2月 1日「使徒言行録7:23〜29」 | ||||
それで、彼らの一人が虐待されているのを見て助け、相手のエジプト人を打ち殺し、ひどい目に遭っていた人のあだを討ったのです。 (使徒言行録7章24節) |
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ステファノは説教を続けます。次に語ったのは、モーセが40歳になったときの話です。モーセはファラオの手を逃れるため、生まれて三か月後に川に流されました。それを拾い上げたのは、ファラオの王女でした。 | ||||
モーセはその王女の子として育てられ、教育も受けてきました。ただ自分がイスラエル人であることは、知っていたようです。彼はイスラエルの人々に会うために出掛けますが、そこで目にしたのは、彼らが痛めつけられている現状でした。 | ||||
それを見たモーセは思わず、エジプト人を打ち殺します。ところがそのことは、他のイスラエルの人々に対して恐怖を与えます。彼はそのため、ミデヤンの地に離れざるを得ませんでした。モーセの思いは、イスラエルの人々には届きませんでした。 | ||||
2月 2日「使徒言行録7:30〜35」 | ||||
そのとき、主はこう仰せになりました。『履物を脱げ。あなたの立っている所は聖なる土地である。 (使徒言行録7章33節) |
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モーセはその後、燃える柴を目にします。モーセの前に現われたのは、出エジプト記では「主の使い」でした。しかし、使徒言行録では「天使」となっています。ルカ福音書にも天使(ガブリエル)が登場していました。 | ||||
ステファノは、モーセが神さまから語りかけられた場面を話します。神さまはイスラエルの人々を救うために、モーセを遣わすと言われました。出エジプト記にはモーセが何度も拒んだことが書かれていましたが、彼はそのことについては言及していません。 | ||||
神さまが言った、「わたしは、あなたの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である」という言葉は、神さまの救いの計画が連続性を持っていることを示します。その計画は、どこまで続いて行くのでしょうか。 | ||||
2月 3日「使徒言行録7:36〜43」 | ||||
この人がエジプトの地でも紅海でも、また四十年の間、荒れ野でも、不思議な業としるしを行って人々を導き出しました。 (使徒言行録7章36節) |
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モーセはエジプトを出る際、ファラオとエジプトに「十の災い」をもたらしました。そのたびに神さまはファラオの心を頑なにします。それはこれらの出来事によって、主の栄光があらわされるためだという説明がありました。 | ||||
しかしステファノは、これらの一つ一つの出来事には触れません。エジプト中の初子が打たれたことや、紅海が二つに割れてエジプトの軍隊が海の底に沈んでしまったことなど、語る内容はいろいろあったと思います。 | ||||
しかしここでステファノが語ったのは、イスラエルの人々の不平不満についてでした。さらにアロンに金の子牛の像を造らせ、いけにえを献げたことを語ります。そのことが、バビロン捕囚へと続いていったことも合わせて語るのです。 | ||||
2月 4日「使徒言行録7:44〜50」 | ||||
けれども、いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みになりません。これは、預言者も言っているとおりです。 (使徒言行録7章48節) |
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イスラエルの人々は、エルサレム神殿を大切にしていました。その神殿を最初に建てたのは、ソロモンでした。ソロモンの父ダビデはイスラエルの偉大な王でしたが、神殿を建てることはできませんでした。 | ||||
神殿が出来る前は、イスラエルの人々は神さまに命じられて幕屋を造り、そこで神さまを賛美していました。しかしステファノは預言者の言葉を引き合いに出して、このように語ります。「神さまは人の手で造ったものにはお住みにならない」と。 | ||||
神殿は、人が造ったものにすぎません。このステファノの言葉は、わたしたちにも響きます。建物としての教会を大切にすることは、確かに大事なことです。しかしそこだけに神さまが住んでいるわけではないということも、覚えておきたいものです。 | ||||
2月 5日「使徒言行録7:51〜53」 | ||||
かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖が逆らったように、あなたがたもそうしているのです。 (使徒言行録7章51節) |
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ステファノは説教の最後に、イスラエルの人々を非難します。出エジプトの際にモーセと神さまに対して背き続けてきたイスラエルの人々を引き合いに出し、「あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています」と指摘するのです。 | ||||
自分たちが信じ、正しいと思って来たことを否定するのは難しいことです。しかもステファノは「使徒」ではなく、執事に任命されたばかりの人でした。そんな人に何が分かるのか!と人々は思ったことでしょう。 | ||||
わたしたちも、同じようなことにならないように気をつけないといけません。自分の思いとは違う物を否定し、排除する。わたしたちがしがちなことです。ただそれが、聖霊、つまり神さまの思いに逆らっていることもあるのです。 | ||||
2月 6日「使徒言行録7:54〜60」 | ||||
それから、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。 (使徒言行録7章60節) |
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「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」というステファノの言葉は、人々にさらなる怒りを引き起こしました。神さまと人の子が見えるというのは、神を冒涜することに当たると考えられていたからです。 | ||||
冒涜の罪を犯した人には、石打ちの刑が待っていました。彼らは石を取り、ステファノを殺害します。しかしその中でステファノは、「この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫ぶのです。 | ||||
この言葉は、イエス様が十字架上で叫ばれた「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と響き合います。その光景を、サウロという若者が見ていました。このサウロこそ、のちにパウロと呼ばれていく人物です。 | ||||
2月 7日「使徒言行録8:1〜3」 | ||||
一方、サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた。 (使徒言行録8章3節) |
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ステファノの殺害現場に立ち会い、人々の上着の番をしていた若者サウロは、のちにパウロと呼ばれる人物です。彼は生粋のユダヤ人ファリサイ派として、エルサレムの教会に対して激しい迫害をおこなっていました。 | ||||
パウロがローマやコリント、エフェソなどの教会に送った手紙を読むと、そのような過去があったことなどなかなか信じられません。しかし使徒言行録は、パウロのいわゆる「過去の汚点」もあらわにします。 | ||||
それはわたしたち人間にとって、イエス様との出会いによって変えられることが何よりも大事だからです。あのパウロでさえも、最初から完璧な人間だったわけではありませんでした。わたしたちも、変えられるのです。 | ||||
2月 8日「使徒言行録8:4〜8」 | ||||
群衆は、フィリポの行うしるしを見聞きしていたので、こぞってその話に聞き入った。 (使徒言行録8章6節) |
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ステファノが殺害された後、使徒以外の人たちはユダヤとサマリアの地方に散ります。その中にフィリポという人物がいました。彼は6章5節で、ステファノらと共に「執事」として任命された人物です。 | ||||
ステファノの死によって、フィリポたちの行動は変わったのでしょうか。答えはノーです。彼らは散った先々で、み言葉を宣べ伝えていきます。フィリポはキリストを伝えるとともに、数々のしるしもおこないます。 | ||||
一緒に行動していた人物が殺害され、そしてエルサレム教会にも迫害が及んでした状況の中でも、彼らは宣教をやめようとはしませんでした。いろいろな「できない」理由を考えて宣教をおざなりにしてしまうときにこそ、この箇所を思い起こしたいと思います。 | ||||
2月 9日「使徒言行録8:9〜13」 | ||||
しかし、フィリポが神の国とイエス・キリストの名について福音を告げ知らせるのを人々は信じ、男も女も洗礼を受けた。 (使徒言行録8章12節) |
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サマリアの町に、シモンという人物がいました。イエス様の弟子である「シモン・ペトロ」とは別人です。サマリアのシモンは、長い間魔術を使って人々を驚かせ、偉大な者だと言われていました。 | ||||
しかしフィリポが福音を伝えると、人々はそれを信じて洗礼を受けていきます。フィリポによって人々の目が開かれ、魔術ではなく真理を受け入れることができたというのでしょう。魔術による驚きと信仰とは、まったく別のものなのです。 | ||||
シモン自身も、フィリポから洗礼を受けます。一見すると、シモンは神さまの前に悔い改め、シモンの弟子になったように思えます。しかしそこには、よこしまな心がありました。明日以降の箇所に、その内容が書かれて行きます。 | ||||
2月 10日「使徒言行録8:14〜17」 | ||||
ペトロとヨハネが人々の上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。 (使徒言行録8章17節) |
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日本聖公会は、主教制を敷いています。主教の働きの一つに、信徒按手というものがあります。洗礼は各教会の牧師が授けますが、主教巡回のときに「堅信式」をおこないます。その中で「聖霊を満たしてください」と、主教が信徒の頭に手を置きます。 | ||||
執事であったフィリポの洗礼は、イエス様の名によって授けられたものでした。その洗礼を受けた人々の元に使徒であるペトロとヨハネが行って手を置くことで、聖霊が降ったということです。 | ||||
日本聖公会に所属する立場としては、主教が巡回して洗礼をすでにうけている信徒に按手する流れが想起され、特に違和感はありません。しかし主教制をとらない教派にとっては、議論が分かれるところだと思います。 |