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日ごとの聖書

ショートメッセージ 〜2024年1月1日〜10日

1月 1「使徒言行録115
 イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。
(使徒言行録1章3節)
今年は使徒言行録からガラテヤの信徒への手紙までを少しずつ読んでいきたいと思います。使徒言行録の冒頭には、「テオフィロ様」という呼びかけがあります。彼はルカ福音書1章3節にも登場した人物です。
つまりこの使徒言行録は、ルカによる福音書の続編(第二巻)として記されたことが分かります。ただしルカ福音書によると復活日の夕方にイエス様は昇天したことになっていますが、使徒言行録では40日間使徒たちと共にいたと書かれています。
イエス様がどれくらいの期間、どこにいたのかはそれほど重要ではないということでしょう。イエス様が共に食事をし、神の国について話され、聖霊による洗礼を約束されたということだけが大切なのです。
1月 2使徒言行録1611
 こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。
(使徒言行録1章9節)
マタイによる福音書は、「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。(マタイ28:19〜20)」という宣教命令で終わります。
「あなたがたの上に聖霊が降ると〜地の果てに至るまで、わたしの証人となる」という今日の箇所の言葉は、使徒言行録における宣教命令だと捉えることが出来ます。この書物の最初にこの命令が書かれている意味は何なのでしょうか。
それは、この書は使徒たちによる宣教の働きを中心に伝えていくということです。福音書がイエス様の働きを伝えたのに対し、使徒言行録は使徒たちがどのようにして福音を伝えていくのかにスポットを当てるのです。
1月 3使徒言行録11214
 彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。
(使徒言行録1章14節)
当時キリスト教はそのような名前で呼ばれることはなく、ユダヤ教の一派である「ナザレ派」と呼ばれていたようです。従って、ユダヤ教の掟である安息日も彼らはきちんと守っていました。安息日に歩くことができる距離はせいぜい900mほどだそうです。
彼らはエルサレムの家の二階に集まりました。二階というのは、山や荒れ野、神殿と同様に、他の人々と離れて神さまと対峙する場所という意味もあったようです。イエス様の最後の陪餐も「二階の広間(ルカ22:12)」でおこなわれました。
人々の中には、イエス様の母マリアもおりました。またイエス様の兄弟も一緒にいたことが分かります。福音書の中では否定的に描かれていた彼らですが、後に「主の兄弟ヤコブ」はエルサレム教会の中心人物になっていきます。
1月 4使徒言行録11520
 兄弟たち、イエスを捕らえた者たちの手引きをしたあのユダについては、聖霊がダビデの口を通して預言しています。この聖書の言葉は、実現しなければならなかったのです。
(使徒言行録1章16節)
彼らは、120人程の集まりになっていました。独立したユダヤ教の集まりを形成するのに必要な人数は、120人(ただし成人男子で)だったそうです。つまり彼らは、法的にも認められた存在になっていたということです。
ここでペトロは演説をします。使徒言行録には使徒たちの演説が多く見られます。言葉によって、福音が伝えられていくのです。彼は最初の演説の中で、イエス様を裏切ったイスカリオテのユダについて言及します。
ペトロはユダの行動について、「〜しなければならなかった」と言います。原語のギリシア語では、神さまによる行為を示す言葉が使われています。ユダは神さまが彼に与えられた務めを果たしたのだと、ペトロは語るのです。
1月 5使徒言行録12126
 二人のことでくじを引くと、マティアに当たったので、この人が十一人の使徒の仲間に加えられることになった。
(使徒言行録1章26節)
ルカによる福音書および使徒言行録の中では、「使徒」と「弟子」とは明確に分けられています。使徒はイエス様が洗礼を受けたときから天に上げられた日まで、いつも一緒にいた者でなければなりません。
しかしルカ福音書によれば、イエス様は洗礼を受けた後に四人の漁師を弟子にしています。その彼らも使徒と呼ばれているのは何故なのだろう?という疑問は生まれます。パウロは正当な使徒ではないということをここではっきりしておきたいということでしょうか。
さてユダヤ人にとって、12という数字はイスラエル12部族に見られるように大切なものでした。そこで彼らは、11人に減った使徒の数を12に戻すことにします。ただ自分たちで決めるのではなく、最後はくじを引きます。まさに「かみさまのいうとおり」です。
1月 6使徒言行録214
 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。
(使徒言行録2章3節)
教会では復活日の7週間後に、聖霊降臨日の礼拝をおこないます。そのときに必ず読まれるのが、今日と明日の箇所です。激しい風が吹いて来るような音(ということは実際には風は吹いていない?)が天から起こりました。
そして「炎のような舌」が使徒たち一人一人の頭の上にとどまりました。この様子は、想像するだけで少し不思議な感じがします。炎は聖霊を現しています。聖霊によって人々に言葉が与えられたということでしょうか。
使徒たちは、霊が語らせるままにほかの国々の言葉で話しだしました。バベルの塔の物語で言葉がバラバラになったのが、元に戻ったという意味もあるでしょう。またこれから使徒たちが語る福音が、人々の理解できるものになっていくということも示しているようです。
1月 7使徒言行録2513
 人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。
(使徒言行録2章12節)
五旬祭の出来事は、人々に大きな驚きを与えました。神さまは「目に見え、耳で聞くことができる」しるしを使徒たちに与えました。人々が何よりも驚いたのは、ガリラヤの人が自分たちの故郷の言葉で語っていることでした。
聖書には、そのときエルサレムに集まっていた人がいかに様々な地方から来ていたのか、列記しています。五旬祭のためにエルサレムには、遠くからも多くの巡礼者が来ていたのでしょう。
このとき使徒たちが語った言葉は、いわゆる「異言」ではなく、それぞれの故郷の言葉として理解できるものでした。ですから、お酒によってろれつが回らない状態ではありません。この驚きの中で、人々はペトロの説教を聞くことになります。
1月 8使徒言行録21421
 そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。
(使徒言行録2章16節)
聖霊が使徒たちに降ったあと、ペトロは他の11人と一緒に立ち上がり、声を張り上げて説教を始めます。福音書のペトロの姿を知るわたしたちにとって、「これは別人か?」と思うほどです。
わたしたちも神さまによって、変えられていきます。ペトロほど大胆に語ることはないにせよ、誰かに手を差し伸べたり誰かのために祈ったり、聖霊に押し出されて動かされたという経験は、みなさんもあるのではないでしょうか。
ペトロの言葉の中に、「若者は幻を見、老人は夢を見る」というヨエル書の言葉が出てきます。イエス様の十字架と復活によって、夢や幻が現実のものとなってきたのだ、とペトロは語ります。
1月 9使徒言行録22228
 しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。
(使徒言行録2章24節)
次にペトロは、ダビデの言葉を引用します。これは詩編第16編にある言葉で、日本聖公会の祈祷書では、葬送式の告別の祈りのあとに用いられています。
司式者が「主は命の道をわたしに示される」というと、会衆は「主のみ前には満ち溢れる喜びがあり、主の右には永遠にもろもろの楽しみがある」と応じます。愛する方と地上での別れをするときに、すべてを神さまにお委ねするのです。
神さまはイエス様を死の苦しみから解放し、復活させられました。それはわたしたちもまた、永遠の滅びとしての死から解放され、神さまの元での魂の憩いにあずかるためです。その喜びを、ペトロは人々に伝えずにはおられなかったのです。
1月 10使徒言行録22936
 それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。
(使徒言行録2章33節)
ヨハネによる福音書14章26節に、このようにあります。「しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる」。
ペトロはこの説教の中で、イエス様が復活されたことを何度も繰り返します。また旧約聖書を引用して、そのことを説明していきます。ペトロは学者ではなく、漁師でした。しかし彼の言葉は、自身に満ちていました。
ペトロは語る言葉を聖霊によって教えられ、そして聖霊に力づけられて語っていったのでしょう。そこには、イエス様を三度も否認し、十字架の場面から逃げたしたペトロの姿はもう見られません。

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