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日ごとの聖書

ショートメッセージ 〜2023年4月1日〜10日

4月 1「創世記241014
 祈った。「主人アブラハムの神、主よ。どうか、今日、わたしを顧みて、主人アブラハムに慈しみを示してください。」
(創世記24章12節)
アブラハムのしもべは、らくだ10頭を引き連れて出かけます。らくだは聖書では汚れた動物とされていますが、家畜として飼われていたようです。ただし肉を食べることは禁止されていました。
しもべはナホルという町の井戸に行きます。夕暮れ時になると、人々は井戸に集まってきます。この地域は暑さのため昼間に重労働をすることは厳しく、水汲みは早朝や夕暮れ時におこなわれていました。
彼は神さまにお祈りします。そして「こういう娘がいたら、その人を定められた者だとしてください」と提案します。イサクの妻は自分が決めるのではなく、あくまでも神さまに選んでいただくという思いがここに見られます。
4月 2創世記241527
 「主人アブラハムの神、主はたたえられますように。主の慈しみとまことはわたしの主人を離れず、主はわたしの旅路を導き、主人の一族の家にたどりつかせてくださいました」と祈った。
(創世記24章27節)
アブラハムのしもべがいる井戸にやって来たのは、リベカという女性でした。彼女はアブラハムの兄弟ナホルの孫にあたります。しもべは彼女がどのような行動をとるのか、黙って見ていました。
彼女はしもべに水を飲ませ、また、らくだたちにも十分な水を与えます。らくだは10頭いましたので、大変だったと思います。しかし彼女は井戸まで走りながら、水汲みを続けます。
アブラハムはしもべを自分の生まれ故郷に行かせ、親族からイサクの妻を迎えるように命じていました。そしてリベカは、その条件を満たす女性でした。しもべは神さまにひれ伏して、感謝をささげます。彼女こそ、神さまによって選ばれた女性だったのです。
4月 3創世記242844
 そこで、ラバンは言った。「おいでください。主に祝福されたお方。なぜ、町の外に立っておられるのですか。わたしが、お泊まりになる部屋もらくだの休む場所も整えました。」
(創世記24章31節)
アブラハムのしもべの元に、リベカの兄であるラバンが来ました。彼はリベカから自分の身に起こったことを聞かされたのでしょう。またリベカがしもべたちに泊まる場所を提供しようと言ったことも聞いたと思います。
ラバンはしもべたちを招き入れます。ユダヤの人たちは寄留者や旅行に対して親切に接するのが普通でした。自分のおじさんに当たるアブラハムの名前が出たので、なおさらなのでしょう。
ラバンはしもべたちの前に食事を出しました。しかし彼は食事に手を付ける前に用件を話したいと申し出ます。早く安心したかったのかもしれません。彼は神さまがリベカを選んだということを伝えます。
4月 4創世記244567
 ラバンとベトエルは答えた。「このことは主の御意志ですから、わたしどもが善し悪しを申すことはできません。」
(創世記24章50節)
ここでラバンとリベカの父であるベトエルが登場します。彼とラバンはアブラハムのしもべの話を聞き、リベカがイサクの妻となることを了承します。神さまの意志だと聞かされると、反対するわけにもいかないでしょう。
しもべの申し出が聞かれ、彼らは安心して食事をいただきます。また贈り物を兄や母に贈り、その日はベトエルの家に泊まります。娘の嫁ぎ先は遠く離れていたので、ラバンたちはもう少し長く家に留まるようにと願います。
しかししもべは、次の日の朝に出発したいと申し出ます。そしてリベカもそれに従います。夕暮れ近く、リベカは散歩から帰って来たイサクを見ます。これがイサクとリベカの出会いでした。
4月 5創世記2516
 アブラハムは、再び妻をめとった。その名はケトラといった。
(創世記25章1節)
サラが亡くなったとき、アブラハムは137歳でした。しかしアブラハムはさらに妻をめとります。アブラハムは175歳まで生きたと後の場面で書かれていますが、それにしても元気です。
しかもその妻に、子どもが6人生まれます。イサクの誕生のときに、「高齢のわたしたちに」と言っていたのは何だったのでしょうか。男性は高齢でも子どもができるということなのでしょうか。
アブラハムはケトラの子どもたちを「側女の子」とします。そしてイサクから遠ざけるために移住させます。以前イシュマエルとイサクとの母の間でいざこざがあったことを思い出し、予防線を張ったのでしょう。
4月 6創世記25711
 アブラハムは長寿を全うして息を引き取り、満ち足りて死に、先祖の列に加えられた。
(創世記25章8節)
アブラハムは175歳で天に召されました。先祖の列に加えられるという言い方はあまりなじみがないかもしれませんが、ユダヤでは系図が大切にされていたので、その一員として加えられたというニュアンスでしょうか。
彼はサラが亡くなったときに買った、マクペラの洞窟に葬られます。洞窟には横穴がたくさんあり、その一つに葬られたのだと考えられます。
アブラハムの葬りの際、イサクだけではなくイシュマエルもその場にいたことが報告されています。サラによってイシュマエルとハガルは追い出されましたが、どこにいるかは知っていたということなのでしょう。
4月 7創世記251218
 イシュマエルの子孫は、エジプトに近いシュルに接したハビラからアシュル方面に向かう道筋に沿って宿営し、互いに敵対しつつ生活していた。
(創世記25章18節)
昨日の場面でアブラハムの葬りに参加したイシュマエルですが、彼は137歳で亡くなったと書かれています。イサクの物語はここから盛り上がっていきますが、イシュマエルはこの先登場しません。
新共同訳で「互いに敵対しつつ生活していた」と訳されている25章18節ですが、新しい聖書では「イシュマエルはすべての兄弟と対立して暮らした」という訳に変わっています。
新共同訳ではイシュマエルの子孫同士の仲が悪かったと解釈できますが、新しい聖書ではイシュマエルがイサクやケトラの子どもたちと対立していたということになります。ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の関係を考えると、なかなか複雑です。
4月 8創世記251926
 その後で弟が出てきたが、その手がエサウのかかと(アケブ)をつかんでいたので、ヤコブと名付けた。リベカが二人を産んだとき、イサクは六十歳であった。
(創世記25章26節)
イサクがリベカを妻として迎えたのは、彼が40歳のときでした。この時代、子どもを授かることは神さまに祝福されたしるしだと考えられていました。しかしなかなかリベカは身ごもらなかったようです。
その後神さまはリベカの祈りを聞かれ、イサクが60歳のときに双子の子どもが生まれます。彼らの名前はエサウとヤコブ。先に生まれたのがエサウなので、長男はエサウということになります。
しかしヤコブはその名の通り、エサウのかかと(アケブ)を掴んでいたそうです。すでにエサウの行動を邪魔しているようにも見えます。これから先の物語でも、実際にヤコブはエサウの前に立ちはだかります。
4月 9創世記252734
 エサウはヤコブに言った。「お願いだ、その赤いもの(アドム)、そこの赤いものを食べさせてほしい。わたしは疲れきっているんだ。」彼が名をエドムとも呼ばれたのはこのためである。
(創世記25章30節)
申命記21章15〜17節には「長子権について」という内容が書かれています。それによると、長子は他の子どもの2倍の財産を受け継いでいたようです。また土地も長子が相続していました。
エサウはそれほど大切なものを、たった一回の食事の代わりにヤコブに渡してしまいます。この行為は長子の権利を軽んずるばかりでなく、神さまのことをないがしろにすることだったのでしょう。
エサウは赤いもの(アドム)を欲したこともあり、エドムとも呼ばれます。エドム人は偶像を崇拝し、ユダヤ人と仲が悪かったそうです。この物語は、「エドム人の先祖はこんなひどいことをした」とも伝えているのです。
4月 10創世記2616
 あなたがこの土地に寄留するならば、わたしはあなたと共にいてあなたを祝福し、これらの土地をすべてあなたとその子孫に与え、あなたの父アブラハムに誓ったわたしの誓いを成就する。
(創世記26章3節)
20章でアブラハムとサラはゲラルに滞在しました。その際アブラハムは周りの人に、サラのことを妹だと話していました。
今回、同じようにイサクがゲラルに向かいます。住んでいた地に飢饉が起こったのが原因です。普段から雨が少ないユダヤでは、ちょっとしたことで干ばつが起こり、飢饉になるようです。
その中でエジプトは、ナイル川の恵みもあり豊かでした。飢饉のときはエジプトを頼らざるを得なかったようです。しかしイサクは神さまに、エジプトに下らずにゲラルにいるように命じられます。そして祝福を約束されるのです。

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