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日ごとの聖書

ショートメッセージ 〜2024年10月11日〜20日

1011コリントの信徒への手紙一152934
 兄弟たち、わたしたちの主キリスト・イエスに結ばれてわたしが持つ、あなたがたに対する誇りにかけて言えば、わたしは日々死んでいます。
(コリントの信徒への手紙一15章31節)
コリントの人たちは、死者のために洗礼を受けていたようです。これは洗礼を受ける機会がなく、死んでしまった人の代わりに生きている人(肉親など)が受けていたということです。現在のキリスト教には、このような習慣はありません。
パウロはこの手紙の中で「死者の復活」という言葉を多く用いますが、わたしたちが普段用いている言葉でいうと、「永遠の命」の方が近いかもしれません。死者の復活というと、お墓の中から甦るイメージです。
お墓から生き返るのではなく、死の向こうにも新しいいのちがあるとしたら、あなたたちはどうしますか?と問いかけているのです。そして、明日は死ぬのだからとその日一日だけ楽しむのはどうなのかとパウロは聞くのです。
1012コリントの信徒への手紙一153541
 あなたが蒔くものは、後でできる体ではなく、麦であれ他の穀物であれ、ただの種粒です。
(コリントの信徒への手紙一15章37節)
「死者はどんなふうに復活するのか?」、その問いはコリントの人たちだけでなく、わたしたちも持っているのかもしれません。「愚かな人だ」と言われようとも、その答えを知りたいという気持ちは否定できません。
しかし自然界を見渡してみても、「なぜそうなるのか」がわからない現象は至るところにあります。どうして小さな種から草花が育っていくのか、どうして夜空には様々な星たちがあるのか。
わたしは復活について聞かれたときに、こう答えることがあります。「そのときのお楽しみにしましょう」と。神さまはわたしたちの思いを超えて、わたしたちに良いものを与えて下さいます。そのことを信じて歩みましょう。
1013コリントの信徒への手紙一154249
 つまり、自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです。自然の命の体があるのですから、霊の体もあるわけです。
(コリントの信徒への手紙一15章44節)
パウロはここで、「自然の命の体」と「霊の体」という言葉を用いて、死者の復活を説明していきます。まず「自然の命の体」とは、わたしたちが生まれながらに与えられている体のことでしょう。
その「自然の命の体」は朽ち、卑しく、弱いものだとパウロは書きます。わたしたちは確かに、年齢を重ねる中で肉体の衰えを感じることがあります。またいつか必ずやって来る死に対しても、恐怖を覚えます。
しかしイエス様に出会い、新しいいのちに生かされるとき、わたしたちには「霊の体」が与えられるのです。その体は朽ちず、輝かしいものであり、そして力強いものです。イエス様によって、わたしたちは新しくされるのです。
1014コリントの信徒への手紙一155058
 わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。
(コリントの信徒への手紙一15章51節)
パウロがコリントに手紙を書いていた頃、再臨(天に昇られたイエス様が再びやってくること)はすぐにでも起こると思われていました。ですから「死者の復活」とは、再臨のときにすでに天に召された人がどうなるのか、ということが話題になっていました。
イエス様が再臨する日、つまり終末が来る前に、人々はその備えをしていました。しかしその日が遅くなり(再臨の遅延)、イエス様の十字架から2000年以上経った今もまだ再臨は来ていません。
もしかしたら今日、最後のラッパが吹かれるかもしれません。でも心配しないでください。あなたの体も朽ちない霊の体になっているからです。イエス様と共に歩むとき、わたしたちは死さえも恐れることはないのです。
1015コリントの信徒への手紙一1614
 聖なる者たちのための募金については、わたしがガラテヤの諸教会に指示したように、あなたがたも実行しなさい。
(コリントの信徒への手紙一16章1節)
コリントの信徒への手紙一も、最後の章に入りました。ここでパウロは、募金について語ります。「聖なる者たち」とはエルサレム教会のことです。彼らは決して裕福ではありませんでした。
エルサレム教会に集う彼らの多くはユダヤ人でしたが、ユダヤ教の宗教指導者たちとは異なっていました。そのため彼らは、経済的援助を受けなければいけない状況だったようです。そこでパウロは彼らのために、募金を呼び掛けたのです。
この募金はパウロが宣教した異邦人教会と、ユダヤ人によるエルサレム教会とを結びつける役割を果たしました。決して「上納金」というものではなく、支えあう関係を目指していったのです。
1016コリントの信徒への手紙一1659
 わたしは、今、旅のついでにあなたがたに会うようなことはしたくない。主が許してくだされば、しばらくあなたがたのところに滞在したいと思っています。
(コリントの信徒への手紙一16章7節)
パウロはこの手紙を、エフェソで書いていたようです。そして次の旅行の計画を、手紙の終わりの方に綴っていきます。今のようにメールや電話はありませんから、自分の予定をあらかじめ伝えておくのはとても大切なことです。
パウロはマケドニア経由でコリントに行くと書いていますが、マケドニア州にはテサロニケやフィリピといった場所がありました。そこにもパウロは教会共同体をつくり、聖書にはそこに宛てた手紙も残っています。
旅に適さない冬の間はコリントに滞在して、じっくりとコリントの問題に向き合おうとするパウロの姿勢がここに見えます。ただし「主が許してくだされば」と、あくまでも神さまの思いの中で自分は遣わされていることを忘れてはいません。
1017コリントの信徒への手紙一161012
 テモテがそちらに着いたら、あなたがたのところで心配なく過ごせるようお世話ください。わたしと同様、彼は主の仕事をしているのです。
(コリントの信徒への手紙一16章10節)
パウロはここで、同労者テモテについて「お世話ください」と頼みます。テモテの母親はユダヤ人でしたが、父はリストラ出身の非ユダヤ人、いわゆる「異邦人」でした。そのために軽く見られることもあったでしょう。
しかしパウロは、彼をないがしろにしてはならないと伝えます。テモテはコリントに行ったのち、パウロのいるエフェソに合流する予定のようです。そこまで言われると、誰も無下に扱うことはないでしょう。
そして次に出てくるアポロという人物は雄弁家で、コリントの教会でも人気があったようです。しかしパウロと行動を共にしたという事実もなく、どのような思想であったのかも残されていません。にしてもパウロの書き方は、アポロに対して冷たく感じますが。
1018コリントの信徒への手紙一161318
 目を覚ましていなさい。信仰に基づいてしっかり立ちなさい。雄々しく強く生きなさい。
(コリントの信徒への手紙一16章13節)
パウロはこの手紙の最後に、「目を覚ましていなさい」から始まる勧告を書きます。終末が近づいているという緊張感の中で、あなたがたは強く雄々しく生きなさいとコリントの教会を励ますのです。
そして中心的な人たちの名前を挙げて、その労をねぎらいます。ステファナたち家族は、コリントがあるアカイア州でパウロに洗礼を授けられました。彼らはパウロがそのときいたエフェソに、あいさつに来たのでしょう。
そのときにステファナは、コリントの現状も報告したのかもしれません。パウロは彼らの名前を挙げることで、「あなたがたも初心に帰りなさい」と促しているようにも思います。教会の群れは、パウロ一人で築き上げられたわけではないのです。
1019コリントの信徒への手紙一161924
 わたしパウロが、自分の手で挨拶を記します。主を愛さない者は、神から見捨てられるがいい。マラナ・タ(主よ、来てください)。
(コリントの信徒への手紙一16章21〜22節)
ここまでパウロは口述筆記によって手紙を書いてきましたが、21節以降は自分の手で書き記します。22節の言葉は、礼拝の中で唱えられていた言葉のようです。特に「神から見捨てられるがいい」という部分は「アナテマ」と呼ばれる、呪いの言葉です。
以前の「文語祈祷書」にはアタナシオ信経というものがありました。このような一文で始まります。「救はれんと願ふ者は、聖公会の信仰箇條を奉ずること最も肝要なり。此の信仰箇條を乱すことなく、全く守る者にあらざれば必ず世々限りなく亡ぶべし」。
とても怖い言葉です。しかしその言葉も、聖書に基づいていたのです。ただパウロは最後に、「わたしの愛が」と語ります。問題の多いコリントの人たちだけれども、パウロはその人たちを愛してやまないのです。
1020コリントの信徒への手紙二112
 わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。
(コリントの信徒への手紙二1章2節)
今日からコリントの信徒への手紙二に入ります。ローマ、コリント一、コリント二と続いていくので、何だか同じ文章を何度も読まされているような気持になってしまうかもしれません。
しかしこの手紙には、他の手紙にはない大きな特徴があります。それは、パウロが「自分語り」をしていくというところです。パウロは自分の使徒職の正当性を詳しく説明していきます。
その中でパウロは、自分の感情や思いをコリントの人たちに生き生きと伝えていきます。そしてわたしたちはこの手紙を通して、パウロという人物を感じることができるのです。さあ今日から、イエス様の恵みと平和を感じながらこの手紙を読み進めていきましょう。

バナースペース

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