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日ごとの聖書

ショートメッセージ 〜2024年2月21日〜29日

221「使徒言行録10916
 すると、また声が聞こえてきた。「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」
(使徒言行録10章15節)
コルネリウスは天使が言った通りに召使いと兵士を遣わして、ペトロを招こうとしていました。その同じとき、ペトロには幻が示されました。彼が見たのは、天が開き、大きな布のような入れ物が四隅でつるされ、降りてくる様子でした。
中に入っていたのは、四つ足の獣、地を這うもの、空の鳥でした。レビ記11章には食物規定が書かれていますが、たとえば豚は汚れているもの、禿鷲は忌むべきものなので食べてはいけないとされていました。そのため、「食べなさい」という声にペトロは躊躇します。
そのペトロに対し、「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない」という声が聞こえてきます。人間の思いを超えた神さまの思いが、ここに示されています。これも、「新しい契約(新約)」なのです。
222使徒言行録101723
 立って下に行き、ためらわないで一緒に出発しなさい。わたしがあの者たちをよこしたのだ。
(使徒言行録10章20節)
ペトロは生粋のユダヤ人でした。昨日の箇所では食物規定について書かれていましたが、他にも大切にされてきたことがあります。それは異邦人(ユダヤ人以外の人)とは関わらないということです。
コルネリウスは、ローマ兵の百人隊長です。つまりガチガチ?の異邦人です。その彼の使いがペトロの家に来るのです。もし幻を見ていない状況であれば、彼はその使いを追い返したかもしれません。
しかし神さまは、イエス様によって始まった新しい契約がどのようなものか、霊を使ってペトロに伝えようとしていました。ペトロは異邦人の使いである3人を、迎え入れて泊まらせました。ペトロが神さまによって、変えられていくのです。
223使徒言行録102433
 それで、お招きを受けたとき、すぐ来たのです。お尋ねしますが、なぜ招いてくださったのですか。
(使徒言行録10章29節)
ペトロがコルネリウスの元に到着したとき、コルネリウスはペトロの足元にひれ伏しました。もしこのときペトロが、「ユダヤ人は選ばれた民で偉いんだ」という気持ちがあったなら、そのまま立ってコルネリウスを見下ろしていたことでしょう。
しかしペトロはコルネリウスを起こし、「わたしも同じ人間です」と言います。「神が清めた物を、清くないなどと言ってはならない」と言われたことを、ちゃんと理解して行動に移しているペトロはすごいなと思います。
わたしも他宗教の人たちと交流することがあります。最初はとても緊張しますが、時間が経つにつれて打ち解けていくのがわかります。ペトロもそのように感じたのでしょうか。ただ「お招きをうけたとき、ためらわずに来た」というのは、「え?」と思いましたが。
224使徒言行録103443
 そこで、ペトロは口を開きこう言った。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。
(使徒言行録10章34節)
旧約聖書の考え方は大雑把にいうと、「神さまはイスラエルの人々を選ばれた。救いはまずイスラエルの人々に与えられる」ということです。旧約に出てくるイスラエルに敵対する民族に対する裁きや「約束の地」という考え方には、胸が苦しくなることもあります。
しかしペトロが気づかされたように、神さまは「分け隔てなさらない」方なのです。神さまはえこひいきすることなく、すべての人たちを愛されています。そしてその中には、わたしたちも含まれるのです。
民族宗教である「ユダヤ教」から、すべての人たちを救いに導く「キリスト教」への転換が、ここに見られます。わたしたちも閉鎖的な教会ではなく、すべての人を迎え入れる開かれた教会を目指していきましょう。
225使徒言行録104448
 割礼を受けている信者で、ペトロと一緒に来た人は皆、聖霊の賜物が異邦人の上にも注がれるのを見て、大いに驚いた。
(使徒言行録10章45節)
使徒言行録8章14〜17節には、フィリポが洗礼を授けたサマリアの人たちにペトロとヨハネが聖霊を降らせた記事が載せられています。今日の箇所は、どうもそのときとは逆になっているようです。
み言葉を聞く中で、聖霊が一同の上に降りました。その中には、異邦人であるコルネリウスも含まれていたのです。洗礼を受けていない、しかも異邦人の彼の上にも聖霊が降ったのは、人々にとって驚きでした。
神さまの恵みは、人間の思いをはるかに超えて驚くべき形であらわされます。わたしたちにも、どうしてこのようなことになるのかわからないといった経験があると思います。しかし神さまの目から見たら、すべて決められていたことなのかもしれません。
226使徒言行録11110
 ペトロがエルサレムに上って来たとき、割礼を受けている者たちは彼を非難して、「あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした」と言った。
(使徒言行録11章2〜3節)
う〜ん。いつの時代もこういう人たちっていますね。自分たちが守ってきたことだけが正しいと信じ、他の人の行為を認めない人たちが。割礼を受けていた人たちは、ペトロが異邦人と食事をしたことを非難しました。
ペトロはその非難に対し、「順序正しく」説明することを選択しました。非難に対して非難を返すのではなく、何があってこうなったのかということをきちんと伝えます。そしてその背後には、神さまの思いがあったことも告げるのです。
「わたしはこう思う」、「今までもこうしてきた」、その主張も確かに大切です。しかし神さまのみ心はどうなのか、自分の思いを大事にすることによって人を排除していないのか、そこに目を向けることも必要なのでしょう。
227使徒言行録111118
 そのとき、わたしは、『ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは聖霊によって洗礼を受ける』と言っておられた主の言葉を思い出しました。
(使徒言行録11章16節)
ペトロの状況説明は続きます。「ちょうどその時」とペトロが言うように、神さまが定めたタイミングで物事は進んでいきました。「何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある」(コヘレトの言葉3章1節)を思い起こさせます。
ペトロはさらに、「あなたがたは聖霊によって洗礼を受ける」というイエス様の言葉を引用します。洗礼者ヨハネだけでなくペトロなど人間は、水によって洗礼を授けます。しかし神さまは、聖霊を直接与えてくださるのです。
その神さまのみ業を、どうして妨げることができるだろうかとペトロは続けます。「あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」(マルコ8:33)と言われたペトロが、神さまによって変えられているのです。そしてペトロの言葉は、受け入れられました。
228使徒言行録111926
 しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。
(使徒言行録11章20節)
「ヤベツの祈り」をご存じでしょうか。歴代誌上4章9〜10節にあるもので、これを元にした本もいくつか出されています。簡単にいうと、「どうぞわたしが用いられる場所にわたしを遣わしてください」という祈りです。
様々な場所に散らされた人々は、それぞれの地で福音を伝えていきます。最初はユダヤ人以外の人にはみ言葉は伝えられていませんでしたが、それがギリシア語を話す人にまで福音が伝えられていきます。
そこにバルナバが遣わされます。彼は回心したサウロをエルサレムで引き受けた人物です。彼はサウロを捜し出し、教会で一緒に教えていきます。そしてその福音を信じた人たちは、「ユダヤ教の一派」ではなく「キリスト者」と呼ばれるようになっていきます。
229使徒言行録112730
 そこで、弟子たちはそれぞれの力に応じて、ユダヤに住む兄弟たちに援助の品を送ることに決めた。
(使徒言行録11章29節)
飢饉や自然災害、また戦争などの争いによって傷つけられた、苦しんでいる人たちが、今も世界中におられます。奈良基督教会ではこの1月・2月に能登半島地震の被災者のために義援金を集めています。
このような活動は、初代教会から続いていることです。今日の箇所には大飢饉が起こった際に、弟子たちが援助の品を集めて届けたという記事が載せられています。遠くに離れた人のことを思い起こし、行動を起こすのです。
そして聖書には、「それぞれの力に応じて」とあります。裕福な人だけが頑張ればいいというのではありません。レプトン銅貨2枚を献げたやもめ(ルカ21:1〜4)が褒められたように、皆が「できることをやる」のが大事なのです。

バナースペース

勤務地:日本聖公会 奈良基督教会
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牧師:司祭マタイ古本靖久
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