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日ごとの聖書

ショートメッセージ 〜2024年4月1日〜10日

4月 1「使徒言行録173234
 死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言った。
(使徒言行録17章32節)
昨日(3月31日)は、2024年のイースターでした。イースターでは、イエス様がご復活なさったことを思い起こし、礼拝いたします。しかしこの「復活」という出来事を、なかなか受け入れることが出来ない人もいます。
それはわたしたちが、自分の経験の中でしか物事を判断できないからなのかもしれません。しかし人間にはできないことでも、神さまはお出来になるのです。そのことをわたしたちは覚えておきたいと思います。
アテネの人たちの中には、パウロの言葉を受け入れた人もいれば、その言葉を嘲笑った人もいました。その違いは、何だったのでしょうか。「見ないで信じる人」に、わたしたちもなりたいものです。
4月 2使徒言行録1814
 職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。
(使徒言行録18章3節)
続いてパウロは、コリントへ行きます。ここにもパウロは教会共同体をつくり、のちに書いた手紙が聖書に残されています。その手紙については、8月中旬から取り上げていきますが、良いことばかりが書かれていたわけではなかったようです。
コリントには、アキラとプリスキラという夫婦がいました。彼らはイタリアから来ました。それはローマのクラディウス帝が、ユダヤ人をローマから退去させるように命じたからでした。
理由はわかりませんが、結果として二人はパウロに出会うことができました。神さまのお導きです。そしてパウロと同じテント造りを職業としていた彼らは、一緒に働きます。福音宣教者も、自分の生活費は自分でまかなっていたのです。
4月 3使徒言行録18511
 ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。
(使徒言行録18章9節)
パウロはユダヤ人相手に、熱心にみ言葉を語り続けます。しかしユダヤ人たちは反抗し、口汚く罵ります。彼らはイエス様がメシアであるというパウロの証しを、真っ向から否定したのです。
パウロの心には、いらだちもあったのでしょう。「わたしは異邦人のところへ行く」と言い放ち、コリントでの活動を続けます。そのとき主は、幻の中でパウロに「恐れるな」と語ります。
パウロの心はくたびれ、挫けそうになっていたのかもしれません。しかし主は、「わたしはあなたと共にいる」と約束されるのです。その結果パウロは、1年半もの間コリントに腰を据え、み言葉を伝えていきました。
4月 4使徒言行録181217
 「この男は、律法に違反するようなしかたで神をあがめるようにと、人々を唆しております」と言った。
(使徒言行録18章13節)
ユダヤ人には、アイデンティティがありました。彼らはさまざまな地域に住むことになっても、ユダヤ人として生きていくことを大切にしていました。そのしるしとなるのが、割礼と律法です。
しかしパウロは、異邦人に対して福音を伝えるときに、割礼は必要ないと説きました。それがユダヤ人の言う、「律法に違反するようなしかた」に当たったのでしょう。彼らはそれがどうしても許せなかったのです。
彼らはパウロを、ローマの総督に訴えます。おかしな話です。パウロが神さまの命令に背いているのであれば、神さまに訴えるべきでしょう。同じように教会で「おかしいな」と思うことがあっても、神さまに問いかけるべきだと思います。
4月 5使徒言行録181823
 「神の御心ならば、また戻って来ます」と言って別れを告げ、エフェソから船出した。
(使徒言行録18章21節)
パウロは誓願を立てていたようです。誓願はいわば、ユダヤ教の伝統ともいえる行為です。パウロが何に対して誓願を立てていたのかはわかりません。宣教旅行での成果を求めていたのでしょうか。
エフェソに戻って来たパウロは、その会堂でユダヤ人と論じ合います。文面から見ると、特に言い合ったわけでもないようです。それどころか、もっと長く滞在して欲しいと願われます。
しかしパウロは、神さまのみ心のとおりに行動すると告げ、エフェソを後にします。16章6節でパウロは、アジア州でみ言葉を語ることを聖霊によって禁じられていました。そのこともあったのでしょうか。そしてパウロはあらゆる場所を巡回していきます。
4月 6使徒言行録182428
 彼は主の道を受け入れており、イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていたが、ヨハネの洗礼しか知らなかった。
(使徒言行録18章25節)
ここでアポロという人物が登場します。彼はイエス様に直接従った弟子ではなく、またパウロと一緒に行動していたわけでもありませんでした。イエス様の福音を知り、「伝えなければ」という思いに駆られたのでしょう。
ただ彼は、ヨハネの洗礼しか知りませんでした。悔い改めの洗礼しか知らず、聖霊による洗礼を知らなかったということでしょう。本当の意味で、イエス様と出会っていなかったということかもしれません。
プリスキラとアキラは、アポロを招きます。それは正確に福音を伝えるためです。アポロのことを否定するのではなく、福音をきちんと教え、さらにアポロの歩みを支える彼らの働きは、わたしたちも見習うべきところです。
4月 7使徒言行録1917
 そこで、パウロは言った。「ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、悔い改めの洗礼を授けたのです。」
(使徒言行録19章4節)
この時代、パウロ以外にもイエス様の福音を伝える人たちは多くいたようです。その一人が昨日の箇所に出て来たアポロでした。しかし彼らの中には、「ヨハネの洗礼」のみを知り、それだけを伝えている人も多くいました。
洗礼者ヨハネは、「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる」と語ります。
その方こそイエス様であり、パウロが「わたしよりも優れた方」と呼んだ人物です。パウロは人々に、イエス様の名による洗礼を受けるように、そして聖霊を受けるようにと促すのです。
4月 8使徒言行録19810
 このようなことが二年も続いたので、アジア州に住む者は、ユダヤ人であれギリシア人であれ、だれもが主の言葉を聞くことになった。
(使徒言行録19章10節)
18章21節でパウロは、「神の御心ならば、また戻って来ます」と言ってエフェソを後にしていましたが、今回、戻ってくることとなりました。それも二年間、彼はエフェソにいたようです。
最初はかなくなで信じようとしなかった人たちが、会衆の前でパウロの言葉を非難していました。パウロはその人たちを説得しようとはせずに、彼らから離れて弟子たちもそこから退けました。
熱心に反対者を説得するよりも、イエス様の福音を一人でも多くの人に伝えることを、パウロは選びます。「聞く耳を持たない人」は神さまにお任せして、自分は他の場所に向かう。教会もそのような姿勢に学ぶところがあるかもしれません。
4月 9使徒言行録191116
 悪霊は彼らに言い返した。「イエスのことは知っている。パウロのこともよく知っている。だが、いったいお前たちは何者だ。」
(使徒言行録19章15節)
パウロが身に着けていた手ぬぐいや前掛けを持って行って病人に当てると、病気はいやされ、悪霊も出て行ったとあります。この記述だけをみると、なにやら胡散臭い宗教のようにも感じます。
しかしこれは、パウロを用いることによってイエス様の福音に目が向くようにと、神さまがなさったことなのかもしれません。「パウロというすごい男がいるらしい」、「その男が伝えるイエス様というのは救い主だということだ」。このような噂があふれたことでしょう。
しかし、その噂に便乗しようとしていた人たちがいました。ユダヤの祈祷師です。彼らはイエス様の名前を使ってみようと、「試み」ました。しかしそれは、通用しません。イエス様を心から信じないと、祈りの言葉も意味をなさないのかもしれません。
4月 10使徒言行録191720
 信仰に入った大勢の人が来て、自分たちの悪行をはっきり告白した。
(使徒言行録19章18節)
このような箇所は、慎重に読まなければならないと思います。昔あるキリスト教の教派の方が、ひな人形を捨てさせられたという話をされたことがあります。とてもショックをうけたことを思い出します。
たしかに他の宗教のものかもしれませんし、そこにはその教派が大切にするものとは相容れない考え方があったのかもしれません。しかしそのひな人形に対する誰かの思いが踏みにじられたような気がします。
大切なのは、手放すなら自分の思いで、ということではないでしょうか。誰かに命じられたり強要されたりするのではなく、「わたしにはもうこれは必要ない」という思いでおこなうのであればいいと思います。「恐れ」によって、というのはいかがなものでしょう。

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