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日ごとの聖書

ショートメッセージ 〜2023年8月1日〜10日

8月 1出エジプト記31322
 神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」
(出エジプト記3章14節)
イスラエルの民をエジプトの手から救い出すように言われたモーセですが、簡単に「そうですか」とはなりませんでした。それはそうでしょう。突然命令されても、自分にそのような力があるとは到底思えないからです。
モーセはまず、神さまの名前を聞きます。エジプトの王ファラオの元で育ってきたモーセにとって、神は複数存在するものでした。だから名前を聞いたのかもしれません。しかしイスラエルにとって、神は唯一でした。
ですから、「〇〇神」といった呼び名はありませんでした。その代わり「わたしはある」と、自分はどのような神だということを伝えます。これは、「存在し続ける神」ということなのでしょうか。新しい聖書ではこの部分が、「わたしはいる」となっています。
8月 2出エジプト記419
 「こうすれば、彼らは先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主があなたに現れたことを信じる。」
(出エジプト記4章5節)
神さまの名前を聞いたモーセでしたが、なかなか神さまの言うとおりに行動しようとはしません。新共同訳聖書では1節に、「モーセは逆らって」と書かれています。(新しい聖書では「モーセは答えた」とだけ書かれていますが)
神さまはそこで、二つのしるしを与えます。一つはモーセの杖が蛇に変わるというものです。アダムとエバの物語にも出てきた蛇は、人々から忌み嫌われていました。その「悪魔の象徴」のような蛇を操れば、人々に恐れを抱かせることもできるでしょう。
また手を懐に入れると、手が重い皮膚病(新しい聖書では「規定の病」)になるというしるしも与えられました。宗教的な汚れを意味するこの皮膚病は、人々に大変恐れられていました。さらにナイルの水を血に変えるしるしまで与えられました。
8月 3出エジプト記41017
 モーセは、なおも言った。「ああ主よ。どうぞ、だれかほかの人を見つけてお遣わしください。」
(出エジプト記4章13節)
モーセはそれでも、イスラエルの民の所に行くことを拒みます。モーセは自分が雄弁ではないことを理由にしました。もし本当にそうであれば、今回の計画に対しては役不足だと思えます。
しかし神さまは、あえて「口の重い」モーセを選んだともいえます。もしモーセが雄弁であれば、イスラエルの民を導いたのは自分の力だと勘違いするかもしれません。あくまでも導き手は神さまです。モーセはその器に過ぎないのです。
さらに神さまは、レビ人の兄であるアロンの存在にも触れます。アロンはいったいどこで、どのようにして育てられていたのでしょうか。「赤ちゃんはすべて殺せ」という命令がまだ、出されていないときに生まれたということでしょうか。
8月 4出エジプト記41823
 主はモーセに言われた。「エジプトに帰ったら、わたしがあなたの手に授けたすべての奇跡を、心してファラオの前で行うがよい。しかし、わたしが彼の心をかたくなにするので、王は民を去らせないであろう。
(出エジプト記4章21節)
ついにモーセはエジプトに行き、イスラエルの民を導くことを決心しました。ただししゅうとのエトロには、本当の理由は明かしていません。言うと、止められるからでしょうか。
モーセは妻と子どもたちと共に、エジプトに向かいました。そのときに神さまがモーセに告げた言葉は、不思議なものでした。「わたしが彼の心をかたくなにするので、王は民を去らせない」。
逆だったらよくわかります。ファラオの夢を通して神さまがメッセージを送り、平和のうちにイスラエルの民を去らせることもできるのではないでしょうか。しかし神さまはモーセに、このようにまで言わせます。「わたしはお前の子、お前の長子を殺すであろう」と。
8月 5出エジプト記42431
 主は彼を放された。彼女は、そのとき、割礼のゆえに「血の花婿」と言ったのである。
(出エジプト記4章26節)
24〜26節に突然、神さまがモーセを殺そうとする物語が出てきます。この記事が一体何を意味しているのか、昔から様々な議論がなされてきましたが、結論は出ていません。モーセが神さまに対して、何か悪いことをしたのでしょうか。
昔、エジプト人を殺したからでしょうか。何度もエジプトに行くことを拒否したからでしょうか。その真相はわかりませんが、ツィポラの(謎の)行為によってモーセが許されたことだけは事実のようです。
モーセはアロンと出会い、言葉としるしを告げました。アロンにも神さまはモーセに会うように語り掛けているので、話の内容を信じることは難しくなかったでしょう。さらにアロンの言葉としるしによって、民も信じます。さすが年長者、口達者というところでしょう。
8月 6出エジプト記519
 しかも、今まで彼らが作ってきた同じれんがの数量を課し、減らしてはならない。彼らは怠け者なのだ。だから、自分たちの神に犠牲をささげに行かせてくれなどと叫ぶのだ。
(出エジプト記5章8節)
ここからファラオとモーセとのやり取り(交渉)が始まります。一国の王に、奴隷状態の民の代表が相対します。よく会ってもらえたな、とは思いますが。モーセはこのとき、財産などは持っていませんでした。ただ神さまの権威に従っているだけです。
そして案の定、ファラオはモーセの言うことに耳を傾けませんでした。モーセは三日の道のりをかけて荒れ野に行かせてほしいと願いました。往復では約一週間です。それだけの期間労働力を失うことは、ファラオにとって考えられない事でした。
ファラオはそこで、命令を出します。その命令は、イスラエルの人々にとっては重荷となることでした。今まで支給してきたわらを、自分たちで集めよというのがその命令です。しかも作るれんがの量は減らさずにです。
8月 7出エジプト記51019
 彼は言った。「この怠け者めが。お前たちは怠け者なのだ。だから、主に犠牲をささげに行かせてくださいなどと言うのだ。
(出エジプト記5章17節)
最初の交渉の結果は、散々たるものでした。ファラオはイスラエルの民を去らせるどころか、さらなる重労働を課したのです。たまらないのは労働者です。ただでさえ厳しい仕事がさらに厳しくなったのですから。
イスラエルの下役たちは、ファラオに訴えました。ファラオが任命した「追い使う者たち」が、重労働を課すことによって罪を犯していると。彼らはその命令が、ファラオから出ていたことを知らなかったようです。
下役たちは、事の発端が「主に犠牲をささげに行かせてください」という願いにあることを知りました。それもモーセという、自分たちと苦楽を共にしてきた仲間ではない人物が言った言葉のようです。彼らは怒りを覚えたことでしょう。
8月 8出エジプト記52023
 彼らがファラオのもとから退出して来ると、待ち受けていたモーセとアロンに会った。
(出エジプト記5章20節)
イスラエルの下役たちはファラオの元から出てくると、迎えに来ていたモーセとアロンに出会いました。そこで彼らが言った言葉は、「どうか、主があなたたちに現れてお裁きになるように」でした。
彼らにとってエジプトでの重労働は過酷なものでした。それでも何とか生きていました。ところが「よそ者」モーセの言葉によってファラオは怒り、その矛先が自分たちに向かってきたのです。たまったものではありません。
モーセは下役をなだめるわけでもなく、神さまに疑問をぶつけます。「神さまに遣わされた者としての自覚が足りない」と言ってしまうのは簡単ですが、神さまの思いを成し遂げようとするときに起こる困難に対する苦悩は、わたしたちも経験あるかもしれません。
8月 9出エジプト記619
 そして、わたしはあなたたちをわたしの民とし、わたしはあなたたちの神となる。あなたたちはこうして、わたしがあなたたちの神、主であり、あなたたちをエジプトの重労働の下から導き出すことを知る。
(出エジプト記6章7節)
神さまはモーセに、自分はアブラハム、イサク、ヤコブの神であり、イスラエルの人々の呻き声を聞いて自分の契約を思い出したと語ります。その契約とは、「わたしはあなたたちをわたしの民とし、わたしはあなたたちの神となる」というものです。
「民とし、神となる」というお互いの関係を明らかにしているこの契約は、「双務契約」と呼ばれます。イスラエルの人々にはこの後、「十戒」という掟が与えられます。それを守ることで、「神の民」となるのです。
モーセは神さまが語ったこれらの言葉を、イスラエルの人々に伝えます。しかし彼らは、聞く耳を持ちませんでした。厳しい重労働のために意欲を失ってしまっていたのです。
8月 10出エジプト記61013
 モーセは主に訴えた。「御覧のとおり、イスラエルの人々でさえわたしに聞こうとしないのに、どうしてファラオが唇に割礼のないわたしの言うことを聞くでしょうか。」
(出エジプト記6章12節)
イスラエルの人々は、モーセの言うことを聞こうとはしませんでした。しかしそれでも、神さまはファラオに対してイスラエルの人々をエジプトから去らせるように言いなさいと命じます。
モーセは、自分は「唇に割礼のない」と言います。これは意味の分からない言葉だと思っていたのですが、新しい聖書では「話し下手」と変わりました。そのほうが意味はすぐにわかります。
神さまはモーセとアロンに、なすべきことを語ります。そこにはファラオに対してだけでなく、イスラエルの人々に対して何をすべきかも含まれていました。民の信認と理解を得ないと、物事がうまく進まないからでしょうか。

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