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日ごとの聖書

ショートメッセージ 〜2023年12月11日〜20日

12月 11出エジプト記3617
 既にささげられた物は、作業全体を仕上げるのに十分で有り余るほどあった。
(出エジプト記36章7節)
聖所をつくるための準備は、順調に進められていきます。このような場合、民が無理やり献品をするように強要されることがよくあります。しかしここでは、「自発的」におこなわれていたようです。
しかもその「自発の献げ物」は、必要な量をはるかに超えていたそうです。つまり最初から各自に量が割り当てられていたのではなく、おのおのがささげたいと思った分をささげたということなのでしょう。それが結果的に、すごい量になったのです。
教会でも、会堂建築や様々な補修などで、献金を呼びかけることがあります。そのときに、思いもしない良い結果が与えられることがあります。「神さまのために」ささげるとき、その根底に神さまの力が働くのかもしれません。
12月 12出エジプト記36813
 仕事に従事する者のうち、心に知恵のある者はすべて、幕屋に用いる十枚の幕を織った。すなわち、亜麻のより糸、青、紫、緋色の毛糸を使って意匠家の描いたケルビムの模様を織り上げた。
(出エジプト記36章8節)
幕屋とは神さまを礼拝する場所で、「宿り場」とも訳されます。神さまがそこに宿ってくださるという意味でしょうか。すでに神さまが指示された通りの材料と寸法と手順で、心に知恵のある人たちが作っていきます。
幕を張ることでできた部屋のような場所で、いつも神さまを礼拝できるようにしたのでしょう。ただ荒れ野を移動していた彼らには、木造建築のような幕屋は作ることができませんでした。
奈良基督教会は、「宮大工」の方の設計によって建てられました。普段はお宮さんなどを手掛けておられたそうですが、教会建築のためにたくさんの知恵を用いられました。神さまがそのようにご計画なさったのでしょう。
12月 13出エジプト記361419
 次に、山羊の毛を使って十一枚の幕を作り、幕屋を覆う天幕とした。
(出エジプト記36章14節)
天幕とは、幕屋を覆うテントのようなものです。キャンプなどで使う「タープ」を想像すると、一番近いのかもしれません。(あまりキャンプに興味のない方には、分かりにくいたとえですいません。)
親愛幼稚園の園舎保育室には、天蓋(てんがい)が掛けられています。その空間は、子どもたちにも安らぎを与えるようです。赤ちゃんのベッドの周りを白い布で覆うのと、同じなのかもしれません。
イエス様の時代にも、幕屋や天幕は作られていたようです。パウロは「テント造り」を職業としていました。ただパウロが造る幕屋は後から出てくる「贖いの座」などを入れるようなものではなかったと思います。
12月 14出エジプト記362034
 それぞれの壁板に二つの柄を作って隣の壁板とつなぎ合わせた。幕屋の壁板全部に同じものを作った。
(出エジプト記36章22節)
幕屋の壁板は、アカシヤ材で作られます。アカシヤ材は今もフローリングなどで使われている木材です。そのメリットを調べてみると、落ち着いた色合いで、耐久性・加工性に優れているとありました。
また伸縮が少なく安定しているので、人が頻繁に踏む場所にも適しているそうです。ただしイスラエルの幕屋は、それほど人が出入りしなかったと思いますが。またアカシヤは成長が早いため、コストもお手頃だそうです。
一方デメリットですが、熱が逃げやすく、表面が冷たくなりがちだそうです。ユダヤはとても暑い地域ですので、これはかえって良いことかもしれません。神さまは彼らに、最も適した木材を指定されたということでしょう。
12月 15出エジプト記363538
 金箔で覆ったアカシヤ材の四本の柱の金の鉤に掛けた。柱のために四つの銀の台座を鋳造した。
(出エジプト記36章36節)
さらに垂れ幕の中に、ケルビムを織り出します。ケルビムはアダムとエバが神さまとの約束を破って楽園を追い出されたときに、エデンの園の東に炎の剣と共に神さまが置かれた天使です。
この天使ケルビムは神さまの姿を見ることができる(智・ソフィア)ため、「智天使」とも呼ばれます。ただその姿はエゼキエル書10章21節によれば、4つの顔と4つの翼を持ち、その翼の下には人の手のようなものがあると書かれます。
契約の箱の上にもケルビムの金細工が乗せられましたが、この刺しゅうや金細工はどのような形で描かれたのでしょうか。翼をもった動物のような形なのか、それとも顔と翼が4つずつあるのか。どうなのでしょう。
12月 16出エジプト記3719
 一対のケルビムは向かい合い、顔を贖いの座に向け、翼を広げてこれを覆った。
(出エジプト記37章9節)
続いて箱と贖いの座を作ります。「ベツァルエルはアカシヤ材で箱を作った」とここだけは、誰が作ったかがはっきり書かれています。この「箱を作る」という作業は、特別なものなのでしょう。
箱は内側も外側も、純金で覆われました。また贖いの座も、純金で造られます。確かに豪華なのですが、福音書にあるイエス様の行動を読むと、どうしても違和感を覚えてしまいます。
幸福の王子の物語や、アシジのフランシスコのおこなったことと、どうしても比較してしまいます。ただ批判だけを繰り返すと、高価な香油をイエス様に注いだ女性を批判したユダと、同じ場所に立ってしまうようにも思えてしまいます。
12月 17出エジプト記371016
 また、机で用いる祭具を作り、ぶどう酒の献げ物をささげるのに用いる皿、柄杓、水差し、小瓶を純金で作った。
(出エジプト記37章16節)
ここで作られる台の上には、供えのパンが置かれます。わたしの実家には仏壇と神棚があり、毎朝父がそこにご飯をお供えしていました。夕方にはそれを引き上げるのですが、その頃にはご飯はカピカピになっていました。
ここで供えられるパンは、常に絶やしてはいけないと命じられていました。ですから新しいパンが焼けると、古いものと交換をしていたようです。そして古いパンは、祭司だけが食べていたようです。
サムエル記上21章4〜7節には、その聖別された、供えられていたパンをダビデが食べたという記述があります。ダビデはそのころサウル王から逃げていましたが、そのパンによって命を長らえることができました。
12月 18出エジプト記371724
 彼は純金で燭台を作った。燭台は、打ち出し作りとし、台座と支柱、萼と節と花弁が一体であった。
(出エジプト記37章17節)
続いて純金で、燭台(メノラー)を作ります。結婚式場に行くと、大変豪華な燭台が使われていることがあります。でも多分、金メッキ。純金ではないと思います。(すいません、ひがみです)
燭台と合わせて、七つの灯皿、芯切り鋏、火皿をすべて純金で作ります。その合計は1キカルだそうです。1キカルは34.2kgです。金の相場を調べてみると、1gあたり税込みで10,719円(12月5日の情報)でした。
ということは1キカルの純金は、現在の価値でなんと3億6658万9800円!金が豊富に産出していたのでしょうか。こういう計算をしてしまうところが、貧乏性だと言われる所以なのです。
12月 19出エジプト記372529
 彼はアカシヤ材で香をたく祭壇を造った。寸法は縦一アンマ、横一アンマの正方形に、高さ二アンマとした。そして、その四隅の角を祭壇から生えるように作った。
(出エジプト記37章25節)
次に、香をたくための祭壇を作ります。あとで焼き尽くすいけにえのための祭壇が出てきますので、これらは別々に作られていたようです。1アンマは約45cmですので、この台は45cm四方で高さが90cm。思ったよりも小さいものです。
腰の高さくらいの花瓶台のようなイメージでしょうか。しかし上面と側面と角は金で覆われており、また金の縁飾りもつけられています。とにかくきらびやかなつくりになっています。
この祭壇は、持ち運びができるように棒を通すところが作られました。さらに棒も作られます。持ち運ぶことを想定して作られているのですが、イスラエルの人たちが「放浪の民」となっていくことを暗示しているのかもしれません。
12月 20出エジプト記3818
 更に、青銅の洗盤と台を作ったが、それは臨在の幕屋の入り口で務めをする婦人たちの青銅の鏡で作った。
(出エジプト記38章8節)
焼き尽くすいけにえの祭壇は、昨日の香をたく祭壇よりも大きく、縦横2m25cm、高さ1m35cmとなっています。牛も十分、乗せることができる大きさなのでしょう。現在の教会にある祭壇よりも、かなり大きなサイズになっています。
この祭壇も、持ち運びができるように作られています。この大きさですから、かなりの重さでしょう。二本の棒で、四人で担ぐことになっていたようですが、きっと大変だったと思います。ただ中を空洞にするという工夫もされています。
青銅の洗盤と脚を、「会見の幕屋の入り口で仕える女たち」の鏡で作ったという最後の一節は、何を意味しているのでしょうか。もうこれ以降、あなたたちは身だしなみをチェックする必要はないよ、ということなのでしょうか。

バナースペース

勤務地:日本聖公会 奈良基督教会
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〒630-8213
奈良市登大路町45

TEL 0742-22-3818

牧師:司祭マタイ古本靖久
副牧師:司祭エレナ古本みさ