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日ごとの聖書

ショートメッセージ 〜2023年5月11日〜20日

5月 11「創世記3314
 エサウは走って来てヤコブを迎え、抱き締め、首を抱えて口づけし、共に泣いた。
(創世記33章4節)
ついにヤコブがエサウと再会する日が来ました。20年ぶりのことです。しかしヤコブは、気が気ではありませんでした。エサウが自分に騙されたことをまだ根に持っていて、自分を殺そうとしていたらどうしよう、そのことばかりが気になったようです。
そこでヤコブは、自分の子どもたちをその母親ごとに振り分けます。ヤコブには二人の妻レアとラケルがいました。さらに二人の妻の召し使いたちにもそれぞれ子どもがいました。ヤコブは召し使いとその子たちを先に行かせ、次にレアと子ども、最後にラケルと子どもを行かせます。
自分の大切な者を後ろに回し、殺されることがないようにしたのです。召し使いやその子たちは、そういうことも受け入れなければならなかったのです。しかしエサウは、ヤコブを泣きながら迎え入れました。
5月 12創世記3357
 次に、レアが子供たちと共に進み出てひれ伏し、最後に、ヨセフとラケルが進み出てひれ伏した。
(創世記33章7節)
感動の再開を果たしたヤコブとエサウ、ヤコブの逃亡からすでに20年が経過していたとはいえ、エサウは心からヤコブを許していたのでしょうか。ヤコブが逃げ出した時、エサウは少なくとも40歳を超えていました。
ということは、ヤコブが会いに来たとき、エサウはすでに60歳を過ぎていたわけです。しかし60歳になれば誰もが人間的に丸くなり、何でも許せるかというとそうではありません。周りを見たら、よくわかります。
そのこともあってか、ヤコブは慎重にことを運びます。「あなたの僕であるわたしに」というヤコブの言葉は少しこそばゆいものですが、エサウは決して悪い気はしなかったでしょう。また、ヤコブから敵対心も感じられなかったと思います。
5月 13創世記33811
 「どうか、持参しました贈り物をお納めください。神がわたしに恵みをお与えになったので、わたしは何でも持っていますから。」ヤコブがしきりに勧めたので、エサウは受け取った。
(創世記33章11節)
「本音」と「建て前」、なかなかわからないものです。京都に住んでいるときは、大変苦労をしました。ヤコブのどこまでもへりくだった態度は、慇懃無礼(いんぎんぶれい)のようにも感じます。
ヤコブはエサウとの争いを避けるために、精一杯の贈り物をささげたのでしょう。ただ「兄上のお顔は、わたしには神の御顔のように見えます」という言い方は、いかにもわざとらしく聞こえてしまいます。
とにかく、エサウはヤコブがしきりに勧めたので、ヤコブの贈り物を受け取りました。これはヤコブのことを受け入れるということにもなります。20年の歳月を経て、ようやく二人の兄弟の和睦が結ばれました。
5月 14創世記331220
 ヤコブはスコトへ行き、自分の家を建て、家畜の小屋を作った。そこで、その場所の名はスコト(小屋)と呼ばれている。
(創世記33章17節)
ヤコブの帰還を受け入れたエサウは、2点のことを提案します。それは、@一緒に旅をすること、A自分の従者を何人かヤコブのところに残しておくことでした。しかしヤコブはいずれの申し出も丁重に断ります。
その断った理由は、実はヤコブはエサウの住むセイルに一緒に戻る気はなかったからでした。ヤコブはセイルとは違う場所に行き、そこに小屋(スコト)を建てました。そのためヤコブが行った場所は、スコトと呼ばれるようになります。
エサウはまた騙されたということなのでしょうか。聖書には、エサウが怒ってヤコブを探し回ったという記載はありません。エサウもヤコブがついて来ないことは、薄々気づいていたのでしょう。そして離れて暮らす方が平和だということも、知っていたのかもしれません。
5月 15創世記34112
 ヤコブは、娘のディナが汚されたことを聞いたが、息子たちは家畜を連れて野に出ていたので、彼らが帰るまで黙っていた。
(創世記34章5節)
聖書には、様々な人間の罪が書かれます。アダムとエバの偽証、カインとアベルの兄弟殺し、バベルの塔の傲慢などなど。そして今回は、ヤコブの娘ディナに対する強姦事件が報告されています。
ヤコブにはこの時までに、11人の息子と1人の娘をもうけたと聖書に書かれています。これは文字通りの人数ということではなく、この時代女性の地位がたいへん低く数に加えられなかったため、女性の名前は全員残されていなかった可能性も高いです。
その中で名前が記されたディナ、しかし彼女は悲しい出来事を載せるために名を残されました。その事件の中でディナを襲ったシュケムの父ハモルは、ヤコブたちと親戚関係を結ぼうと提案します。こういうことが当たり前だった時代なのでしょうか。
5月 16創世記341319
 ただ、次の条件がかなえられれば、あなたたちに同意しましょう。それは、あなたたちの男性が皆、割礼を受けて我々と同じようになることです。
(創世記34章15節)
「あなたたち、およびあなたの後に続く子孫と、わたしとの間で守るべき契約はこれである。すなわち、あなたたちの男子はすべて、割礼を受ける。包皮の部分を切り取りなさい。これが、わたしとあなたたちとの間の契約のしるしとなる。(創世記17章10〜11節)」
アブラムがアブラハムと呼ばれるようになったとき、神さまは自分とアブラハムの子孫との契約として上記の戒めを与えました。つまり割礼を受けることは、イスラエルの民(当時はまだそう呼ばれていませんが)に属することを意味していたのです。
ヤコブの息子たちは、ディナを汚したシュケムとその父ハモルに、彼らの町の人と一緒にみな割礼を受けるように提案します。しかしこれは、ヤコブの息子たちが「だまして(新しい聖書では『たくらんで』)」おこなったことでした。
5月 17創世記342024
 そうすれば、彼らの家畜の群れも財産も動物もみな、我々のものになるではないか。それには、ただ彼らの条件に同意さえすれば、彼らは我々と一緒に住むことができるのだ。」
(創世記34章23節)
シュケムの父ハモルは、スコトの町の人たちを説得します。彼の願いは、シュケムがディナを妻として迎えることの他に、ヤコブたちをその財産と一緒に自分たちの中に受け入れるというものでした。
ただ割礼という行為が、アブラハムの神(ヤコブの神)と契約を交わすことだとは、はっきり伝えられていません。きっとスコトの町の人たちにも、自分たちが信仰する神々があったのではないでしょうか。そことの決別については、何も触れられていません。
しかし、ハモルは町の有力者だったのでしょう。町の人たちはハモルの言うことを聞き入れます。そしてすべての男子が割礼を受けます。ヤコブが持つ財産が、よほど魅力的に映ったのでしょう。
5月 18創世記342531
 二人はこう言い返した。「わたしたちの妹が娼婦のように扱われてもかまわないのですか。」
(創世記34章31節)
旧約聖書を読んでいて辛くなるのは、こういう箇所です。確かにディナが一方的に汚された、これは事実です。しかしだからといって、「正義を盾に」すべてを滅ぼし、略奪するのはどうなのでしょうか。
「目には目を」という定めがあります。これはどれだけでも復讐をしてよいという意味ではありません。復讐をするとしても被害を受けたのと同じだけ、あるいは損害に見合った対価を受け取ったらそれで終わりというものです。
「正義を盾に」した「やりすぎ」は、さらなる争いを生むだけです。「自分は正しい」、「自分は被害者だ」と叫ぶ前に、シメオンとレビがおこなったことをもう一度見つめ直していきたいと思います。
5月 19創世記3518
 人々は、持っていた外国のすべての神々と、着けていた耳飾りをヤコブに渡したので、ヤコブはそれらをシケムの近くにある樫の木の下に埋めた。
(創世記35章4節)
ヤコブはシメオンとレビがスコトの町を滅ぼし、略奪したのを知って恐れます。カナン人やペリジ人が彼らを憎み、襲って来るかもしれなかったからです。神さまはそんなヤコブを見て、その場を去るように言われました。
神さまはヤコブに、ベテルに上って祭壇を造るようにと伝えます。合わせて、「身に着けている外国(異国)の神々を取り去り、身を清めて衣服を着替えなさい」と命じられます。そして神さまは周囲の町々を恐れさせ、ヤコブたちを守ります。
そのころまだ、モーセは登場していないので十戒はありません。しかしここまで、「異国の神々」の偶像や飾りがあったことには、驚かされます。そういえばリベカが父ラバンの元から盗んできたテラフィムはどうなったのでしょうか。
5月 20創世記35915
 神は彼に言われた。「あなたの名はヤコブである。しかし、あなたの名はもはやヤコブと呼ばれない。イスラエルがあなたの名となる。」神はこうして、彼をイスラエルと名付けられた。
(創世記35章10節)
創世記32章ヤコブは神さまと格闘しました。その29節では「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる」と告げられていました。
今日の箇所でも、神さまはヤコブに「イスラエルがあなたの名となる」と告げます。イスラエル民族がヤコブから、そして12人の息子たちから生まれていくのです。(このときはまだベニヤミンは生まれていませんが)。
このように神さまに改名された例として、アブラハム(旧アブラム)とサラ(旧サライ)がいます。彼らのときは聖書の記述もすべて変わっていきましたが、イスラエルの場合はこれ以降もヤコブと呼ばれる箇所が多く見られます。様々な伝承が混ざっているのでしょうか。

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