本文へスキップ


日ごとの聖書

ショートメッセージ 〜2023年12月21日〜31日

12月 21出エジプト記38920
 柱の台座は青銅、柱の鉤と桁は銀、柱頭は銀で覆われ、庭の柱はすべて銀の桁でつなぎ合わされていた。
(出エジプト記38章17節)
次に、庭が造られます。その作業の中で使われているのは、青銅と銀です。当時はまだ、鉄は使われていなかったのでしょう。青銅の杭とはどのようなものなのか、興味もあります。
庭までが造られたところで、幕屋建設の記録は終わります。モーセが命じられたことがそのまま実行されていることが、この記録からうかがえます。あえてこの記述を残した意味は、何なのでしょうか。
それは後世に、「神さまからの指示をきちんと遂行した」ということを伝えたかったのだと思います。神さまに命じられたことをちゃんとやったから、神さまも自分たちに約束したことを守ってくれる、その信仰が根底にあるのです。
12月 22出エジプト記382123
 以下、掟の幕屋である幕屋建設の記録は、モーセの命令により、祭司アロンの子イタマルの監督のもとに、レビ人が担当した。
(出エジプト記38章21節)
イタマルは、アロンの四男です。6章23節によれば、アロンにはナダブ、アビフ、エルアザル、イタマルという4人の息子がいました。しかしレビ記10章によると、ナダブとアビフは規定外の火を主の前に献げ、死んでしまいます。
今日の記述との時系列は不明ですが、幕屋建設に関してはイタマルが指導者として活躍していたようです。ただ幕屋建設はかなり重要なことです。それを任されたということは、モーセの信頼も厚かったのでしょう。
またベツァルエルとオホリアブの名前も書かれます。彼らがおこなったことは、神さまの目に正しいことだったのでしょう。しかし名前が載せられない多くの人の力があって幕屋建設が完了したことも、忘れてはならないと思います。
12月 23出エジプト記382431
 銀百キカルは聖所と垂れ幕の台座を鋳造するために使われ、台座一個につき銀一キカル、百個の台座に銀百キカルを必要とした。
(出エジプト記38章27節)
このような数字を見ると、すべて現在の価値に変えたくなるのは、理数系の性なのでしょうか。金は全部で29キカル730シェケル使われました。これは約1000kg、つまり1トンの金が使われたことになります。
さらに銀は、100キカル1775シェケル、つまり約3440kg、およそ3.5トンです。そして青銅は、70キカル2400シェケル、約2321kgというとてつもない量が使われたことになります。
神さまの臨在する場所は、それほどにも大切なところなのだということなのでしょう。イスラエルの民60万3550人が献げた銀は、このようにして用いられました。ただ今の教会がこのようなものを造ると、様々な批判を集めそうです。
12月 24出エジプト記3917
 彼らは主がモーセに命じられたとおり、青、紫、緋色の毛糸を使って、聖所で仕えるために織った衣服を作った。すなわち、アロンの祭服を作った。
(出エジプト記39章1節)
幕屋建設が終わると、祭服、エフォド、肩ひもを作っていきます。「主がモーセに命じられたとおり」という言葉が、今日の箇所に二度出てきます。これがこれらの箇所の強調点なのでしょう。
聖公会の礼拝でも、祭服(式服)を着て礼拝をおこないます。最初は非常に戸惑いましたが、ようやく慣れてきました。ただ式服を脱いだとたん、「牧師先生はどこいかれました?」と捜されたこともありますが。
そしてカーネリアン(きれいな石です)にイスラエルの子らの名を彫ります。ここでいうイスラエルとはヤコブのことで、のちに12部族となるルベンやダンといった名前を彫るのです。これも神さまが命じたとおりでした。
12月 25出エジプト記39821
 次に、金、青、紫、緋色の毛糸、および亜麻のより糸を使って、エフォドと同じように、意匠家の描いた模様の胸当てを織った。
(出エジプト記39章8節)
インターネットで「アロン 祭服」と調べると、この聖書の記述を再現した画像が見つかります。12種類の宝石がはめ込まれた胸当ては、大きさが1ゼレト(約22.5cm)の正方形です。
大河ドラマなどで戦う人が付けている胸当ては、敵の攻撃を防御するためのものです。しかしここに出てくる胸当ては、防御が目的ではないようです。イスラエル民族を胸に刻むことが大切なのでしょう。
イスラエル12部族を意味する12の宝石の重みは、それぞれの部族に属する人たちの重みです。アロンやその任を受け継ぐ人たちは、すべての人の思いを受け取りながら、様々な祭儀に臨んでいったのです。
12月 26出エジプト記392231
 鈴の次にざくろの飾り、鈴の次にざくろの飾りと、上着の裾の回りに付けた。これは、主がモーセに命じられたとおりに仕えるためであった。
(出エジプト記39章26節)
続いて、エフォド用の長衣を青一色の織物で作ります。真っ青な長衣は、とても美しく目立ったことでしょう。その長衣の裾には、ざくろの飾りを付けます。一瞬「どくろ」に見えて、ドキッとしましたが。
短衣やターバンなどは、アロンだけではなくその子らのためにも作られました。亜麻布に、一回一回「上質の」と注釈がつけられているのが、面白いなあと思います。さらに花模様の額当てを、純金で作ります。
その額当てには、「主の聖なる者」と彫られています。牧師が首につけている白いカラーは、その人が神さまに属する者というしるしです。この額当てと、同じような考え方なのかもしれません。
12月 27出エジプト記393243
 モーセがそのすべての仕事を見たところ、彼らは主が命じられたとおり、そのとおり行っていたので、モーセは彼らを祝福した。
(出エジプト記39章43節)
会見の幕屋の建設は、これで完了しました。現在奈良基督教会では牧師館の建設をおこなっていますが、早く完了しないか、待ち遠しいです。そしてこれまでも何度も強調されてきたように、「主がモーセに命じられたとおりに」、すべておこなわれてきました。
モーセは神さまから聞いたことをイスラエルの人々に伝え、イスラエルの人々はそれを実行しました。モーセはずっとそばについていたわけではなく、最後にすべての仕事を見にきただけです。
わたしだったら気になって、何度も足を運んでしまうかもしれません。しかしそれぞれの役割をそれぞれ任された人がおこなうことができれば、こんなに素晴らしいことはないでしょう。モーセはそんな彼らを祝福しました。
12月 28出エジプト記40116
 第一の月の一日に幕屋、つまり臨在の幕屋を建てなさい。
(出エジプト記40章2節)
いよいよ出エジプト記も、最後の章に入りました。神さまはモーセに、幕屋を建てるように言われます。これは一から作るというのではなく、すでにモーセのところに運んでこられた幕屋を設置するという意味でしょう。
神さまはその日を、第一の月の一日に設定されました。一年の最初の日、いわゆる「お正月」です。(実際はこの日は秋でしたが)。神さまはこの大事な新しい関係の幕開けを、一年のスタートに持ってこられました。
この「毎日聖書」を読んでいる人も、もうすぐ新年を迎えます。自分自身を神さまのための幕屋として、備えてみてはどうでしょうか。神さまにすべてを用いていただけるよう、祈り求めてはいかがでしょうか。
12月 29出エジプト記401725
 次に、幕屋の上に天幕を広げ、更にその上に天幕の覆いを掛けた。主がモーセに命じられたとおりであった。
(出エジプト記40章19節)
第二年というのは、モーセとイスラエルの人々がエジプトを出て二年目ということです。シナイに到着してから約9ヶ月が経った時期だと思われます。その新年の始まりに、幕屋が組み立てられました。
イスラエルの人々は荒れ野を40年間さまよいますので、まだまだ序盤もいいところです。ですから「出エジプト記」は、エジプトを出て神さまから契約をいただいたということがメインテーマとなっているのです。
本当であればこのまま「レビ記」「民数記」「申命記」「ヨシュア記」と読み進めて、イスラエルの人々がどのようにしてカナンの地に入ったのかを学びたいところですが、来年は一旦新約聖書に戻りたいと思います。(旧約が嫌というわけではありません。念のため)
12月 30出エジプト記402633
 この幕屋、つまり臨在の幕屋の入り口に焼き尽くす献げ物の祭壇を設け、焼き尽くす献げ物と穀物の献げ物をその上でささげた。主がモーセに命じられたとおりであった。
(出エジプト記40章29節)
いよいよ幕屋の運用開始です。会見の幕屋の垂れ幕の前に置いた金の祭壇の上でかぐわしい香をたき、会見の幕屋の入り口では焼き尽くすいけにえと穀物の供え物を献げます。すべて主がモーセに命じたとおりです。
わたしが司祭になって初めて聖餐式を司式したとき、とても緊張したのを思い出します。「言葉を言い間違えてしまったらどうしよう」、「十字を切るなどの所作はどうしたらよかったっけ?」、いろんな不安が渦巻いていました。
しかし礼拝は、「喜びのとき」であることを忘れなければ、大丈夫です。聖書朗読もオルターも、たとえ間違えたとしても許されます。ただ旧約の時代は、そうはいかなかったかもしれません。アロンはとても緊張したでしょう。
12月 31出エジプト記403438
 雲が幕屋を離れて昇ると、イスラエルの人々は出発した。旅路にあるときはいつもそうした。
(出エジプト記40章36節)
ついに2023年の聖書通読が終わります。何気なく始めた創世記と出エジプト記でしたが、とっつきにくいところも多くあり、なかなか大変でした。みなさんはいかがだったでしょうか。
出エジプト記の最後は、イスラエルの人々がこれ以降も旅を続けるという記述で終わります。雲が神さまの栄光のしるしとなって、イスラエルの人々を導きました。彼らはその雲によって、神さまが共に歩んでくださることを知るのです。
わたしたちの信仰の旅も、まだまだ続きます。目に見えるしるしはなかなか与えられませんが、神さま(イエス様)がいつも共にいてくださることを信じ、新しい一年も歩んでいきましょう。神さまの祝福が、豊かにありますように!

バナースペース

勤務地:日本聖公会 奈良基督教会
 教会HPはこちら

〒630-8213
奈良市登大路町45

TEL 0742-22-3818

牧師:司祭マタイ古本靖久
副牧師:司祭エレナ古本みさ