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日ごとの聖書

ショートメッセージ 〜2024年1月11日〜20日

111「使徒言行録23742
 ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。
(使徒言行録2章41節)
ペトロの説教を聞いて、人々は心打たれました。これは「感動」というよりも、「動揺」というイメージの言葉です。彼らは過去自分たちがしてきたことに対して、そしてこれから先自分たちがどのようにすべきかについて、考えていきます。
ペトロはそのような彼らに、「悔い改めなさい」と語ります。聖書に出てくる「悔い改め」とは、心を入れ替えて反省するというレベルではなく、神さまに背を向けていた生き方から180度向きを変えて神さまに向き直ることです。
ペトロの言葉を聞き、その日だけで3000人の人が洗礼を受けました。10時間洗礼を与え続けたとしても、12秒に1人洗礼を受けた計算になります。すごい光景が繰り広げられていたことでしょう。
112使徒言行録24347
 すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。
(使徒言行録2章43節)
「恐れ」という言葉が、唐突に出てきます。昨今の宗教に対する世間的なイメージと重ね合わせると、彼らは「恐れ」によってマインドコントロールされ、支配されているのではないかと思うかもしれません。
しかし、その「恐れ」の原因は使徒たちの不思議な業としるしであり、彼らは神さまに対する「畏れ」に似た感情を持ったとも読めます。その結果、人々はすべての物を共有し、必要に応じて財産や持ち物を売って共に分け合いました。
その生活の基礎にあるのは、昨日の箇所の最後の節(2章42節)にある「交わり」「パン裂き(礼拝)」「祈り」です。彼らは単なる社会福祉団体ではなく、祈りと賛美の共同体として歩んでいったのです。
113使徒言行録3110
 ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」
(使徒言行録3章6節)
ペトロとヨハネはユダヤ教の慣習に倣い、神殿での日に三度の祈りをしていました。このころはまだ「キリスト教」という独自の宗教ではなく、あくまでも「ユダヤ教の一派」という認識だったようです。
神殿の入り口にある門のところには、施しを乞う人たちが集められます。というのもユダヤの人たちにとって、困っている人に施しを与えることは、祈ることと同様に敬虔な行為だとされていたからです。しかしペトロはそのとき、金や銀は持っていませんでした。
けれどもペトロにとって、金や銀など必要ありませんでした。なぜならそれよりも素晴らしいものを与えることができることを知っていたからです。わたしたちもたとえこの世の富を持っていなかったとしても、比べ物にならないほど素晴らしい物が与えられているのです。
114使徒言行録31116
 あなたがたは、命への導き手である方を殺してしまいましたが、神はこの方を死者の中から復活させてくださいました。わたしたちは、このことの証人です。
(使徒言行録3章15節)
「美しい門」でペトロに「歩きなさい」と命じられた生まれつき足の不自由な男の人は、踊りあがって立ちあがり、歩き出しました。そしてそのまま、ペトロとヨハネに付きまとっていたそうです。「付きまとう」と書かれると、ストーカーのようにも感じますが。
ペトロは、人々が驚いて自分の元に来るのを見て言います。「なぜわたしたちが自分の力で歩かせたような目で見るのか」と。つまりペトロは、この奇跡は自分の力ではなく、イエス様の名によってなされたことだと強調しているのです。
今日の箇所の後半に、「信仰」という言葉が二度出てきます。わたしたちが何かおこなったとしても、それは信仰によりイエス様がなさったことだということを、わたしたちも意識していけたらと思います。なかなか難しいことですが。
115使徒言行録31726
 それで、神は御自分の僕を立て、まず、あなたがたのもとに遣わしてくださったのです。それは、あなたがた一人一人を悪から離れさせ、その祝福にあずからせるためでした。
(使徒言行録3章26節)
ペトロにとって、ユダヤの宗教指導者たちや民衆は、イエス様を十字架によって殺害した「仇(かたき)」でした。ピラトがイエス様を釈放しようとしたときも、彼らはそれを拒み、「十字架につけろ!」と叫びました。
しかしペトロはそのことを、「無知のためであった」と言います。イエス様が十字架上で語った「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。(ルカによる福音書23章34節)」と響き合います。
神さまがイエス様を遣わし、ペトロたちに聖霊を与えたのは、報復や復讐のためではなく、すべての人が神さまに立ち返るためです。宗教や民族を超えてすべての人がその対象になっているということを、今を生きるわたしたちも覚えておきたいものです。
116使徒言行録414
 ペトロとヨハネが民衆に話をしていると、祭司たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々が近づいて来た。
(使徒言行録4章1節)
サドカイ派は祭司を中心とした裕福な人たちでした。彼らはモーセ五書(創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・申命記)のみを聖典としていました。そのためダニエル書などに出てくる「死者の復活」などは、認めていませんでした。
ペトロとヨハネは民衆に、イエス様が死者の中から復活したということを宣べ伝えていました。その教えは、自分たちが信じていることとは異なっていたため、彼らを捕らえ、留置場に入れたのです。
わたしたちも自分とは違う考えを耳にしたときに、戸惑うことがあります。しかし違うからといって、SNSで批判したりその考えを封じ込めたりするのはどうなのでしょう。ペトロの言葉は押さえつけられていきますが、信じる人はますます増えていきます。
117使徒言行録4512
 ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。
(使徒言行録4章12節)
前日の夕方に留置されたペトロとヨハネは、議員、長老、律法学者たち、大祭司一族の真ん中に立たせられました。そして尋問を受けるのですが、そのときペトロは聖霊に満たされました。
「会堂や役人、権力者のところに連れて行かれたときは、何をどう言い訳しようか、何を言おうかなどと心配してはならない。言うべきことは、聖霊がそのときに教えてくださる。(ルカによる福音書12章11〜12節)」とイエス様が言われたのを思い出します。
わたしたちもペトロのように聖霊に満たされ、「ほかのだれによっても、救いは得られません」とイエス様を宣べ伝える者となれるでしょうか。このペトロの堂々とした姿は、福音書の記述からは考えられないものです。
118使徒言行録41322
 わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。
(使徒言行録4章20節)
取り調べをしていた人々は、堂々としたペトロとヨハネが無学な普通の人であることに驚きました。イエス様がナザレで宣教したときに、「あの人は大工の息子ではないか」と言われた場面を思い出します。
二人は漁師でした。律法学者やファリサイ派のように、普段から様々なことを学んでいたわけではありませんでした。このような人たちをイエス様が弟子にしたのは、神さまにのみ寄り頼むことが必要だと学ばせるためだったのかもしれません。
取り調べをしていた人々は驚き、彼らがこれ以上語るのを禁止しようとします。しかし彼らは、語らずにはおられないと答えました。それほどイエス様の出来事は、人に伝えたいものだったのです。わたしたちもそのようになりたいものです。
119使徒言行録42331
 祈りが終わると、一同の集まっていた場所が揺れ動き、皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだした。
(使徒言行録4章31節)
ペトロとヨハネは釈放される際、さらなる脅しを受けました。彼らはイエス様の名によって、一切話したり教えたりしないようにと命じられました。そしてそれらのことを、ペトロとヨハネは仲間たちに報告しました。
それを聞き、仲間たちは心を一つにして神さまに向かって声を上げました。その内容は、「堂々とみ言葉を語れるようにしてください」というものです。「敵を滅ぼしてください」という祈りではありませんでした。
その祈りは、神さまのみ心に適ったのでしょう。祈りが終わると、彼らがいた場所が揺れ動き、彼らは聖霊に満たされました。「聖霊降臨」の再来です。聖霊降臨は何度でも繰り返されるのです。
120使徒言行録43237
 信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。
(使徒言行録4章32節)
聖公会では聖餐式の中で、奉献の中で信施(献金)を集めます。その際に司祭は「全能の父なる神よ、この「信施」供え物を受け、主のみ業のために用いてください」と祈ります。
そして会衆は、「すべてのものは主の賜物。わたしたちは主から受けて主に献げたのです アーメン」と応えます。すべてのものは神さまから頂いたものであり、その中の一部をお返しするのだということです。
初代教会においても、「すべてのものは主の賜物」という考えが大事にされていたのでしょう。そしてその「すべて」に入るのは、財産や土地、お金だけではありません。わたしたち一人ひとりも神さまのものです。その賜物も働きも、みんなで用いていくことが大事なのです。

バナースペース

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牧師:司祭マタイ古本靖久
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