
| 2月 11日「ヨシュア記13:8〜14」 | ||||
| ただ、レビ族には嗣業の土地は与えられなかった。主の約束されたとおり、イスラエルの神、主に燃やしてささげる献げ物が彼の嗣業であった。 (ヨシュア記13章14節) |
||||
| ここでは、ヨルダン川東側の土地について書かれています。その中に「バシャンのオグの王国全体」という記述があります。バシャンのオグについては、申命記にこのように書かれています。 | ||||
| 「バシャンの王オグは、レファイム人の唯一の生き残りであった。彼の棺は鉄で作られており、アンモンの人々のラバに保存されているが、基準のアンマで長さ九アンマ、幅四アンマもあった。(申命記3章11節)」 | ||||
| レファイム人は、巨人でした。そのため彼の棺も巨大だったようです。1アンマは約45cmなので、長さ4m、幅1.8mという大きさでした。昔そういうこともあったんだよ、と思い出を語りながら、その土地に移り住んでいったのでしょうか。 | ||||
| 2月 12日「ヨシュア記13:15〜23」 | ||||
| そのほか、イスラエルの人々は、ベオルの子、占い師バラムを剣で殺した。 (ヨシュア記13章22節) |
||||
| ここから、それぞれの部族に分け与えられた場所が列記されていきます。まずはルベン族です。書かれている町の名に「バアル」がつけられたものが2か所(バモト・バアル、ベト・バアル・メオン)あります。 | ||||
| バアルとは、旧約聖書によく出てくる異教の神の名前です。列王記に出てくるイスラエルの王は、バアルとの接し方がよく問題になっていました。主なる神さまのみに仕えることができるのか、それが大切なのだと何度も書かれています。 | ||||
| イスラエルの神さまは、「ヤハウェ」と呼ばれますが、「神」という一般的な語は「エル」です。調べてみると、エルが付く地名が多くあることに気づかされます。ペヌエル、イズレエル、そしてエルサレム。イスラエルにもエルが付きますね。 | ||||
| 2月 13日「ヨシュア記13:24〜28」 | ||||
| 以上がガドの人々が氏族ごとに与えられた嗣業の土地であり、町村である。 (ヨシュア記13章28節) |
||||
| 続いて、ガドの人々の嗣業の土地です。嗣業という言葉は、あまり聞きなれないと思います。これは聖書によく使われる言葉で、神さまによって与えられ、子孫へと受け継がれるべき財産、特に土地を意味する言葉です。 | ||||
| 単に一時期与えられるというのではなく、その一族、子孫によってずっと持ち続けられるものなのです。ユダヤでは、簡単に土地を売買することはできませんでした。嗣業の土地は、永遠にその一族のものという考え方なのです。 | ||||
| だから、もめるのです。たとえば竹島や北方領土など、どこの国の領土なのか、議論されることがあります。「聖書にこう書いてあるから」、その主張ばかり繰り返していたら、なかなか問題は解決しないでしょう。 | ||||
| 2月 14日「ヨシュア記13:29〜33」 | ||||
| モーセはレビ族に対しては嗣業の土地を与えなかった。主の約束されたとおり、彼らの嗣業はイスラエルの神、主御自身である。 (ヨシュア記13章33節) |
||||
| ヨルダン川の東側の土地の配分が終わります。どうしてルベン族、ガド族、マナセの半部族には東側の土地が与えられたのか。それは彼らがヨルダン川を渡って、「約束の地」に入ることを拒んだからでした。 | ||||
| 民数記32章に、その様子が書かれています。彼らは家畜を多く持っており、ヨルダン川の東側に家畜に適した土地を見出します。そこで彼らはその土地を与えてほしいとモーセに願うのです。 | ||||
| しかし彼らは東側に居続けたのではなく、他の部族と共に西側に行って戦います。臆病風に吹かれて東側に残ったというわけではなく、羊を良い環境で飼うために、東側の土地を選んだということでした。 | ||||
| 2月 15日「ヨシュア記14:1〜5」 | ||||
| ヨセフの子孫がマナセとエフライムの二つの部族になっていた。レビ人は、カナンの土地の中には住むべき町と財産である家畜の放牧地のほか、何の割り当て地も与えられなかった。 (ヨシュア記14章4節) |
||||
| ヨルダン川の東側は、ヨルダン川を渡る前に存命中のモーセによってその割り当てが決められていました。モーセはヨルダン川を渡ることができなかったため、西側の割り当てを決めるのは誰でしょうか。 | ||||
| ヨシュアはその割り当てを自分だけではなく、祭司エルアザルと共におこないます。それも「くじ」によって割り当てたとあります。とても民主的な方法であり、また神さまのみ心に委ねる姿勢もみられます。 | ||||
| さて、ヤコブ(イスラエル)の息子は12人でした。そのうち祭司の家系であるレビ人には嗣業の土地は与えられません。その代わりにヨセフの子、マナセとエフライムがそれぞれ一つの部族として数えられたため、12部族というのは変わらないことになります。 | ||||
| 2月 16日「ヨシュア記14:6〜15」 | ||||
| 主の僕モーセがわたしをカデシュ・バルネアから遣わし、この地方一帯を偵察させたのは、わたしが四十歳のときでした。わたしは思ったとおりに報告しました。 (ヨシュア記14章7節) |
||||
| 民数記32章11節に、このような神さまの言葉があります。「エジプトから出て来た者のうち二十歳以上の者は、一人として、わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓った土地に入らせない。わたしに従いとおさなかったからである」。 | ||||
| しかし続く12節には、こうあります。「ただし、ケナズ人エフネの子カレブとヌンの子ヨシュアは別だ。彼らは主に従いとおしたからである」。カナンの地を偵察した時に、ヨシュアとカレブは否定的な言葉を語らなかったのです。 | ||||
| それ以来カレブの名が出てこなかったので、どうしたのか心配していました。神さまが言った通り、ちゃんと「約束の地」に入れたようです。そして85歳になったカレブは。「主の言葉」を守るように求めます。その願いは認められました。 | ||||
| 2月 17日「ヨシュア記15:1〜4」 | ||||
| ユダの人々の部族が氏族ごとにくじで割り当てられた領土は、最も南にあって、エドムと国境を接し、ネゲブのツィンの荒れ野に及んだ。 (ヨシュア記15章1節) |
||||
| ここから、各部族に与えられた土地のリストに入ります。聖書についている聖書地図を見ながら読むと、何となくどこのことを言っているのかがわかります。ますはユダ族について語られます。 | ||||
| ユダはヤコブとレアの子どもの名前です。ルベン、シメオン、レビ、ユダと続く4番目の子どもです。しかしマタイによる福音書1章を見てみると、ユダの子孫にダビデやヨセフがいるのに気づかされます。 | ||||
| ユダとタマルの物語(創世記38章)を読むと神さまに怒られそうなことをしているユダですが、とても広い土地を与えられ、その血筋にイエス様が名を連ねたことはとても印象的です。ヨセフに嘆願した(創44:18〜34)ことが、神さまの目に留まったのでしょうか。 | ||||
| 2月 18日「ヨシュア記15:5〜12」 | ||||
| 西境は大海の沿岸である。以上が氏族ごとにユダの人々を囲む境界である。 (ヨシュア記15章12節) |
||||
| ユダは南の広い土地を得ました。歴史的には紀元前10世紀から紀元前6世紀にかけて、イスラエル王国は北イスラエル王国とユダ王国に分裂していきます。そのあたりのことは、列王記に書かれています。 | ||||
| 6節に、「ルベンの子ボハンの石」とあります。きっと聖書が書かれた時代には、誰もが知る場所だったのでしょう。ただ地元の人しか伝わらない可能性もあります。わたしが奈良に来た時、「行基さんの前に集合です」と言われて、意味が分からなかったのを思い出します。 | ||||
| 聖書の時代、測量した正確な地図などはありませんでした。そこで目印を口で伝え、子孫に残していったのだと思います。ただそうなると、境界線をめぐって争いも起きたでしょう。そもそも隣国との合意もなかったでしょうし。 | ||||
| 2月 19日「ヨシュア記15:13〜19」 | ||||
| カレブは、「キルヤト・セフェルを撃って占領した者に娘アクサを妻として与えよう」と約束した。 (ヨシュア記15章16節) |
||||
| エフネの子カレブは、ヨシュアと共にエジプトから出てきた人たちの中で「約束の地」に入ることを許された人物です。14章6〜15節に彼は登場しますが、すでに85歳になっていたということです。 | ||||
| その彼には、ヘブロンが与えられました。そこにはまだ、住民が住んでいました。そこでカレブは、そこを攻めて占領した人に娘を与えることを約束します。聖書にはよくこのような約束が出てきますが、「娘はあなたの持ち物ではない」という声が聞こえてきそうです。 | ||||
| そのときにそこを占領したのは、オトニエルという人物でした。彼はカレブの兄弟の息子だったので、カレブの娘アクサとはいとこにあたります。このオトニエルという名前を覚えておいてください。彼は士師記で活躍します。 | ||||
| 2月 20日「ヨシュア記15:20〜63」 | ||||
| ただし、ユダの人々はエルサレムの住民エブス人を追い出せなかったので、エブス人はユダの人々と共にエルサレムに住んで今日に至っている。 (ヨシュア記15章63節) |
||||
| 今日の通読は、とても長いです。しかもカタカナの、それも知らない町や村の名前が列記されているだけです。日本の町や村であれば、「あっ、ここ行ったことある」とか、「ここの名物、おいしいらしいよ」とか考えながら読むことができます。 | ||||
| しかし、「シャアライム、アディタイム、ゲデラ、ゲデロタイム」と続けられても、何の思いも感動も生まないとまで言うのは、言いすぎでしょうか。ただ現在のイスラエルが建国される前、自分が住んでいる場所の地名を聖書に見つけた人はどう思ったでしょうか。 | ||||
| この地域はユダ王国が滅亡した後、ハスモン朝を除けば現在のイスラエル国が建国されるまで、ユダヤ人国家ではありませんでした。そのような状況の中で、これらの地名を聖書に書き続ける。そこには何の意味があるのでしょうか。 |