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日ごとの聖書

ショートメッセージ 〜2023年3月11日〜20日

3月 11「創世記1915
 しかし、ロトがぜひにと勧めたので、彼らはロトの所に立ち寄ることにし、彼の家を訪ねた。ロトは、酵母を入れないパンを焼いて食事を供し、彼らをもてなした。
(創世記19章3節)
アブラハムの元に来た人は三人でしたが、そのうち二人がソドムに行きました。彼らは御使いであると、今日の箇所には書かれています。彼らはソドムの町の門に座っていました。正しい者が何人いるのか、数えているのでしょうか。
ロトは二人を見て、もてなしたいと願います。最初は断っていた御使いたちも、その言葉に促されてロトの家に入ります。そこに町の男たちが押しかけ、「客人を出せ。なぶりものにしてやるから(新しい聖書では『連中を知りたいものだ』)」とわめきたてます。
「知る」という言葉には、性的な含意があります。そのためこの場面は、男性同性愛のことを指していると解釈されてきました。一方で客人の性別は明らかにされておらず、そこまで限定するのはどうか、という見方もあります。
3月 12創世記19614
 実は、わたしたちはこの町を滅ぼしに来たのです。大きな叫びが主のもとに届いたので、主は、この町を滅ぼすためにわたしたちを遣わされたのです。
(創世記19章13節)
ロトは客人(二人の御使い)を守ろうとします。中近東では、どんなことがあっても客人を守るという習慣があったようです。しかしロトの自分の娘を差し出すという提案は、読んでいてあまり気分のよいものではありません。
当時、娘の社会的な地位は低かったとはいえ、父親としてこの行為はどうなのか、というのが正直な気持ちです。ロトは交渉の手段として、娘を差し出すということを口にしたにすぎず、本意ではなかったと解釈する人もいますが、果たしてどうだったのでしょうか。
結局、交渉は決裂しました。御使いはすぐにロトを守ります。そしてロトの娘や婿たちに、すぐにソドムから離れるように声をかけます。しかし婿たちは、そのことを信じることができませんでした。しかし婿たちが信じていたとしても、「10人」には届きませんでした。
3月 13創世記191529
 彼らがロトたちを町外れへ連れ出したとき、主は言われた。「命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。低地のどこにもとどまるな。山へ逃げなさい。さもないと、滅びることになる。」
(創世記19章17節)
神さまはついに、ソドムとゴモラに罰を下されます。御使いたちはロトに対して、山に逃げるようにと命じます。神さまは「アブラハムのことを忘れず」、ロトを救い出されたのだと聖書には書かれています。
アブラハムが執拗に、「正しい者が何人いれば」と訴えていたので、正しい者であったロトの家族だけは救われたということなのでしょう。ただし一つだけ、条件がありました。
それは、「振り返ってはならない」というものでした。財産や家など、残してきた物に未練を残すなということでしょうか。しかしロトの妻だけは振り返ってしまい、塩の柱になってしまいました。
3月 14創世記193038
 娘たちはその夜、父親にぶどう酒を飲ませ、姉がまず、父親のところへ入って寝た。父親は、娘が寝に来たのも立ち去ったのも気がつかなかった。
(創世記19章33節)
この箇所は、わたしたちにとって理解しがたいものです。いくら子孫を残すことが大切だからといって、父親と関係を結ぶのは良くないのではないか、イスラエルではこんなことが許されるのか、と思うかもしれません。
実際イスラエルでも、近親相姦というのは忌むべきことでした。実は彼らの子孫とされるモアブ人とアンモン人はイスラエル民族と対立を続けていた人たちでした。
そこで、「彼らは忌むべき行為によって誕生した、忌むべき存在なのだ」ということを、聖書を使って語ったのではないかとされます。同じように聖書によって傷つけられた人や民族が、存在するのかもしれません。
3月 15創世記2017
 アブラハムは妻サラのことを、「これはわたしの妹です」と言ったので、ゲラルの王アビメレクは使いをやってサラを召し入れた。
(創世記20章2節)
確か同じような話があったはずだと思ったあなた、正解です。アブラハム(当時アブラム)は創世記12章10〜20節でエジプトに入るとき、妻のサラ(当時サライ)を自分の妹だと言っていました。今回と同じです。
そのときはファラオによって宮廷に召し入れられましたが、今回はゲラルの王アビメレクに召し入れられます。このときサラは90歳近くになっているはずですが、かなり魅力のある女性だったのでしょう。
アビメレク王は夢の中で、「あなたは死ぬことになる」と神さまに告げられます。前出のファラオには、実際に災いが下っていました。偽りを告げて混乱させたのはアブラハムなのですが、彼には何の咎めもないようです。
3月 1620813
 アブラハムは答えた。「この土地には、神を畏れることが全くないので、わたしは妻のゆえに殺されると思ったのです。
(創世記20章11節)
アビメレク王の心には、怒りよりも神さまへの畏れが生じたようです。アブラハムがこの土地に入る前に感じていた「神を畏れることが全くない」という状況からは、改善したと言えるのかもしれません。
アブラハムがサラのことを「妹」だと言う根拠は、聖書の他の箇所には書かれていません。つまりアブラハムの父テラに、娘サラが生まれていたとは書かれていないのです。またもし妹だとしても、異母きょうだいであることは変わらず、ちょっとややこしいです。
この前の箇所の娘を差し出そうとしたロトといい、召し出されることが分かった上で妻のことを妹だと言うアブラハムといい、わたしたちには理解しがたい家族関係が、当時はあったということなのでしょうか。
3月 17創世記201416
 また、サラに言った。「わたしは、銀一千シェケルをあなたの兄上に贈りました。それは、あなたとの間のすべての出来事の疑惑を晴らす証拠です。これであなたの名誉は取り戻されるでしょう。」
(創世記20章16節)
アビメレク王はアブラハムに騙されたと言っても過言ではありません。しかし彼は、神さまの怒りから免れるために、精一杯のことをしました。アブラハムに妻サラを返しただけではなく、羊と牛、奴隷を与え、好きな場所に住んでもよいと伝えます。
さらに銀を1000シェケル渡します。1シェケルは11.4gですので1000シェケルは11.4sとなります。銀の売買価格は1g約100円ですので、現在の価値で114万円相当です。なかなかの金額です。
ゲラルの王アビメレクがアブラハムとサラの出来事によって、そこまで神さまを畏れるようになったということが、この箇所のメインテーマということなのでしょうか。
3月 18創世記201718
 アブラハムが神に祈ると、神はアビメレクとその妻、および侍女たちをいやされたので、再び子供を産むことができるようになった。
(創世記20章17節)
昨日の箇所で、アビメレク王がアブラハムに過剰ともいえる贈り物などをした理由は、「アブラハムに祈って欲しいから」でした。神さまは7節で、「彼は預言者だから、あなたのために祈り、命を救ってくれるだろう」と伝えていました。
神さまはすでに、アビメレクと妻、および侍女たちに災いをもたらせていました。その災いとは、彼女たちの胎をすべて堅く閉ざすということです。それはアビメレク家に、子孫が与えられないということを意味しました。
子が与えられるというのは、神さまの祝福と考えられていました。逆に与えられないのは、神さまによる罰だとされていました。人間の出生はすべて、神さまがコントロールしているという思想が、ここにはあらわされています。
3月 19創世記2117
 サラは言った。「神はわたしに笑いをお与えになった。聞く者は皆、わたしと笑い(イサク)を共にしてくれるでしょう。」
(創世記21章6節)
三人の人が予告した通り、サラは身ごもり、子どもを産みます。そのときアブラハムは100歳、サラは90歳でした。普通では考えられない出来事が、彼女たちの身に起こったのでした。これは神さまのなさる業だということです。
子どもが生まれると聞いたとき、アブラハムもサラも信じられずに笑いました。サラはそのとき、「あなたは確かに笑った」と神さまに指摘されます。そして今回も、彼女は笑いした。しかし今回は、喜びの笑いでした。
イサクとは、神さまがアブラハムに付けるように命じた名前です。そのイサクという語には、「笑い」という意味がありました。子どもを与えられたことで、サラは本当の「笑い」を得たのです。
3月 20創世記21813
 神はアブラハムに言われた。「あの子供とあの女のことで苦しまなくてもよい。すべてサラが言うことに聞き従いなさい。あなたの子孫はイサクによって伝えられる。
(創世記21章12節)
イシュマエルは、アブラハムが86歳のときの子どもです。したがって、イシュマエルとイサクは14歳の差があります。中学2年生のときに弟が生まれた、ということです。
サラはそのイシュマエルがイサクをからかっているのを見て、怒ります。新共同訳聖書の「からかっている」という訳では相手をいじめているような印象を受けますが、新しい聖書では「遊び戯れている」となっています。仲良くしているようにも感じます。
ただサラにとっては、自分の子どもだけが「本家」だというのでしょう。多少わがままのようにも思えます。しかし神さまは、サラの言うことを聞くようにとアブラハムに伝えます。なんだかイシュマエルが、不憫でかわいそうです。

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