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日ごとの聖書

ショートメッセージ 〜2024年3月11日〜20日

311「使徒言行録1417
 ところが、信じようとしないユダヤ人たちは、異邦人を扇動し、兄弟たちに対して悪意を抱かせた。
(使徒言行録14章2節)
ガラテヤの内陸部にあるイコニオンに、パウロとバルナバはやって来ました。神さまが二人の手を通してしるしと不思議な業をおこなったため、多くの人ユダヤ人やギリシア人が信仰に入ったと書かれています。
しかし、信じることができなかったユダヤ人もいました。それはそうだと思います。「新しい教え」に対する拒否反応があっても、何らおかしくはありません。さらに彼らは、パウロたちを迫害しようとします。
それも、普段関わることを避けていた異邦人さえも扇動しているわけですから、とても強い思いが働いていたのでしょう。「自分は受け入れられないけど、受け入れる人はどうぞご自由に」とはいかなかったのでしょうか。
312使徒言行録14818
 そして、バルナバを「ゼウス」と呼び、またおもに話す者であることから、パウロを「ヘルメス」と呼んだ。
(使徒言行録14章12節)
ヘロデ王が神さまに栄光を帰さなかったために息耐えた話が、12章20節には書かれていました。そして今、リストラで生まれつき足が悪い人を歩かせたパウロたちを見て、群衆は「ゼウスだ」、「ヘルメスだ」と騒ぎ立てます。
しかしその不思議な業をおこなったのは、パウロでもバルナバでもありません。他ならぬ、神さまなのです。二人は自分たちにいけにえを献げようとする群衆をやめさせ、神さまの栄光を伝えます。
わたしたちの周りでは、あまりに簡単に「神」という言葉が使われているように思います。すごい人や出来事を「神」という言葉を用いて表すことがあります。そのことは、本当の神さまを冒涜していることになるのかもしれません。
313使徒言行録141920
 しかし、弟子たちが周りを取り囲むと、パウロは起き上がって町に入って行った。そして翌日、バルナバと一緒にデルベへ向かった。
(使徒言行録14章20節)
リストラにいるパウロとバルナバの元に、アンティオキアとイコニオンからユダヤ人たちがやって来ました。その目的は、パウロに石を投げるためでした。イコニオンからは30km、アンティオキアからは170kmもあったにもかかわらずです。
ユダヤ人にとって、パウロの語ることは「異端」であり、自分たちが信じてきたことを覆す「誤った教え」でした。それが多くの人たちに伝えられていくことを、彼らは全力で阻止しようとしたのです。
このユダヤ人の行動は決してほめられたものではありませんが、自分たちの信仰に真っすぐすぎた故のことなのです。パウロ自身も以前は同じように、キリスト者を迫害していました。石を受けたとき、パウロはその当時のことをどう振り返ったでしょうか。
314使徒言行録142128
 また、弟子たちのため教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せた。
(使徒言行録14章23節)
パウロたちはデルベから、リストラ、イコニオン、アンティオキアへと引き返していきました。パウロはリストラで石を投げつけられ、またイコニオンでは二人は辱められそうになりました。
それでも彼らは、その地を通ってアンティオキアに戻ることを選択しました。それは、それぞれの地に弟子たちがいたからです。パウロたちが告げ知らせる福音を聞き、信仰に入った人たちを力づけるためです。
彼らはそれぞれの地の教会に、長老を任命しました。「自分たちがいなければダメだ」とは思わず、長老の働きを支えるのです。そして彼ら長老を、神さまにお委ねします。神さまの助けを求めていくのです。
315使徒言行録1515
 ある人々がユダヤから下って来て、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と兄弟たちに教えていた。
(使徒言行録15章1節)
この章に書かれているのは「エルサレム会議」と呼ばれる使徒会議で、紀元49年ごろ、つまりイエス様の十字架から10年以上経って開かれたものでした。その会議をしなければならなかった原因が、今日の箇所に書かれています。
それは、「割礼」をめぐる問題でした。創世記17章9〜14節には、神さまがアブラハムに永遠の契約のしるしとして、男子が生まれたら8日目に割礼をおこなうように命じたことが書かれています。
ユダヤ教(ファリサイ派)から信者になった人たちは、その契約はそのまま引き継がれるべきで、異邦人から信者になった人も割礼を受けるべきだと主張します。割礼という「行為」が信仰に必要なのかどうか、議論がおこなわれていくのです。
316使徒言行録15611
 それなのに、なぜ今あなたがたは、先祖もわたしたちも負いきれなかった軛を、あの弟子たちの首に懸けて、神を試みようとするのですか。
(使徒言行録15章10節)
議論を重ねる中で、口を開いたのはペトロでした。エルサレムを離れ異邦人の地に向かったパウロと違い、ペトロはずっとエルサレムにいました。彼の周りには、ユダヤ人が多くいたことでしょう。
しかし彼の口から出た言葉は、異邦人を受け入れようというものでした。10章に書かれたコルネリウスが聖霊を受けた出来事が、彼の心を変えたのです。それは、神さまの導きだったのでしょう。
割礼や律法という軛は、人々には負いきれないものでした。人間はおこないによって、神さまの前に正しく生きることができませんでした。そこで信じることによって義とされるという、新しい契約が示されたのです。古い契約に固執することはないのです。
317使徒言行録151221
 ただ、偶像に供えて汚れた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避けるようにと、手紙を書くべきです。
(使徒言行録15章20節)
パウロとバルナバの話が終わると、ヤコブが口を開きました。このヤコブは漁師からイエス様の弟子になったゼベダイの子ではありません。彼は12章2節でヘロデ王から殺害されていました。
ここに出てくるヤコブは「主の兄弟ヤコブ」と呼ばれ、イエス様の弟、あるいはいとことされる人物です。彼はエルサレム教会の初代教会長を、紀元38年から62年まで務めたとされています。
彼はペトロとパウロの話を受け、異邦人を受け入れるという判断をします。ただしユダヤ人にも配慮するように、手紙を書くように付け加えます。「白か黒か」ではなく、これまで大事にしてきたことに対して配慮する、すばらしいバランス感覚だといえます。
318使徒言行録152229
 使徒たちは、次の手紙を彼らに託した。「使徒と長老たちが兄弟として、アンティオキアとシリア州とキリキア州に住む、異邦人の兄弟たちに挨拶いたします。
(使徒言行録15章23節)
エルサレム使徒会議で決議された内容は、手紙に書かれパウロやバルナバたちに託されることになりました。手紙を送りつけるだけでなく、また口頭だけでもなく、文書と説明をあわせておこなっていくのです。
このことによって教会の決議に、より大きな権威がもたされているようにも思えます。そもそも事の発端は、何の指示も受けていない人が、「異邦人にも割礼を受けさせるべきだ」と言い出したことにありました。
そのことを教会は、正していきます。手紙の途中に、「聖霊とわたしたちは」という記述があります。会議の中でも聖霊の導きを求め、この内容が決定するために聖霊が働いたということを明確にします。誰かの思いではなく、これは神さまの思いだということです。
319使徒言行録153035
 さて、彼ら一同は見送りを受けて出発し、アンティオキアに到着すると、信者全体を集めて手紙を手渡した。
(使徒言行録15章30節)
パウロやバルナバたちは、まずシリアのアンティオキアに行きます。この地はパウロの第一次宣教旅行で訪れた地です。エルサレム使徒会議での決定を彼らは聞きました。それは彼らにとって、「励ましの言葉」となりました。
会議の決定事項は時として、聞く人々に重圧を与えます。「ああしなさい」、「これはダメだ」との言葉は、人々に不快感を与えることもあるのです。しかし聖霊に満ちたこの手紙の内容は、人々を励まし、よき方向へ導くものとなりました。
それが「聖霊の働き」なのでしょう。わたしたちは自分の力に頼り、人を自分の思う方向へ導こうとすることがあります。しかしそうではなく、聖霊にすべてを委ね、お任せすることが大切なのです。
320使徒言行録153641
 しかしパウロは、前にパンフィリア州で自分たちから離れ、宣教に一緒に行かなかったような者は、連れて行くべきでないと考えた。
(使徒言行録15章38節)
議論の衝突は、現代の教会でもよく見られるものです。パウロの思いも理解できるし、バルナバの気持ちも痛いほどよく分かります。そして二人は自分の意見を譲ることができませんでした。その結果、別行動をとることになります。
これは、「分裂」でしょうか。そうではありません。二人はそれぞれの地に向かい、別々に行動しただけであり、アンティオキアの教会が二つに割れてしまったということではありませんでした。
わたしたちの間でも、意見の相違や衝突はあります。しかしその中で、「神さまのために」という思いさえあれば、たとえ方向性が違ったとしても根っこの部分は揺らがないのではないでしょうか。

バナースペース

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