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日ごとの聖書

ショートメッセージ 〜2023年8月11日〜20日

8月 11出エジプト記61425
 アムラムは叔母ヨケベドを妻に迎えた。彼女の産んだ子がアロンとモーセである。アムラムの生涯は百三十七年であった。
(出エジプト記6章20節)
ここで聖書は、アロンとモーセの系図を載せます。ことあるごとに聖書には系図が出てきますが、それだけイスラエルの人々が家系を大切にしていたということでしょう。ただしここで出てくるのは、イスラエル(ヤコブ)の子のうち、ルベン、シメオン、レビまでです。
そして特に、レビの子孫について詳しく書かれます。それはアロンとモーセがレビ族の子孫だからです。出エジプト記の2章ではモーセは長子のように書かれていましたが、ここではアロンとモーセは兄弟であるとはっきり書かれています。
二人が本当に兄弟であったかどうかは、今も議論が続いているようです。様々な伝承が組み合わさって聖書は書かれているので、それは仕方のないことでしょう。ただ大事なのは、これからモーセとアロンが主役となってファラオと対峙するということです。
8月 12出エジプト記62630
 主が、「イスラエルの人々を部隊ごとにエジプトの国から導き出せ」と命じられたのは、このアロンとモーセである。
(出エジプト記6章26節)
系図のあとに、神さまがアロンとモーセを選ばれたことを聖書は伝えます。アブラハム、イサク、ヤコブから続くイスラエルの系図の中に、その選ばれた人物がいることを聖書は明確にするのです。
28節以降の小見出しですが、新共同訳聖書では「アロンの役割」となっていたのが、新しい聖書では「モーセとアロンの役割」と変わっています。二人がそれぞれの役割を担うことで、神さまのご計画は実行されるのです。
しかしなおも、モーセは「わたしは唇に割礼のない者です(新しい聖書では『私は話し下手な者です』)」と断ろうとします。いつまでも逃げようとするモーセの姿が、自分の姿と重なって見えるのはわたしだけでしょうか。
8月 13出エジプト記7113
 モーセとアロンはファラオのもとに行き、主の命じられたとおりに行った。アロンが自分の杖をファラオとその家臣たちの前に投げると、杖は蛇になった。
(出エジプト記7章10節)
神さまがモーセとアロンに命じた役割は、モーセをファラオに対しては神の代わりとし、アロンはモーセの預言者となるということでした。新しい聖書では、モーセをファラオに対して神とし、とはっきり書かれています。
そして神さまは、同時にファラオの心をかたくなにすることを伝えます。さらにしるしと奇跡をエジプトの地で重ねることも告げます。いわゆる「10の災い」です。神さまがファラオの心をかたくなにしなかったら、犠牲も減ったと思うのですが。
彼らが最初におこなったのは、アロンの杖を蛇にするということでした。ファラオの魔術師も、秘術を用いて同じことができたようです。ただし魔術師が出した蛇は、アロンの蛇にのみ込まれてしまいましたが。それでもファラオは彼らの言うことを聞きませんでした。
8月 14出エジプト記71425
 主はこう言われた。『このことによって、あなたは、わたしが主であることを知る』と。見よ、わたしの手にある杖でナイル川の水を打つと、水は血に変わる。
(出エジプト記7章17節)
ここから「10の災い」が始まります。最初は「血の災い」です。アロンが杖でナイル川の水を打つと、その水は血に変わってしまうという災いです。その結果、川の魚たちは死に、悪臭が辺りを襲います。
エジプトの人たちはナイル川の水が飲めなくなってしまいます。人間の生活にとって、水は大変重要なものです。しかしファラオは、エジプトの魔術師も同じことができるのを見て、心を頑迷(かたくな)にしました。
エジプトの魔術師も水を血に変えることができるのなら、彼らは逆に血を水に戻したらいいのにと思ってしまいました。人々は井戸を掘って、しのごうとします。ほとんどの人たちには何の罪もないのに、気の毒です。
8月 15出エジプト記72629
 ナイル川に蛙が群がり、あなたの王宮を襲い、寝室に侵入し、寝台に上り、更に家臣や民の家にまで侵入し、かまど、こね鉢にも入り込む。
(出エジプト記7章28節)
今日の箇所は、第二の災いである「蛙の災い」の予告です。「血の災い」のときは、飲み水が無くなるという深刻な事態でした。しかし今回は、蛙が大量発生するという何とも言えない災いです。
ムカデの大量発生であれば、刺されたくないから夜もおちおち寝ていられないでしょう。またゴキブリだったら、家族の悲鳴がうるさくて、これまた睡眠不足になりそうです。でも蛙であれば…。
とは言っても、あのヌメヌメしたお腹が、寝ている顔の上に乗って来たとしたら…。それも一匹ではなく数十匹が「ケロケロ」と鳴きながら、一斉に乗って来たとしたら…。すいません。立派な「災い」です。
8月 16出エジプト記8111
 ファラオはモーセとアロンを呼んで、「主に祈願して、蛙がわたしとわたしの民のもとから退くようにしてもらいたい。そうすれば、民を去らせ、主に犠牲をささげさせよう」と言うと、
(出エジプト記8章4節)
昨日の箇所で予告された「蛙の災い」です。アロンが杖をエジプトの水の上に伸ばすと、蛙が這い上がり、エジプトの地を覆いました。ここでも魔術師は同じことをします。それができるなら、蛙を元いた場所に戻せばいいのに。
今回初めて、ファラオはモーセとアロンに願います。「蛙を追い払うように」と。第二の災いで、ファラオは屈してしまうのでしょうか。モーセはファラオと約束した通り、神さまにお祈りします。
蛙は家からも庭園からも畑からも死に絶えました。川に追い払われるのではなくその場で死に絶えたために、凄まじい悪臭が放たれました。しかしこれで安心したのか、ファラオはまたしても心をかたくなにします。災いはまだ終わりません。
8月 17出エジプト記81215
 彼らは言われたとおりにし、アロンが杖を持った手を差し伸べ土の塵を打つと、土の塵はすべてぶよとなり、エジプト全土に広がって人と家畜を襲った。
(出エジプト記8章13節)
続いて第三の災いです。神さまはモーセを通じて、アロンに地の塵を杖で打つように命じます。すると塵がすべてぶよとなり、人や家畜につきました。エジプトは乾燥地帯ですから、塵も多かったでしょう。それがすべてぶよになったのです。
ぶよは体長数oの小さな虫です。人間などの血を吸って生きています。蚊が大量発生している藪の中に無防備で入っていったらどうなるか、想像しただけでも全身がかゆくなります。それが逃れる場所もなく、ずっと続くというわけです。
今回も魔術師は、秘術を使って同じようにしようとしました。ところができませんでした。彼らは「これは神の指の働きでございます」とファラオに告げますが、ファラオの心はかたくななままでした。これ以降、魔術師は同じことをしようとはしませんでした。
8月 18出エジプト記81628
 しかし、その日、わたしはわたしの民の住むゴシェン地方を区別し、そこにあぶを入り込ませない。あなたはこうして、主なるわたしがこの地のただ中にいることを知るようになる。
(出エジプト記8章18節)
次に第四の災いです。第三のぶよに続き、今度はあぶです。ぶよとあぶの違いは、その大きさにあります。ぶよが体長数oなのに対し、あぶは2〜3pと約10倍の大きさを持ちます。そして人の血を吸うという特徴は同じです。
小さい虫にまとわりつかれるのも鬱陶しいですが、大きな虫が大量に襲って来るのも怖いものです。神さまはこのとき、イスラエルの民が住んでいる場所は区別して襲わないと約束されました。ということはイスラエルの人々は、ぶよには襲われたということでしょうか。
ファラオは交渉の中で、三日かけて荒れ野を行き、いけにえをささげることを一旦は了承しました。目の前の状況に、耐えられなくなったのでしょう。しかしあぶが去ると、またしてもファラオの心はかたくなになります。デジャブのようです。
8月 19出エジプト記917
 翌日、主はこの事を行われたので、エジプト人の家畜はすべて死んだが、イスラエルの人々の家畜は一頭も死ななかった。
(出エジプト記9章6節)
続いて第五の災いです。今度は疫病の災いです。ただし今回のターゲットは、エジプトの家畜です。馬やろば、らくだや牛、羊に極めて重い疫病をもたらすと、神さまはモーセに告げられました。
このあたりになると、「かわいそう」という感情が起きてくるのはわたしだけではないと思います。いくらイスラエルの人々を助けるためとはいえ、家畜には罪はないし、エジプトの家畜を飼う人も被害者にみえます。
どうしてここまで、ファラオを追い詰める必要があったのでしょうか。争いの火種を聖書が与えているようにも思えてきます。あくまでも、神さまの救いのご計画に焦点を絞って読むべきなのでしょうが。
8月 20出エジプト記9812
 二人はかまどのすすを取ってファラオの前に立ち、モーセがそれを天に向かってまき散らした。すると、膿の出るはれ物が人と家畜に生じた。
(出エジプト記9章10節)
第六の災いです。子どもたちのケンカの中で、謝るタイミングを逸してしまい、誰かが仲裁に入って促してあげないと仲直りできないことがあります。ファラオは今、謝るタイミングを完全に逃してしまったように思えます。
今回は、はれ物の災いです。モーセはファラオの前でかまどのすすを取り、天に向かってまき散らしました。するとそれはエジプトの人や家畜に降りかかって炎症を起こし、はれ物となったそうです。
昨日の疫病の災いで「エジプトの家畜はすべて死に」と書かれていたのに、今日の家畜はどこから湧いて出たのだろうという疑問は残りますが、疫病でもはれ物でも、ファラオは心をかたくなにしたままでした。神さまが仲裁に入ればいいのに。

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