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日ごとの聖書

ショートメッセージ 〜2023年9月11日〜20日

9月 11出エジプト記152224
 マラに着いたが、そこの水は苦くて飲むことができなかった。こういうわけで、そこの名はマラ(苦い)と呼ばれた。
(出エジプト記15章23節)
エジプト軍から逃れ、イスラエルの人々はシュルの荒れ野に入っていきます。荒れ野は聖書によく出てくる場所で、岩がゴツゴツした何もない寂しい場所です。人が長期間、いることができる場所ではありません。イエス様が40日間、悪魔の誘惑を受けたのも荒れ野です。
また荒れ野には、「神さまを感じることができる場所」という側面もあったようです。洗礼者ヨハネは荒れ野で宣教をしましたし、イエス様もたびたび荒れ野で祈りました。何もないからこそ、神さまの恵みを感じることができたのです。
しかしイスラエルの人々は、荒れ野で不平を言います。飲み水がなかったからです。あるのは苦い水だけ。水は命を維持するのに、必要不可欠なものです。彼らの不平は、間違っているでしょうか。
9月 12出エジプト記152527
 彼らがエリムに着くと、そこには十二の泉があり、七十本のなつめやしが茂っていた。その泉のほとりに彼らは宿営した。
(出エジプト記15章27節)
モーセが神さまに示された木を水に投げ込むと、水は飲めるようになりました。木によって水が浄化されたのでしょうか。それよりも、神さまが大いなる業が、ここに示されたと純粋に捉えたいと思います。
ここで「主は彼に掟と法とを与えられ」とあります。まだ十戒は与えられていませんので順番的におかしいと思います。伝承が前後したか、十戒は荒れ野に入ったときから有効だったのだと伝えようとしたのか、ということでしょう。
神さまは「その掟をすべて守るならば」と言います。掟を守った人とだけ、神になる契約を結ぶということです。旧約ではこの考え方がベースになっています。しかしこれを覆し、新しい契約(新約)を与えられたのがイエス様でした。
9月 13出エジプト記1615
 主はモーセに言われた。「見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる。民は出て行って、毎日必要な分だけ集める。わたしは、彼らがわたしの指示どおりにするかどうかを試す。」
(出エジプト記16章4節)
「水が飲めない」とモーセに不平を言ったイスラエルの人々は、次に「食べ物がない」とモーセとアロンに不平を言います。荒れ野は植物も水もほとんどない砂漠のような場所ですので、これを「わがまま」と捉えるのは少し酷です。
神さまはそのイスラエルの人々の不平を聞き、天からパンを降らせることを約束されます。このパンは「マナ」と呼ばれ、これから先イスラエルの人々が荒れ野にいる間、彼らを養う物となります。
ここで「わたしの指示どおりに」と書かれた箇所が、新しい聖書では「私の律法に従って」と変わっています。荒れ野での生活に対しても、神さまはすでに律法を与えられていたという解釈になっています。
9月 14出エジプト記16610
 アロンはイスラエルの人々の共同体全体にそのことを命じた。彼らが荒れ野の方を見ると、見よ、主の栄光が雲の中に現れた。
(出エジプト記16章10節)
イスラエルの人々の不平を、神さまは聞かれました。ただ生死に関わることですので、不平というよりも、嘆きや叫びの方がしっくりくるような気がします。神さまは夕方には肉を、朝にはパンを与える約束をされます。
モーセは繰り返し、「わたしたちを一体何者だと思っているのか」と人々に言います。自分たちにはどうすることも出来ない状態なのに、不平を言われても困るというのはよくわかります。
神さまは人々の言葉を聞き入れたしるしとして、「主の栄光」を現わされます。主の栄光は朝、雲の中に現われるのですが、どのようなものなのでしょうか。光でしょうか。風でしょうか。それとも炎でしょうか。
9月 15出エジプト記161121
 しかし、オメル升で量ってみると、多く集めた者も余ることなく、少なく集めた者も足りないことなく、それぞれが必要な分を集めた。
(出エジプト記16章18節)
神さまはまず夕方に、うずらを与えられました。うずらは日本でも食用として用いられていたようです。またうずらの卵は燻製にしても美味しいです。ただ60万人が食べる量ですので、相当な数がやって来たのでしょう。
そして朝になると、地の上の霜のように薄く細かいものがうっすら積もっていました。モーセは「これがパンだ」と告げます。そして1人当たり1オメル(2.3リットル)ずつ取るように命じます。総計138万リットルです!
モーセはそれを、翌朝まで残さずにその日のうちに食べるように言いました。しかしその言葉を守らない者も出ます。モーセはその人たちに対して怒りました。モーセの言葉をまだ、神さまの言葉として受け入れてないようです。
9月 16出エジプト記162227
 七日目になって、民のうちの何人かが集めに出て行ったが、何も見つからなかった。
(出エジプト記16章27節)
のちに十戒で与えられる安息日の規定が、すでにこのときに命じられています。安息日は天地創造の際、神さまが7日目にすべての業を終えて安息されたことに由来します。人々はその日を聖なる日とします。そしてすべての働きから解放されるのです。
荒れ野でも、6日目に二倍のパンを集め、半分は前の日に焼いたり煮たりして保存しておくようにしなさいとモーセは命じます。7日目に何も労働をしなくていいように、準備しておくのです。
他の日であれば翌日には腐っていたパンも、このときは一日置いても臭くなることはありませんでした。神さまがそのようにされたということでしょう。しかしこのときも、モーセの言葉に反し、7日目にパンを集めに行く民がいたようです。
9月 17出エジプト記162836
 イスラエルの人々は、人の住んでいる土地に着くまで四十年にわたってこのマナを食べた。すなわち、カナン地方の境に到着するまで彼らはこのマナを食べた。
(出エジプト記16章35節)
神さまは、またしてもモーセの言うことを聞かず、7日目の安息日にパンを集めに行った民を見て言われました。「あなたがたはいつまでわたしの戒めと教えを拒み続けて、守らないのか」と。モーセはいつも間に入って、気の毒です。
イスラエルの人々はこのパンを、「マナ」と名付けます。それは「コエンドロの種に似て白く、蜜の入ったウェファースのような味」だそうです。この正体が何か、いろいろな説があります。キノコ説、穀物説、果実説、樹液説、虫の排泄物説などなど。
イスラエルの人々はこのマナによって、荒れ野での40年間養われていきます。(ここで40年とあるので、「彼らはかなりの長期間荒れ野にいるんだ」と分かってしまいます)。この出来事から、神さまから与えられるみ言葉や恵みを「マナ」と表現することもあります。
9月 18出エジプト記1717
 彼は、その場所をマサ(試し)とメリバ(争い)と名付けた。イスラエルの人々が、「果たして、主は我々の間におられるのかどうか」と言って、モーセと争い、主を試したからである。
(出エジプト記17章7節)
モーセたちはシンの荒れ野を出発します。聖書についている地図で見ると、シナイ半島の真ん中より南側にある、山が多い地域にあることがわかります。そこからレフィディムに向かうのですが、そこがどこなのかは分かっていません。
イスラエルの人々はまた「水を飲みたい」と言い出します。出エジプト記にはこのように、困難なことがあるたびに不満を言う民の姿が描かれますが、それはわたしたちの姿かもしれません。
モーセは民の長老たちを連れ、神さまが命じたように杖で岩を打ちます。するとそこから水が出ました。神さまにすべてを委ねることで、試しと争いから逃れられたのです。
9月 19出エジプト記17816
 モーセが手を上げている間、イスラエルは優勢になり、手を下ろすと、アマレクが優勢になった。
(出エジプト記17章11節)
エジプトを出たイスラエルの人々ですが、もともとシナイ半島に住んでいる民族からすると、脅威だったことでしょう。60万人もの人たちが一度に移動しているのですから、彼らの動向は監視されていたかもしれません。
レフィディムにアマレク人が来て、イスラエルの人々と戦いました。彼らが何故、イスラエルの人々と戦おうとしたかは書かれていません。ただ自分たちの土地に勝手に入ってきて荒らされると面白くないという感情は、分かるような気がします。
戦いは奇妙な形でおこなわれます。実際に戦いを率いたのはヨシュアですが、モーセは丘の頂で手を上げていました。モーセが手を上げると優勢に、下げると劣勢になったので、モーセを座らせ、両手をアロンとフルが支えたそうです。変な戦いです。
9月 20出エジプト記18112
 モーセのしゅうとエトロは焼き尽くす献げ物といけにえを神にささげた。アロンとイスラエルの長老たちも皆来て、モーセのしゅうとと共に神の御前で食事をした。
(出エジプト記18章12節)
モーセのしゅうと(妻ツィポラの父)であるエトロが、ツィポラとその二人の息子を連れてモーセの元にやって来ました。エジプトからイスラエルの人々を救う際、モーセは妻と子を実家に帰していたようです。
エトロはミデヤンの祭司でした。聖書的にいうと、「異邦人の祭司」、「異教徒の祭司」ということになります。しかしエトロは「主はたたえられますように」とイスラエルの神さまに感謝し、いけにえをささげます。
さらにエトロは、モーセ、アロン、イスラエルの長老と共に食事をします。ユダヤの人々は、異邦人や異教徒と食事をすることはありませんでした。この食事は、極めて異例な出来事だと思われます。

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