
| 5月 11日「士師記11:1〜3」 | ||||
| エフタは兄弟たちから逃れて、トブの地に、身を落ち着けた。そのエフタのもとにはならず者が集まり、彼と行動を共にするようになった。 (士師記11章3節) |
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| 士師記に限らず聖書には、様々な境遇の人が登場します。アブラハムの最初の息子イシュマエルは、妻サラの女奴隷ハガルとの間に生まれた子どもでした。そして今回登場するエフタは、遊女の子だったそうです。 | ||||
| 新約聖書には、娼婦という人たちが出てきます。遊女と同じような意味で使われるようです。娼婦は罪人や徴税人、異邦人と共に差別され、共同体の中から排除されていました。同じように遊女も差別されていたようです。 | ||||
| そのためエフタの父ギレアドの妻の子どもたちは、エフタを見下していたようです。日本的にいうと、「妾の子」ということでしょうか。そもそも父ギレアドが、欲望に負けてしまったのが原因なのですが。 | ||||
| 5月 12日「士師記11:4〜13」 | ||||
| 彼らはエフタに言った。「帰って来てください。わたしたちの指揮官になっていただければ、わたしたちもアンモンの人々と戦えます。」 (士師記11章6節) |
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| エフタは兄弟たちによって、家から追い出されていました。それは彼が、遊女の子だからです。今の社会では父親に「認知」をさせ、正式な相続人になることができますが、当時は違ったのでしょう。 | ||||
| ただ、「雑草魂」とでも言いましょうか、厳しい環境の下で生きてきた人は強いものです。彼を追い出した兄弟たちは逆に、戦うことなどまるでできなかったのかもしれません。ともかくギレアドの長老たちは、エフタに戦ってくれるように願います。 | ||||
| このときの、兄弟たちの心境はどうだったのでしょうか。長老たちはアンモン人を破ったら、エフタを頭にすると約束しました。もしそれが実現したらどんな目に合うか、ヒヤヒヤしていたことでしょう。 | ||||
| 5月 13日「士師記11:14〜28」 | ||||
| しかし、アンモン人の王は、エフタが送ったこの言葉を聞こうとはしなかった。 (士師記11章28節) |
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| 3節には、「エフタのもとにはならず者が集まり、彼と行動を共にするようになった」と書かれています。ある国の大統領が他の国のことを「ならず者国家」と呼んだことを思い出します。 | ||||
| しかしエフタはまず、アンモンの王に使者を送ります。いきなり戦いを始めるのではなく、外交的な解決を図ろうとしたのでしょう。彼はアンモンの王に対し、これまでのいきさつを伝えていきます。 | ||||
| ただアンモンの王は、エフタの言葉を聞こうとはしませんでした。その根底に、「どうせ彼は遊女の子だから」という思いもあったのかもしれません。また周りにならず者ばかりを従わせているエフタのことを、軽く見ていたのかもしれません。 | ||||
| 5月 14日「士師記11:29〜33」 | ||||
| こうしてエフタは進んで行き、アンモン人と戦った。主は彼らをエフタの手にお渡しになった。 (士師記11章32節) |
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| ここまでのエフタの物語は、極めて順調でした。彼は家を追い出されたにもかかわらず、長老の頼みで大きな仕事に向かいます。そしてアンモンの王とのやり取りの後、主の霊がエフタに臨んだのです。 | ||||
| ここでそのまま出陣していても、アンモン人には勝利したのかもしれません。しかしエフタは、主に対して誓いを立てるのです。もし勝利したなら、「わたしの家の戸口からわたしを迎えに出て来る者を主のものといたします」と誓うのです。 | ||||
| この誓いによって何が起こったのか、それは明日の箇所で分かります。ただ当時、戦いから帰って来る兵士をタンバリンや笛を持って出迎えるのは、女性の役割でした。そのことをエフタは忘れていたのでしょうか。 | ||||
| 5月 15日「士師記11:34〜40」 | ||||
| 二か月が過ぎ、彼女が父のもとに帰って来ると、エフタは立てた誓いどおりに娘をささげた。彼女は男を知ることがなかったので、イスラエルに次のようなしきたりができた。 (士師記11章39節) |
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| イエス様は山上の説教で、こう言われました。「また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない(マタイ5:33〜34)」。 | ||||
| このエフタの誓いが、神さまの怒りに触れたとは考えにくいです。しかし軽々しく誓いの言葉を口にしてしまったから、とも言えます。戦いに勝利したエフタを待っていたのは、自分の一人娘でした。 | ||||
| 彼女は父エフタの誓いを受け入れます。このあたりの感情は、なかなかわたしたちには理解できないことです。それほど神さまを畏れていた、そういうことなのでしょう。悲しみの中、娘は2か月間を過ごし、そして神さまにささげられました。 | ||||
| 5月 16日「士師記12:1〜7」 | ||||
| 「ではシイボレトと言ってみよ」と言い、その人が正しく発音できず、「シボレト」と言うと、直ちに捕らえ、そのヨルダンの渡し場で亡き者にした。そのときエフライム人四万二千人が倒された。 (士師記12章6節) |
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| エフタは、アンモン人を打ち破りました。しかしその時に主に誓ったことにより、娘を神さまにささげることになってしまいます。そんな中、エフライムの人たちが、なぜ自分たちも戦いに加えさせてくれなかったのかと、エフタに文句を言います。 | ||||
| エフライム人は「あなたの家をあなたもろとも焼き払ってやる」とまで言っているので、文句というレベルは遥かに超えています。ただ娘を亡くしたエフタには怖い者がなかったのかもしれません。 | ||||
| エフタはエフライムを打ち破ります。さらにヨルダンの渡し場を手中に収め、エフライムを逃げようとした者も捕らえます。その見極めは、シイボレトと正しく言えるかどうかでした。訛っているかどうか、ということでしょう。 | ||||
| 5月 17日「士師記12:8〜12」 | ||||
| その後、ゼブルンの人エロンが、士師としてイスラエルを裁いた。彼は十年間、イスラエルを裁いた。 (士師記12章11節) |
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| ギデオン、エフタと暴力的な士師に比べ、イブツァン、エロンという二人の士師は穏やかに紹介されます。まずイブツァンは、ベツレヘム出身だったようです。ベツレヘムというと、イエス様がお生まれになった地です。 | ||||
| 少し前に出てきた士師トラは23年間、ヤイルは22年間、士師としてイスラエルを裁きました。しかしエフタは6年、イブツァンは7年、エロンは10年と、比較的短い期間で士師が交代しています。 | ||||
| 政治の世界でも、トップが頻繁に交代することは不安定要素として語られることがあります。逆にトップがいつまでも変わらないと、権力が集中するという恐れもあります。一体、どちらがいいのでしょうね。 | ||||
| 5月 18日「士師記12:13〜15」 | ||||
| 彼には四十人の息子と三十人の孫がいて、七十頭のろばに乗っていた。彼は八年間、士師としてイスラエルを裁いた。 (士師記12章14節) |
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| 次に出てくる士師は、アブドンです。彼は8年間、士師としてイスラエルを裁きます。明日以降登場するサムソンがとても有名ですから、ここは小休止といったところでしょうか。彼も小士師の一人です。 | ||||
| 彼には40人の息子と30人の孫がおり、70頭のろばに乗っていたそうです。息子の数に驚愕しますが、この時代、子どもがたくさん与えられることは神さまの祝福のしるしでした。多少誇張はあるとしても、「祝福された士師」ということを強調しているのです。 | ||||
| 彼は死んだあと、アマレク人の山、エフライムの地にあるピルアトンに葬られます。アマレクもエフライムも、エフタの時代に争った人たちでした。どうしてそのような場所に葬られたのでしょう。 | ||||
| 5月 19日「士師記13:1〜7」 | ||||
| イスラエルの人々は、またも主の目に悪とされることを行ったので、主は彼らを四十年間、ペリシテ人の手に渡された。 (士師記13章1節) |
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| 士師記では、「またも主の目に悪とされることを行ったので」という言葉がフォーマットのように使われます。イスラエルの人たちは何度も、神さまから離れるという罪を犯してしまうのです。 | ||||
| ただここでは、イスラエルの民は助けを求めていません。40年間という長期間ペリシテ人の手に渡されているのにも関わらずです。もしかしたら彼らは、その境遇を受け入れていたのかもしれません。 | ||||
| 今回の士師物語は、神さまの一方的な思いの中で進んで行きます。主の御使いが不妊の女であるマノアの妻に現れ、子どもが生まれることを告げます。さらにその子をナジル人としてささげなさいと命じるのです。ナジル人については、明日解説しましょう。 | ||||
| 5月 20日「士師記13:8〜18」 | ||||
| 主の御使いは、「なぜわたしの名を尋ねるのか。それは不思議と言う」と答えた。 (士師記13章18節) |
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| マノアは不妊の妻から、神の人に出会ったこと、そして子どもが生まれると告げられたことを伝えます。するとマノアは神さまに祈り、もう一度神の人を送って欲しいと願います。妻の言うことだけでは信じることができなかったのでしょうか。 | ||||
| 主の御使いは再びマノアの妻のところに現れます。妻は急いでマノアを呼び、今度は二人そろって主の御使いの言葉を聞きます。そしてその子をナジル人として育てるようにと再度告げるのです。 | ||||
| ナジル人とは、「分離された者」という意味です。ぶどう酒や強い飲み物を遠ざけ、また汚れた物も食べない。洗礼者ヨハネを思い出します。しかし読み進めていけば分かりますが、サムソンは決して「清い」とは言えない生活を送ります。それは「不思議」です。 |