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日ごとの聖書

ショートメッセージ ~2024年4月11日~20日

411「使徒言行録192127
 諸君が見聞きしているとおり、あのパウロは『手で造ったものなどは神ではない』と言って、エフェソばかりでなくアジア州のほとんど全地域で、多くの人を説き伏せ、たぶらかしている。
(使徒言行録19章26節)
エフェソにいたパウロは、エルサレムに行くことを決心します。パウロの手紙の中にはエルサレムの教会の貧しい人に対して、マケドニアとアカイアの人たちから献金を預かったという記述があります。その献金を持って行くという目的もあったのでしょう。
パウロはこれまで、ユダヤ人と多く対立してきましたが、今回はデメトリオという異邦人の銀細工師との騒動が記録されています。デメトリオはアルテミスの神殿の模型を銀で造り、職人たちに利益をもたらしていました。
しかしパウロは、「手で造ったものなど神ではない」と、その「仕事」を批判します。さらに多くの人たちを改宗させていきました。デメトリオは危機感を覚え、人々を扇動しようとします。
412使徒言行録192834
 他方、パウロの友人でアジア州の祭儀をつかさどる高官たちも、パウロに使いをやって、劇場に入らないようにと頼んだ。
(使徒言行録19章31節)
デメトリオに扇動された人々は、パウロの同行者二人を捕らえて劇場になだれ込みます。しかしその中の大多数は、一体自分たちは何のために集まったのかさえ分からなくなっていきました。いわゆる群集心理です。
パウロは同行者の身を案じたのでしょう。劇場の中に入って群衆と対峙しようとします。しかしそれをパウロの友人であるアジア州の議員たちはやめさせます。パウロに危険が及ぶのを察知したのでしょう。
一度火のついた群衆の心をおさめるのは、なかなか難しいものです。説得などの声も届かず、彼らは叫び続けます。その中にはもしかしたら、ただ叫びたくて集まってきたような人もいたかもしれません。
413使徒言行録193540
 諸君がここへ連れて来た者たちは、神殿を荒らしたのでも、我々の女神を冒涜したのでもない。
(使徒言行録19章37節)
群衆による騒動を静めたのは、町の書記官でした。しかし彼は、パウロたちの考えに賛同していたわけではありません。それよりもまず、エフェソの人々のアルテミスに対する信仰を肯定していきます。
アルテミスは女神だったようですが、その存在自体は否定されていないはずだ。そして神殿も荒らされておらず、また冒涜もされていない。だから何かあるのであれば、ちゃんと裁判に訴えなさいと、書記官は言います。
至極真っ当なことを、書記官は語っています。しかしその裏には、「暴動の罪の責任は負いたくない」という思いがあったようです。町の秩序を守ることを再優先にした彼の判断は、正しかったと言えるでしょうか。
414使徒言行録2016
 この騒動が収まった後、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げてからマケドニア州へと出発した。
(使徒言行録20章1節)
パウロはエフェソで、弟子たちを呼び集めて励ましました。異邦人の地に残され、宣教をおこなっていくことになる弟子たちはきっと、不安で一杯だったことでしょう。その彼らを、パウロは励ますのです。
この励ましは、どのようなものだったのでしょうか。言葉を尽くしてと書かれていますが、単なる言葉がけだけではなかったと思います。熱い祈りや、神さまへの執り成し、そのような時間が費やされたのだと思います。
パウロがエルサレムに行くにはシリア州を通った方が近いのですが、ユダヤ人の陰謀のためにマケドニア州に向かうことになりました。ただこれも、神さまのご計画なのだと思います。パウロの同行者の名前も、かなり増えてきました。
415使徒言行録20712
 エウティコという青年が、窓に腰を掛けていたが、パウロの話が長々と続いたので、ひどく眠気を催し、眠りこけて三階から下に落ちてしまった。起こしてみると、もう死んでいた。
(使徒言行録20章9節)
何とも不思議な話が載せられています。「長い長いお話し」、苦手だという方おられると思います。礼拝の説教中も、ついつい舟を漕いでしまうという方、おられることでしょう。パウロも夜中まで話続けていたようです。
広間は人で一杯だったのでしょう。エウティコという青年は、三階の窓枠に腰かけてパウロの話を聞いていました。パウロの話がつまらなかったのかどうかは分かりません。ただ彼は眠りこけ、三階から下まで落ちてしまいました。
パウロは落ちて死んでしまったエウティコを抱きかかえて、生き返らせました。「わたしの話をちゃんと聞かないからだ」と怒ることはありませんでした。そしてパウロはさらに、夜明けまで語り続けたそうです。
416使徒言行録201316
 翌日、そこを船出し、キオス島の沖を過ぎ、その次の日サモス島に寄港し、更にその翌日にはミレトスに到着した。
(使徒言行録20章15節)
パウロは先を急ぎます。それは五旬祭には、エルサレムに到着したいという思いがあったからです。五旬祭とはユダヤ教の祭りで、穀物の収穫を感謝し祝う日でした。申命記16章11節に書かれています。
しかしキリスト教にとって五旬祭は、もっと大きな意味を持つ日となりました。使徒言行録2章にある「聖霊降臨」の出来事があった日です。エルサレムで祈る弟子たちに聖霊が降ったその日までに、パウロ自身もエルサレムに行きたいと願っていました。
パウロの手には、エルサレム教会の貧しい人に対する献金もありました。聖霊が降り注いだ記念の日に、共に喜びたいという思いもあったのかもしれません。わたしたちも、聖霊降臨日(ペンテコステ)を、大切に覚えていきたいと思います。
417使徒言行録201724
 しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。
(使徒言行録20章24節)
昨日の箇所には、パウロは「エフェソに寄らないで航海することに決めていた」と書かれていました。五旬祭に間に合うためには、エフェソで時間を取るわけにはいきませんでした。しかし素通りすることもできません。
パウロはエフェソに人を遣わし、長老たちを自分の元に呼び寄せます。パウロは彼らに、自分がこれまでどのようなことをしてきたかを熱く語っていきました。
そしてパウロは、エルサレムに行くことは霊による働きであること、そしてそこにはきっと投獄と苦難が待ち受けているだろうということを語ります。しかし自分の命を神さまが用いて下さるという思いを持つパウロは、その道を走り抜けることを誓うのです。
418使徒言行録202531
 そして今、あなたがたが皆もう二度とわたしの顔を見ることがないとわたしには分かっています。わたしは、あなたがたの間を巡回して御国を宣べ伝えたのです。
(使徒言行録20章25節)
パウロは2度とエフェソの人たちと会うことがないと、分かっていたようです。これからエルサレムに向かうパウロの前には、大きな困難が立ちはだかっているのです。手紙は書けるかもしれませんが、直接語りたいことは山ほどあったでしょう。
パウロがエフェソの長老たちを呼び寄せて語ったのには、理由がありました。それは監督者である彼らに、羊の群れであるエフェソの人々を任せたからです。自分に代わって、人々を導いて欲しいということです。
パウロにはもしかしたら、自分がエフェソに残っていた方がよいのではないかという思いもあったかもしれません。しかし彼は、長老たちを信じ、委ねました。その後ろにある、神さまの導きを信じたのでしょう。
419使徒言行録203235
 ご存じのとおり、わたしはこの手で、わたし自身の生活のためにも、共にいた人々のためにも働いたのです。
(使徒言行録20章34節)
パウロはエフェソの長老たちを、神とその恵みの言葉とに委ねます。恵みの言葉とは、イエス様のことを指しているのかもしれません。「初めに言があった」から始まるヨハネ福音書を思い起こします。
そしてパウロは、「受けるよりは与えるほうが幸いである」というイエス様の言葉を引用します。たとえばクリスマスや誕生日に、誰かのためにプレゼントを用意したがあると思います。
サプライズでもらうのも、確かにうれしいことです。しかし「何がいいかな」と考えた末に選んだプレゼントが喜ばれたら、その喜びは大きなものになります。それが神さまの福音、「グッドニュース」であれば、なおさらなのではないでしょうか。
420使徒言行録203638
 特に、自分の顔をもう二度と見ることはあるまいとパウロが言ったので、非常に悲しんだ。人々はパウロを船まで見送りに行った。
(使徒言行録20章38節)
パウロがエフェソの教会にいたのは、三年間だったそうです。その期間に、彼らは強い信頼関係を作っていました。パウロが「自分の顔をもう二度と見ることはあるまい」と言ったことも相まって、人々は激しく泣きました。
「神ともにいまして」という聖歌があります。(日本聖公会聖歌集522番)教会ではお葬式のときに用いられることが多いですが、送別会などでも使うことがあります。「また会う日まで」という歌詞が、悲しみを誘います。
しかし涙の中に、神さまはいつも共にいて下さるという確信があります。たとえ地上で会うことが適わなかったとしても、神さまのみ許で共に憩うその日を思い、歌うのです。パウロはエフェソを離れ、エルサレムに向かいました。

バナースペース

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