ったこととろばの話はしましたが、王位のことには一切触れませんでした。自分がそのような者になることを、まだ受け入れ切れてなかったのかもしれません。 | ||||
| 8月 4日「サムエル記上10:17〜27」 | ||||
| そこでベニヤミン族を氏族ごとに呼び寄せた。マトリの氏族がくじで選び出され、次にキシュの息子サウルがくじで選び出された。人々は彼を捜したが、見つからなかった。 (サムエル記上10章21節) |
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| 10章1節で、サムエルはサウルにすでに油を注いでいました。そのときに「王として聖別」していたはずなのに、なぜまたくじ引きをしたのでしょうか。もしくじが違う人に当たったらどうしたのでしょうか。 | ||||
| それは心配ありません。というのもこの時代、くじは神さまのみ心が示されるものだったからです。単なる「偶然」を求めるものではありませんでした。「どれにしようかな、神さまの言うとおり」なのです。 | ||||
| くじは神さまのみ心どおり、サウルに当たります。これでイスラエルの民の前で、みんなが認めた王が誕生したのです。しかしサウルはその場におらず、隠れていました。重圧から逃れたかったのでしょうか。 | ||||
| 8月 5日「サムエル記上11:1〜10」 | ||||
| 使者はサウルのいるギブアに来て、事の次第を民に報告した。民のだれもが声をあげて泣いた。 (サムエル記上11章4節) |
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| サウルは王になりました。しかし油注ぎをされ、民から「王様万歳」という声をもらったものの、まだ実績は何もありません。さらにベニヤミン族という小さな部族出身でもあったことから、ならず者はサウルを嘲っていました。 | ||||
| そのような中で、アンモン人のナハシュがギレヤドのヤベシュを包囲します。ヤベシュはナハシュに対して契約を持ち掛けますが、ナハシュは非常に侮辱的な行為を条件として提示します。それを聞いたヤベシュの長老たちは、イスラエルに救いを求めます。 | ||||
| その報告を聞いたサウルに、神の霊が激しく降ります。彼は怒りに燃えて牛を切り裂き、それを送ることによってイスラエルとユダを団結させます。側女が12の部分に切り離され、イスラエルの全土に送られた出来事(士師19:27〜30)が思い起こされます。 | ||||
| 8月 6日「サムエル記上11:11〜15」 | ||||
| しかし、サウルは言った。「今日は、だれも殺してはならない。今日、主がイスラエルにおいて救いの業を行われたのだから。」 (サムエル記上11章13節) |
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| サウルはイスラエルとユダを率い、アンモン人の陣営を打ち破ります。アンモン人は「二人一緒に生き残った者はいない」ほどの打撃を受け、ちりぢりになってしまいました。圧倒的勝利です。 | ||||
| これがサウル王として、初めておこなった戦いだったようです。そこで強さを得たサウルでしたが、「主がイスラエルにおいて救いの業を行われたのだから」と謙遜な姿勢を見せました。 | ||||
| そして嘲っていた人たちを殺すように言う民に対し、「今日は、だれも殺してはならない」と告げるのです。サムエル記上の後半では、ダビデに対する「暴君サウル」という記述が多くなりますが、このときにはまだその片鱗は見られません。 | ||||
| 8月 7日「サムエル記上12:1〜5」 | ||||
| 彼らは答えた。「あなたは我々を抑えつけたことも、踏みにじったこともありませんでした。だれの手からも何一つ取り上げたりしませんでした。」 (サムエル記上12章4節) |
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| この12章で、サムエルはイスラエルの人々に対して告別の辞を語ります。すでに彼は年老い、髪も白くなっていました。サムエルはまず、自分はイスラエルの人々を押さえつけたり、踏みにじったりしていなかったかを問います。 | ||||
| サムエルは、幼いころ仕えていた祭司エリの息子、ホフニとピネハスが犯した罪を覚えていたのかもしれません。その二人とは違い、自分は神さまの前に正しく仕えてきたはずだと語るのです。 | ||||
| そしてその語りに対して、主が証人となります。サムエルの正しさを、主が証明してくれるのです。合わせて、主が油を注がれた方も証人として用います。つまり新しい王であるサウルも、サムエルの正しさの証人とされるのです。 | ||||
| 8月 8日「サムエル記上12:6〜17」 | ||||
| 今、見よ、あなたたちが求め、選んだ王がここにいる。主はあなたたちに王をお与えになる。 (サムエル記上12章13節) |
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| サムエルは、主がこれまで何度もイスラエルを導いてきたことを伝えます。イスラエルの人たちを、主は「王として」導いてきました。ところが彼らは「人間の」王を求めたのです。それに応える形で、サウルが王として立てられました。 | ||||
| その王が主の御声に聞き従い、主の命令に背かないならそれでいいのです。しかし王が背いてしまったら主の御手が下るのだと脅します。それが人間の王を立てるということなのだと、サムエルは人々に語るのです。 | ||||
| さらにサムエルは、「自分たちのために王を求めて主の御前に犯した悪の大きかったことを知り、悟りなさい」とまで言います。聖書にはこの後、ダビデやソロモンといった王が出てきますが、そもそも王を立てるということは神さまの御心ではなかったようです。 | ||||
| 8月 9日「サムエル記上12:18〜25」 | ||||
| 主を畏れ、心を尽くし、まことをもって主に仕えなさい。主がいかに偉大なことをあなたたちに示されたかを悟りなさい。 (サムエル記上12章24節) |
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| 聖書の時代、小麦の刈り入れ時には雨がほとんど降らず、この季節に雨が降ったときは不吉だと言われていました。サムエルは昨日の箇所で、イスラエルの人たちが自分たちの罪を悟るためにそのような時期に関わらず雷と雨が下されると言います。 | ||||
| 今日の箇所でサムエルが主に呼び求めると、主は雷と雨を下されました。サムエルが言った通り、「王を求める」ということは大きな悪だったのです。それならどうしてサウルを選んだのだろうと、不思議に思いますが。 | ||||
| ただここからイスラエルは、「王国」として歩んでいくことになります。過ぎてしまったことは仕方ありません。「今後は、それることなく主に付き従い、心を尽くして主に仕えなさい」と命じられます。過去も大事ですが、未来はもっと大事なのです。 | ||||
| 8月 10日「サムエル記上13:1〜7」 | ||||
| イスラエルの人々は、自分たちが苦境に陥り、一人一人に危険が迫っているのを見て、洞窟、岩の裂け目、岩陰、穴蔵、井戸などに身を隠した。 (サムエル記上13章6節) |
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| ペリシテ人は、旧約聖書の中でイスラエルの敵としてよく出てきます。したがってイスラエルの王となったサウルは、その「敵」とどう対峙するのかが問題になっていきます。サウルが王になって一年が経った時のことです。 | ||||
| サウルにはヨナタンという息子がいましたが、彼はゲバという場所に配置されていたペリシテ人の守備隊を打ち破ってしまったようです。つまり簡単にいうと、イスラエルが「先に手を出した」ということです。 | ||||
| ペリシテ人は、イスラエルに対して憎しみを覚えます。それは当たり前だと思います。彼らは戦いを仕掛けたわけではないのに、突然攻撃を受けたのですから。イスラエルの人たちはペリシテ人の怒りを買ったことを知り、おののきます。 |