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日ごとの聖書

ショートメッセージ 〜2025年4月11日〜20日

4月 11「詩編43
 なぜうなだれるのか、わたしの魂よ なぜ呻くのか。神を待ち望め。わたしはなお、告白しよう「御顔こそ、わたしの救い」と。わたしの神よ。
(詩編43編5節)
この詩編43編はもともと42編と一つだったようです。そのため表題はありません。ですからタイトルも書かないことにします。42編から続いている祈りのテーマは、「魂の渇き」という内容です。
イスラエルの人々はバビロンに捕囚され、多くの困難を経験していきます。エルサレムに巡礼することさえ人間の思いだけではできません。神さまの助けがなければ、何もできないのです。
しかしその中においても、導きとみ守りを求めていくのです。「わたしを伴ってくれるでしょう」との確信を、祈りの言葉にするのです。わたしたちも苦しいときこそ、信頼をもって祈っていきましょう。
4月 12詩編4419
 神よ、我らはこの耳で聞いています 先祖が我らに語り伝えたことを 先祖の時代、いにしえの日に あなたが成し遂げられた御業を。
(詩編44編2節)
「勝利の回想と嘆願」:救いを求める共同体の祈りです。これまでの詩編には個人的な嘆願が多く見られました。この詩はイスラエルの人たちが、共同体として神さまに対して祈っている内容になっています。
4節までのところで作者は、神さまがなさってきた救いの歴史を思い返します。ここに見られる考え方は、神さまが王として土地を勝ち取られ、その土地がイスラエルの人々に与えられたというものです。
この思想が根底にあるから、中東地域に平和が訪れないのかもしれません。「これがあなたのお望みでした」と言い切ることによって、それを阻害する人たちは「敵」と見なされ、その敵を排除することが「正義」になってしまうのです。悲しいことです。
4月 13詩編441017
 御自分の民を、僅かの値で売り渡し その価を高くしようともなさいませんでした。
(詩編44編13節)
次に作者は、現在の状況について語っていきます。昨日の箇所でも触れましたが、この詩編は「救いを求める共同体の祈り」です。自分たちの国が置かれている状況について、神さまに祈っていきます。
ユダヤ人は歴史的に、幾度となく迫害されてきました。たとえば旧約聖書続編のマカバイ記を読んでみても、その迫害の様子が詳しく書かれています。この詩に書かれている状況も、散々なものでした。
「あなたは我らを見放されました」という言葉は、国全体の悲しみをあらわしています。自分たちに向けられている敵意を、あたかも神さまによって与えられた試練だと捉えているようです。この考え方が旧約聖書の根底には流れていることにも心を留めましょう。
4月 14詩編441827
 主よ、奮い立ってください。なぜ、眠っておられるのですか。永久に我らを突き放しておくことなく 目覚めてください。
(詩編44編24節)
18〜23節で作者は、「自分たちには罪はなく、潔白である」と語ります。つまりこの苦境は自分たちの責任ではないと書くのです。それは裏を返せば、「神さま、おかしいでしょ」と言っていることにもなります。
旧約聖書に、ヨブ記という物語があります。ヨブは無垢な正しい人でしたが、サタンの計略により家族や財産を奪われ、また身体もむしばまれ、悲惨な状況に陥ります。三人の友人がヨブに語りかけますが、ヨブは自分の正しさを確信し続けます。
神さまよりも自分の方が正しいと主張するヨブの姿を見て、エリフという若者が怒ります。続けて神さまも、「これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて神の経綸を暗くするとは」と怒るのです。自分の正義を盾とする嘆願は、時に危ういものとなるのです。
4月 15詩編4518
 あなたは人の子らのだれよりも美しく あなたの唇は優雅に語る。あなたはとこしえに神の祝福を受ける方。
(詩編45編3節)
「王の婚礼の祝歌」:メシア的詩編です。昔から権力者の結婚は、大きな意味を持っていました。大河ドラマを見ても、武家時代にはいわゆる「政略結婚」がおこなわれていたことがしばしば描かれます。
イスラエルにとって王の結婚は、政治的にも宗教的にも大きな意味を持つことでした。ユダヤでも外交の中で他の国から王妃を迎えることは珍しくなく、大きな出来事であったようです。
新約聖書でイエス様は、婚宴や花婿をたとえの中にしばしば登場させます。(マタイ22:1〜14「婚礼の祝宴のたとえ」、マタイ25:1〜13「10人のおとめのたとえ」など)。わたしたちもまた、王であるイエス様の婚礼に招かれているということでしょうか。
4月 16詩編45918
 あなたの衣はすべて ミルラ、アロエ、シナモンの香りを放ち 象牙の宮殿に響く弦の調べはあなたを祝う。
(詩編45編9節)
2011年に、ウィリアム王子とキャサリン妃の結婚式がおこなわれました。テレビなどでその様子を見られた方もおられるでしょう。わたしたちが普段おこなっている式と流れが一緒だったり、知っている聖歌が流れたり、いろいろな発見がありました。
そのときのキャサリン妃は、とても豪華な服飾品を身に着けていたと記憶しています。この詩編にある「ミルラ、アロエ、シナモン」は東方の高価な香料の名前で、王の衣もとても良い香りを放っていたようです。
バブル期には、とても豪華な結婚式や披露宴が流行していたそうです。何度もドレスを着替えたり、ゴンドラからスモークの中を登場したり。しかし大切なのは、そこに神さまの祝福があるかどうかだと思います。この詩編には、それが少し足りない気もします。
4月 17詩編4618
 神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。
(詩編46編2節)
「シオンを守る神」:神さまへの信頼を歌った詩です。表題にある「アラモト調」というのは、「おとめらの声」という意味があります。この詩編46編は、マルティン・ルターが書いた「神はわがやぐら(聖歌453番)」の元になったものです。
2〜4節には、たとえ地が姿を変え山々が揺らいで海の中に移ったとしても、神さまはわたしたちの避けどころとして、そこにいて助けてくださるという神さまへの信頼が書かれています。その言葉が、ルターの思いと合致したのです。
「神はわがやぐら わが強き盾 苦しめるときの 近き助けぞ おのが力 おのが知恵を 頼みとせる 陰府の長(おさ)も など恐るべき」。苦しみの中でも神さまを助け手とする信仰を、わたしたちも持っていたいものです。
4月 18詩編46912
 地の果てまで、戦いを断ち 弓を砕き槍を折り、盾を焼き払われる。
(詩編46編10節)
「世界の希望キリスト(聖歌425番)」という聖歌をご存知でしょうか。礼拝であまり歌ったことがないので、初めて聞いたという方もおられるでしょう。「キリスト者の責任」というカテゴリーに含まれています。
その2節は、このような歌詞です。「命の糧は天より 心の飢えを満たす 大地の痛みを癒し 争い 静めたまえ」。詩編46編10節の「地の果てまで戦いを断ち」という部分から取られたのでしょう。
人間はいつも、武力によって争ってきました。戦争というのは、自分たちの力で歴史を変えようとする愚かな行為です。しかしその上に、大きな神さまの力があるということを、わたしたちは知る必要があるのです。「力を捨てよ」、その言葉に従いましょう。
4月 19詩編4715
 すべての民よ、手を打ち鳴らせ。神に向かって喜び歌い、叫びをあげよ。
(詩編47編2節)
「主は世界の王」:主を王と讃える賛歌です。聖書に出てくるイスラエルの王は、と言われて思い出すのは、ダビデ王かソロモン王ではないでしょうか。ダビデ王は2代目、ソロモン王は3代目の王でした。そして初代の王はサウル王でした。
つまりそれまで、イスラエルには王がいなかったのです。多くの部族に分かれていたという理由もありますが、自分たちの本当の王は主なる神さまであるという思いが強かったとも言えるでしょう。
この詩編は、「主の即位式」としても使われていました。聖公会でもイエス様の昇天日に聖餐式をおこなう場合、この詩編を用いることがあります。教会の上に、王の王としてイエス様をお迎えするということなのです。
4月 20詩編47610
 諸国の民から自由な人々が集められ アブラハムの神の民となる。地の盾となる人々は神のもの。神は大いにあがめられる。
(詩編47編10節)
ユダヤ教では新年の幕開けにトランペットが吹かれますが、その前にこの詩編47編を7回、神殿で歌ったそうです。6節に二度「上られる」という言葉があります。神の箱の行列や王の戴冠式を思い起こします。
しかし10節に「諸国の民から自由な人々が集められ」とあるように、この王が支配するのは特定の民族ではありません。ただ「支配」というと、あまり良いイメージを持てないかもしれません。
地上の王であればそうでしょう。けれども主なる神さまが王になられたということは、世界が神さまの愛の支配の元にある、恵みに包まれているという意味になります。神の国が、そこに生まれるのです。

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