7月 1日「創世記45:16~24」 | ||||
いよいよ兄弟たちを送り出すとき、出発にあたってヨセフは、「途中で、争わないでください」と言った。 (創世記45章24節) |
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ヨセフが兄弟たちと再会したことを聞いて、エジプトの王ファラオは家族をエジプトの地に来させなさいと言いました。このことからも、ファラオはヨセフをいかに大切にしていたのかがわかります。 | ||||
ヨセフは兄たちが父の元に行くのに、車と食料、晴れ着を与えました。そして弟のベニヤミンには5着の晴れ着と銀300シェケルを与えます。以前自分が父からえこひいきされて兄に妬まれたのに、同じことをヨセフはベニヤミンに対しておこないます。 | ||||
さらに雌ろば、雄ろばそれぞれ10頭、穀物や食料、エジプトの最上のものなどなど、多くの物を持ち帰らせます。そして一言、「途中で争わないでください」。兄たちはこの言葉を、どのような思いで聞いたのでしょうか。 | ||||
7月 2日「創世記45:25~28」 | ||||
イスラエルは言った。「よかった。息子ヨセフがまだ生きていたとは。わたしは行こう。死ぬ前に、どうしても会いたい。」 (創世記45章28節) |
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ついにヨセフが生きているという知らせは、父ヤコブ(イスラエル)の耳にも入りました。死んでいたと思っていた子どもが生きていたのです。その喜びは、ひとしおだったことでしょう。 | ||||
しかもヨセフがエジプトを治め、たくさんの食料を自由にできる権限をもっているとは。ヤコブは帰って来た息子たちの話を聞きながら、気を取り直しました。ベニヤミンが無事かどうか、ずっと気になっていたからです。 | ||||
そして、エジプトに向かうことを決意しました。このときヤコブは、生涯エジプトに移住する決意をしたのでしょうか。それとも一度顔を見たら、帰って来るつもりだったのでしょうか。 | ||||
7月 3日「創世記46:1~7」 | ||||
わたしがあなたと共にエジプトへ下り、わたしがあなたを必ず連れ戻す。ヨセフがあなたのまぶたを閉じてくれるであろう。 (創世記46章4節) |
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イスラエル(ヤコブ)は自分の持ち物をすべて携え、エジプトに向かって旅立ちます。彼らが立ち寄ったベエル・シェバは、アブラハムやイサクがアビメレクと誓いをかわした場所でした。 | ||||
ヤコブはその地で、神さまにいけにえをささげます。そしてその夜、神さまは幻の中で「ヤコブ、ヤコブ」と呼びかけました。名前を二回呼ぶという呼びかけは、親しみをあらわしています。 | ||||
神さまは、ヤコブに次のことを約束します。すなわち、エジプトで彼らを大いなる国民にすること、ヤコブと共にエジプトに下ること、そして必ずヤコブを導き上るということです。その約束を胸に、ヤコブたちはエジプトへと向かうのです。 | ||||
7月 4日「創世記46:8~27」 | ||||
ヤコブの腰から出た者で、ヤコブと共にエジプトへ行った者は、ヤコブの息子の妻たちを除けば、総数六十六名である。 (創世記46章26節) |
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聖書には要所要所に、系図が書かれています。ユダヤでは、血筋や家系をとても重要なものと考えていたからです。マタイによる福音書の冒頭がイエス様の系図から始まるのも、そのためです。 | ||||
ヤコブの系図は、その妻と妻の召し使いごとにまとめられています。ジルパはレアの、ビルハはラケルのそれぞれ召し使いでした。そのため、「ラバンが娘○○に与えた…」と書かれています。どこまでも所有物のように書かれており、あまり良い気はしません。 | ||||
ヤコブと共にエジプトに行ったのは、総勢66名だったそうです。ただし、ヤコブの息子の妻たちを除いてということです。妻たちをその数に入れない理由は何なのでしょうか。よくわかりません。 | ||||
7月 5日「創世記46:28~30」 | ||||
イスラエルはヨセフに言った。「わたしはもう死んでもよい。お前がまだ生きていて、お前の顔を見ることができたのだから。」 (創世記46章30節) |
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多くの聖書には、「聖書地図」というものが付録としてつけられています。それを見ると、ベエル・シェバはユダの地方にありますが、ゴシェンはエジプトがある大陸の北側に位置しています。 | ||||
カナンからベエル・シェバを経由して、エジプトまでの道のりは大変厳しかったと思います。彼らはエジプトに到着する前にユダを先に行かせ、途中にあるゴシェンでヨセフと落ち合うことにします。 | ||||
そしてついに、ゴシェンの地でイスラエル(ヤコブ)とヨセフは涙の再会を果たします。父は「もう死んでもよい」とまで言い、喜びを噛みしめます。どうでもよいのですが、イスラエルとヤコブ、そろそろどちらかに統一して欲しいのですが。 | ||||
7月 6日「創世記46:31~34」 | ||||
この人たちは羊飼いで、家畜の群れを飼っていたのですが、羊や牛をはじめ、すべての財産を携えてやって来ました』と申します。 (創世記46章32節) |
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ヨセフが家族をファラオに会わせる前にゴシェンで待ち合わせしたのには、理由がありました。ヨセフは家族が一番平穏に暮らせる場所はどこかと考えていたのです。その場所が、彼らが落ち合ったゴシェンでした。 | ||||
イスラエル(ヤコブ)とその家族は、羊や家畜を飼っていました。エジプトではそのような職業は、忌み嫌われていたそうです。ちなみにユダヤの人たちは、豚を飼う人たちを忌み嫌っていました。 | ||||
「わたしたちは羊を飼う者です」、そのように言うことによって、ファラオは家族にゴシェンを与えてくれるだろう。それがヨセフの思惑でした。エジプトの中心地に呼び寄せたら、どのようなことに巻き込まれるかわからない、そのような思いもあったと思います。 | ||||
7月 7日「創世記47:1~6」 | ||||
エジプトの国のことはお前に任せてあるのだから、最も良い土地に父上と兄弟たちを住まわせるがよい。ゴシェンの地に住まわせるのもよかろう。もし、一族の中に有能な者がいるなら、わたしの家畜の監督をさせるがよい。 (創世記47章6節) |
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ヨセフは、父と兄弟たちがカナンの地からやって来たことをファラオに報告します。ヨセフは兄弟の中から5人を連れて、ファラオの元に行きました。その5人は誰だったのか、聖書には書かれていません。 | ||||
兄弟たちは、打ち合わせ通りにファラオの質問に答えていきます。自分たちは先祖代々羊飼いであること、そしてゴシェンの地に住みたいということです。 | ||||
ファラオはヨセフに答えます。すべてはあなたに任せているのだから、最良の地を用意しなさいと。ファラオがヨセフに厚い信頼を置いていることが、この一言からも伝わってきます。 | ||||
7月 8日「創世記47:7~12」 | ||||
ヨセフはファラオが命じたように、父と兄弟たちの住まいを定め、エジプトの国に所有地を与えた。そこは、ラメセス地方の最も良い土地であった。 (創世記47章11節) |
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そして次に、ヤコブ(イスラエル)がファラオに接見します。ヤコブはまずファラオに対して、祝福の言葉を述べて挨拶しました。挨拶の前に相手を祝福するということ、とてもよい習慣だと思います。 | ||||
ヤコブはすでに、130歳になっていました。たしか以前、人間の寿命は120年にするという記述があったようにも思いますが。ただ彼の120年間は、大変労苦と悲しみが多い年月でした。 | ||||
ヨセフは家族に、ラメセスの地にある最良の地を与えます。聖書地図によれば、ラメセスはゴシェン地方にあるようです。ここで生涯不自由なく暮らせるように、ヨセフは彼らを導くのです。 | ||||
7月 9日「創世記47:13~19」 | ||||
ヨセフは答えた。「家畜を連れて来なさい。もし銀がなくなったのなら、家畜と引き換えに与えよう。」 (創世記47章16節) |
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ここから物語は一旦ヨセフの家族の元を離れ、エジプト内部のことに移ります。エジプトやカナンでは、依然として飢饉が続いていました。7年間の飢饉が来るということは、一部の人しか知らないことだったのでしょう。 | ||||
エジプトに食料が貯蔵されているという話は、人々の間に知られていたようです。人々は最初、銀を持って食料を買いに来ました。しかし飢饉は続きます。やがて銀は尽きてしまいます。 | ||||
次に人々は、家畜を差し出して食料を得ました。しかしまだ、飢饉は続きます。ついに人々は、自分たちの土地を差し出し、自分たちはファラオの僕となることで、食料を得ました。こうしてヨセフは、エジプトの地をファラオのものとしたわけです。 | ||||
7月 10日「創世記47:20~26」 | ||||
彼らは言った。「あなたさまはわたしどもの命の恩人です。御主君の御好意によって、わたしどもはファラオの奴隷にさせていただきます。」 (創世記47章25節) |
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エジプトの飢饉が続く中、ヨセフの政策によって人々の銀、家畜、土地はファラオのものとなりました。さらに人々は僕(新共同訳聖書では奴隷)としてファラオのために働くことを誓いました。さてヨセフは人々をどのように扱うのでしょうか。 | ||||
ヨセフは人々に、種を与えて土地に蒔くように伝えます。無償で与えるわけです。そして収穫をしたら、五分の一、つまり20%はファラオに治め、残りは自分のものにしなさいと命じるのです。 | ||||
この政策は、人々の目には寛大なものだと映りました。土地も種もファラオのものだから、もっと搾り取ることもできたはずです。しかしヨセフはそうしませんでした。その結果、人々の忠誠心がファラオの元に集まることになったのです。 |