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日ごとの聖書

ショートメッセージ 〜2023年5月21日〜31日

5月 21「創世記351622
 ラケルが最後の息を引き取ろうとするとき、その子をベン・オニ(わたしの苦しみの子)と名付けたが、父はこれをベニヤミン(幸いの子)と呼んだ。
(創世記35章18節)
ヨセフの母であるラケルが二人目の子を授かります。ラケルはなかなか子どもが与えられなかったので、ヨセフを生む前には夫ヤコブに文句を言ったこともありました。しかし今回は特別な物語は書かれていません。
今回の出産は、難産でした。助産婦はラケルに、「心配ありません。今度も男の子ですよ」と言ったようですが、それよりも母体の心配をして欲しいところです。難産のため命を失うことになったラケルは、子どもの名をベン・オニ(苦しみの子)と名付けます。
しかしヤコブは、その子の名をベンヤミン(幸いの子)と変えます。子どもにとっては良い変更のように思えます。最後の二節では、長子ルベンがイスラエル(ヤコブ)の側女ビルハと寝たことが報告されます。このことは、後に影響を及ぼします。
5月 22創世記352329
 イサクは息を引き取り、高齢のうちに満ち足りて死に、先祖の列に加えられた。息子のエサウとヤコブが彼を葬った。
(創世記35章29節)
この箇所にはヤコブの息子たちが列記されています。レアの子が6人、ラケルの子が2人、ラケルの召し使いビルハの子が2人、レアの召し使いジルパの子が2人です。長男のルベンはラケルが亡くなった後、ビルハと寝ました。何だかドロドロしています。
20年前、ヤコブがエサウから祝福を奪ったとき、エサウは心の中でこのように思いました。「父の喪の日も遠くない。そのときがきたら、必ず弟のヤコブを殺してやる(創世記27章41節)」。しかしその後もイサクは生きていたようです。
そしてイサクは180年の生涯を終えました。イサクにとって、ヤコブが出ていった後の20年は辛かったことでしょう。しかしエサウとヤコブが和解し、二人で自分を葬ってくれたということは、彼にとっては喜びだったのではないでしょうか。
5月 23創世記3618
 エサウはこうして、セイルの山地に住むようになった。エサウとはエドムのことである。
(創世記36章8節)
創世記25章27節以下に、エサウがヤコブに長子の権利を譲る場面がありました。そのときエサウは、「お願いだ、その赤いもの(アドム)、そこの赤いものを食べさせてほしい。わたしは疲れきっているんだ」とヤコブに願いました。
その「赤いもの(アドム)」という言葉から、彼はエドムとも呼ばれたと聖書は説明しています。このようにして、エドム人の祖先はエサウであると聖書は描いているのです。
エドム人は、古代パレスチナに居住したセム系民族で、偶像崇拝をしていました。そのためユダ王国としばしば争い、また神さまの怒りを買っていたという記述もあります。もともと兄弟民族であったのに、悲しいことです。
5月 24創世記36919
 セイルの山地に住む、エドム人の先祖エサウの系図は次のとおりである。
(創世記36章9節)
エサウの系図が続きます。26章34節には、「エサウは、四十歳のときヘト人ベエリの娘ユディトとヘト人エロンの娘バセマトを妻として迎えた」と書かれていました。
さらに28章9節には、「イシュマエルのところへ行き、既にいる妻のほかにもう一人、アブラハムの息子イシュマエルの娘で、ネバヨトの妹に当たるマハラトを妻とした」とあります。今回の箇所ではユディトがアダに、マハラトがバセマト(4節)に変わっています。
これは、様々な伝承(資料)を使って聖書が編集されたという証明にもなります。イスラエルとヤコブという名が混在していたり、系図の名が違っていたり、そのようなことが聖書の中には存在するのです。
5月 25創世記362030
 ツィブオンの息子たちは、アヤとアナである。アナは父ツィブオンのろばを飼っていたとき、荒れ野で泉を発見した人である。
(創世記36章24節)
神学生のとき、毎日朝夕の礼拝を欠かさずおこなっていました。そのときに読まれる聖書は、ほぼすべての箇所が網羅されていました。つまり今日のような箇所も、読まれることがありました。
眠たい目をこすりながら、朝、カタカナの知らない名前が続くのは正直辛かったです(すいません)。知っている名前が少しでも登場したら、少しは違っていたのだと思いますが。
その中に一人だけ、特徴的なことが書かれた人がいます。アナです。彼は荒れ野で泉を発見したそうです。水が貴重だったこの地域において泉を発見するということは、後代まで名を残すほどの素晴らしいことだったのでしょう。
5月 26創世記363143
 イスラエルの人々を治める王がまだいなかった時代に、エドム地方を治めていた王たちは次のとおりである。
(創世記36章31節)
イスラエル王国は紀元前11世紀に成立しました。初代の王はサウル、ダビデは二代目の王でした。彼らは油注がれた者として、聖別されます。つまり「神さまに選ばれた者」という意味が強くあります。
ここで「イスラエルの人々を治める王がまだいなかった時代に」とわざわざ書かれているところを見ると、エドムの王たちは「神によって」立てられた者ではないということを強調しているようにも思えます。
聖書を読んでいる人たちにとって、エドム人は敵対する民族でした。彼らは「赤いもの」欲しさに長子の権利を軽んじ、ヤコブとの祝福争いに敗れた愚かな人物、エサウの子孫なのだと聖書は繰り返し語るのです。
5月 27創世記3714
 兄たちは、父がどの兄弟よりもヨセフをかわいがるのを見て、ヨセフを憎み、穏やかに話すこともできなかった。
(創世記37章4節)
今日から物語の主人公はヨセフとなります。ヨセフはヤコブの12番目の子ども(女の子がディナ一人であったなら)でした。ヨセフの下には、ベンヤミンという弟もいました。
イスラエル(ヤコブ)がヨセフを溺愛した理由を、「年を取ってからの子だったから」と聖書は書きます。しかしベニヤミンの方がもっと後の子です。イスラエルはレアよりもラケルを愛していました。そのことも影響していたのかもしれません。
ヨセフは「兄たちのことを父に告げ口した(新しい聖書では『兄弟の悪い噂を父に告げることがあった』)」とあり、あまりよい性格とは言えないようです。もしくは正義感が強かったのでしょうか。ともかく父に贔屓されているヨセフを、兄弟は良く思いませんでした。
5月 28創世記37511
 ヨセフはまた別の夢を見て、それを兄たちに話した。「わたしはまた夢を見ました。太陽と月と十一の星がわたしにひれ伏しているのです。」
(創世記37章9節)
ヨセフは二つの夢を見ます。一つは兄たちの麦の束が、自分の麦の束の周りに集まってひれ伏すというもの。そしてもう一つは、太陽と月と11の星が自分に対してひれ伏すというものでした。
一つ目の夢を兄弟に話したときは、「兄さんたちの束」とはっきり言ったこともあり、兄たちは激怒し、ヨセフを憎むようになりました。さらに二つ目の夢には兄弟だけではなく父と母を示す太陽と月が登場します。
さすがに二つ目の夢を話すヨセフを、父イスラエルはとがめました。父や兄がひれ伏すということは、当時の社会においてあってはならないことだったのです。兄弟はますますヨセフを妬むようになります。
5月 29創世記371224
 ルベンはこれを聞いて、ヨセフを彼らの手から助け出そうとして、言った。「命まで取るのはよそう。」
(創世記37章21節)
ヨセフの兄たちは、父の羊の群れを飼うためにシェケムへ出かけていました。当時17歳だったヨセフは、彼らとは一緒ではありませんでした。多分ヨセフの弟ベニヤミンも、留守番をしていたことでしょう。
父はヨセフに対して、兄たちの様子を見てくるように告げます。この辺りも父の鈍感なところです。ただでさえヨセフは妬まれているのに、仕事もしないで様子だけ見に来られたら、兄たちの怒りは倍増するかもと、どうして考えなかったのでしょう。
案の定、兄たちはヨセフを殺そうとしました。しかし長男ルベンは、「殺すのはよそう」と提案します。長子の意見は尊重されるべきものです。また兄たちも、心のどこかで直接手を下すことを、躊躇していたのかもしれません。
5月 30創世記372527
 それより、あのイシュマエル人に売ろうではないか。弟に手をかけるのはよそう。あれだって、肉親の弟だから。
(創世記37章27節)
ヨセフを穴に投げ入れた兄たちは、食事を始めました。彼らはどんな思いで、食事をしていたのでしょうか。これで鬱陶しい弟を見なくて済むと。喜んでいたのでしょうか。ヨセフの叫び声は。彼らの耳には聞こえなかったのでしょうか。
そのとき彼らの目に、イシュマエル人の隊商が飛び込んできます。彼らはエジプトに向かう途中でした。彼らは当初、ヨセフを穴に入れたまま立ち去ろうとしていました。直接手は下さないものの、ヨセフの死は確実でした。
しかしそれよりも、ヨセフを売ってしまおうと4番目の子ユダが提案します。お金のためというよりも、やはり後ろめたさがあったのでしょう。兄弟たちもこの提案を受け入れることにします。
5月 31創世記372836
 父は、それを調べて言った。「あの子の着物だ。野獣に食われたのだ。ああ、ヨセフはかみ裂かれてしまったのだ。」
(創世記37章33節)
ヨセフはイシュマエル人に、銀20シェケル(約228g)で売られます。どうせ殺そうとしていたのだから、いくらでも構わないと考えていてもおかしくありません。ちなみにイエス様は、銀貨30枚で裏切られました。
ヨセフが売られるときに、ルベンはその場にいなかったようです。彼は穴の中にヨセフがいないのを見て、衣服を引き裂いて悲しみました。そのとき他の兄弟はルベンに、事のいきさつを説明したのでしょうか。
ヨセフを失った父ヤコブの悲しみは、大変大きかったようです。彼は息子や娘の慰めも拒みます。ただ原因の一端が自分にあることも、気づいてほしいところです。ヨセフはエジプトのポティファルに売り渡されました。

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