3月 1日「詩編28編」 | ||||
主よ、あなたを呼び求めます。わたしの岩よ わたしに対して沈黙しないでください。あなたが黙しておられるなら わたしは墓に下る者とされてしまいます。 (詩編28編1節) |
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「救いの祈願と感謝」:救いを求める祈りです。遠藤周作が書いた「沈黙」という小説があります。禁教令の中、宣教師やキチジローたちの信仰や心の動きを描いた作品です。二度映画化もされたので、ご存じの方も多いと思います。 | ||||
「神さまは黙して語ってくれない」、苦難に陥った時に、そのように思うことがあります。わたしの声に耳を傾けてください、救いをお与えくださいという切なる願いが、この詩編には込められています。 | ||||
聖歌128番「イェスきみイェスきみ み救いに」は、大斎節の曲の中にあってとても明るさを感じさせる曲です。「主よ 主よ 聴きたまえ」という願いの中に「主は必ず聞いてくださる」という確信があるときに、わたしたちの祈りは神さまに届けられるのでしょう。 | ||||
3月 2日「詩編29:1〜9」 | ||||
主の御声は力をもって響き 主の御声は輝きをもって響く。 (詩編29編4節) |
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「嵐における主の栄光」:賛美詩編です。この詩編は宇宙の主権者である神さまを賛美しています。最初に出てくる「神の子ら」とはイエス様のことを言っているのではなく、信心深い人たちのことを指しているのでしょう。 | ||||
3節以降に「主の御声」という言葉が7回も出てきます。主の御声のすさまじさがここでは描かれます。その声は水の上に響き、力をもって響き、輝きをもって響きます。また地震を起こし、稲妻をも引き起こします。 | ||||
そのような大きな力を持つ主をほめたたえ、その栄光を主に帰すのです。わたしたちの日々の祈りの中でも、「み名を賛美します」、「み名をあがめます」といった、神さまの栄光に感謝する言葉を意識して用いるといいかもしれません。 | ||||
3月 3日「詩編29:10〜11」 | ||||
どうか主が民に力をお与えになるように。主が民を祝福して平和をお与えになるように。 (詩編29編11節) |
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昨日の箇所では主の御声に圧倒されつつ、「どうか」と希望を祈っていました。聖歌362番「ガリラヤの海辺 山 緑に」という歌があります。あまり聞きなじみがないという方もおられるかもしれません。 | ||||
その4節に、「思い煩いに身を焼かれて 悩めるわれらに すずしきみ声を聞かせたまえ」という歌詞があります。すべてのものを造られた神さまの大いなる業をほめながら、そのみ声に安らぎを得させて欲しいと願うのです。 | ||||
神さまの栄光を賛美し、そのみ声の力が主の民であるわたしたちの心に平安を与えるように。そして「主の平和」がわたしたちの間にあるようにと願う。礼拝の「頌栄」のような祈りが、ここではなされているのです。 | ||||
3月 4日「詩編30:1〜8」 | ||||
主よ、あなたをあがめます。あなたは敵を喜ばせることなく わたしを引き上げてくださいました。 (詩編30編2節) |
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「重病から救われた時の感謝の祈り」:感謝の祈りです。タイトルと内容を見ると、「わたし」という主語からもわかるように個人的な感謝に聞こえます。しかし「神殿奉献の歌」という言葉が示す通り、これは共同体の祈りでもあるようです。 | ||||
わたしたちは祈りの中で、個人的なことを祈ることはあっても、「国家のため」に祈ることは少ないかもしれません。選挙の前などには祈ることもあるかもしれませんが、そのときも「為政者のため」ではなく特定の政党のために祈ってしまいがちです。 | ||||
イスラエルの人々はエルサレム神殿を焼かれ、捕囚としてバビロンに連れていかれました。国家を失い追い詰められた時に、神殿が再建されたのです。その「どん底」から救われた感謝と、個人の思いとを重ね合わせているのです。 | ||||
3月 5日「詩編30:9〜13」 | ||||
わたしが死んで墓に下ることに 何の益があるでしょう。塵があなたに感謝をささげ あなたのまことを告げ知らせるでしょうか。 (詩編30編10節) |
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キリスト教の中には、「証し」をとても大切にする教派があります。神さまに出会い、救われた喜びを、周りの人たちと分かち合うのです。また洗礼を受ける際に、「信仰告白」をみんなの前で語らせる教派もあります。 | ||||
わたしたち聖公会では、あまりそのようなことを積極的におこなっていません。しかし神さまに救われた喜びを隠すことなく言い表すことも必要です。ともし火を器で覆い隠したり、寝台の下に置いたりしてはいけないのです(ルカ8:16)。 | ||||
わたしたちの嘆きは踊りに変えられます。粗布は脱がされ、喜びは帯となります。「イエス様に出会えた喜びを伝えずにはいられない」、わたしたち一人ひとりがそのように変えられますように、お祈りしていきましょう。 | ||||
3月 6日「詩編31:1〜9」 | ||||
まことの神、主よ、御手にわたしの霊をゆだねます。わたしを贖ってください。 (詩編31編6節) |
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「悩みの訴えと救いの感謝」:救いを求める個人の祈りです。「主よ、御手にわたしの霊をゆだねます」という言葉は、イエス様が十字架の上で語られたいわゆる“七聖語”の一つです。ルカ福音書23章46節に出てきます。 | ||||
この言葉は神さまにすべて依存することを意味し、主の見守りの元に自らを置きます。近年いじめなどの問題が発覚した場合、学校を休むなど、とにかく「逃げなさい」とアドバイスされることが多いようです。「避難者」となることは、とても大事なことなのです。 | ||||
詩編31編の6節までは、就寝前の祈りの中でも用いられています。殉教者ステファノがこの言葉を引用した(使7:59)ように、わたしたちも神さまにすべてをお任せすることを意識しながら、日々眠りにつきたいものです。 | ||||
3月 7日「詩編31:10〜14」 | ||||
主よ、憐れんでください わたしは苦しんでいます。目も、魂も、はらわたも 苦悩のゆえに衰えていきます。 (詩編31編10節) |
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この箇所は「主よ、憐れんでください」という定式的な祈りからスタートし、自分自身の抱えている困難と、他者によってもたらされた困難とが語られています。わたしたち聖公会の聖餐式も、「主よ、憐れんでください」という言葉でスタートしていきます。 | ||||
しかし、「あれ?憐れんでくださいなんて、言ってたかしら?」と思う方もおられるかもしれません。実は、「キリエ エレイソン」という言葉が、「主よ、憐れみたまえ」という意味なのです。 | ||||
わたしたちは礼拝の中で、様々な困難にあっていることを告白します。内面的な問題も、外から受ける痛みもあるでしょう。それらのものを礼拝の最初にすべて神さまに打ち明ける。それがとても大切なことです。 | ||||
3月 8日「詩編31:15〜19」 | ||||
わたしにふさわしいときに、御手をもって 追い迫る者、敵の手から助け出してください。 (詩編31編16節) |
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16節の「わたしにふさわしいときに」という言葉を読むと、「神のなされることは皆その時にかなって美しい」という聖書の箇所を思い起こします。これはコヘレトの言葉3章11節の言葉です。(引用は新改訳聖書の訳です) | ||||
わたしたちは、「今すぐ」、「自分の思ったときに」、神さまに手を差し伸べて欲しいと願います。そして自分の思い通りにならないときに、「神さまはひどい」、「神さまなんていない」と叫んでしまうのです。 | ||||
しかし人にはそれぞれ、「神さまの時」があるのです。神さまに出会うとき、洗礼に導かれるとき、天に召されるとき、すべてその人に「ふさわしいとき」に、神さまはそのみ手を伸ばされるのです。 | ||||
3月 9日「詩編31:20〜21」 | ||||
御恵みはいかに豊かなことでしょう。あなたを畏れる人のためにそれを蓄え 人の子らの目の前で あなたに身を寄せる人に、お与えになります。 (詩編31編20節) |
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「やさしき息吹の くしき恵み おろかなわれをも 招き入れる」、聖歌540番の一節です。「Amazing grace(アメージンググレース)」と言った方が、よくご存じなのかもしれません。 | ||||
この曲の作詞をしたのはジョン・ニュートンという、兵士から奴隷商人を経て牧師となった人物です。彼は22歳の時、自分の乗った船が暴風のため難破しかけます。そのときに彼は母の死後初めて神さまに祈り、奇跡的に遭難を免れたことで回心したといいます。 | ||||
そして作った歌が、「Amazing grace!(驚くべき恵み!)」なのです。この詩編31編20節は、聖歌540番の元になっています。苦しみや試練の中にあっても、主のみ恵みを賛美する。そこに神さまに対する信頼があるのです。 | ||||
3月 10日「詩編31:22〜25」 | ||||
主の慈しみに生きる人はすべて、主を愛せよ。主は信仰ある人を守り 傲慢な者には厳しく報いられる。 (詩編31編24節) |
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お葬式のときによく歌われる歌の中に、「わが主イェスよ ひたすら(聖歌496番)」という聖歌があります。全部で4節の歌詞の中に、14回も「愛」という言葉が出てくる歌です。今日の箇所の「主を愛せよ」という言葉に通じる聖歌です。 | ||||
この詩編31編は全体を通して、「祈りは必ず聞かれる」ことを確信して疑わない、模範的な祈りだと言われます。お葬式で歌う聖歌も、神さまにすべてをお任せする、信仰の歌が多く用いられているようです。 | ||||
「いまわ(臨終)の息かすかに 残るときも愛をば 増させたまえ主を愛する 愛をば 愛をば」という4節の歌詞を歌いながら、「神さまはわたしたちのことを決して見捨てはされない」という信仰を確かめるのです。 |