2月 21日「創世記14:13〜16」 | ||||
アブラムは、親族の者が捕虜になったと聞いて、彼の家で生まれた奴隷で、訓練を受けた者三百十八人を召集し、ダンまで追跡した。 (創世記14章14節) |
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旧約聖書の中には、戦いが多く出てきます。現代を生きるわたしたちにとって、それらの記述は目を背けたくなるものです。「戦いに勝利すること」=「神の祝福」という図式を、わたしたちがそのまま受け入れるのは大変危険だと思います。 | ||||
以前アブラムと別れて歩むことになった甥のロトは、ソドムの人たちと共に捕虜になっていました。アブラムは彼を取り戻すために、318人の従者を動員して追っていきました。 | ||||
その人たちは、普段から訓練されていたようです。やはり物騒な世界です。遊牧民であったアブラムは寄留する土地の人と契約を結び、放牧をおこないました。その契約の中には、「外敵から守る」ということもあったのでしょう。 | ||||
2月 22日「創世記14:17〜24」 | ||||
いと高き神の祭司であったサレムの王メルキゼデクも、パンとぶどう酒を持って来た。 (創世記14章18節) |
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アブラムがロトを取り戻して帰って来たとき、ソドムの王とサレムの王メルキゼデクがやって来ました。サレムとはエルサレムのことです。またメルキゼデクは「いと高き神の祭司」とも書かれています。 | ||||
メルキゼデクのことは、新約聖書のヘブライ人への手紙にもこのように記されています。「メルキゼデクという名の意味は、まず「義の王」、次に「サレムの王」、つまり「平和の王」です。(ヘブライ人への手紙7章2節)」 | ||||
彼は、祭司の血族であるレビ族以外の者でありながら、アブラムから十分の一を受け取り、アブラムを祝福しました。そしてイエス様も、メルキゼデクと同じ「いと高き神の祭司」であるとヘブライ書は書きます。イエス様はユダヤ教の枠組みを乗り越えられるのです。 | ||||
2月 23日「創世記15:1〜6」 | ||||
アブラムは尋ねた。「わが神、主よ。わたしに何をくださるというのですか。わたしには子供がありません。家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです。 (創世記15章2節) |
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アブラムには、まだ子どもがいませんでした。この時代、子孫が与えられるということが神さまの祝福だと考えられていたため、アブラムの心中は複雑だったことでしょう。 | ||||
弟のナホルや甥のロトも一緒に住んでいないため、アブラムの財産を相続するのはエリエゼルでした。彼は使用人(聖書では家の僕)でした。神さまに対してアブラムが言った言葉には、「どうして子どもを与えてくれないのですか」という嘆きも含まれています。 | ||||
神さまは以前、地の塵の数ほどアブラムの子孫を増やすと約束されました。そして今回は、星の数のように子孫が増えると約束します。そしてアブラムは、その言葉を信じました。これが「アブラムの義」なのです。 | ||||
2月 24日「創世記15:7〜11」 | ||||
アブラムは尋ねた。「わが神、主よ。この土地をわたしが継ぐことを、何によって知ることができましょうか。」 (創世記15章8節) |
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昨日の箇所で、アブラムは自分の子孫が星の数のように増えると告げられたことを、そのまま信じました。しかし神さまが、「あなたに地を与えて継がせる」と言われた言葉に対しては、しるしを求めます。 | ||||
アブラムは雌牛、雌山羊、雄羊、山鳩、鳩の雛のうち、鳥以外は真ん中で二つに切り裂いて向かい合わせて置きました。このように動物を向かい合わせで置くのは、古代中近東の契約のやり方だったようです。 | ||||
アブラムにそれらの動物を用意するように命じたのは神さまです。つまり神さまは、土地を与えるという約束について、アブラムと契約を結ぼうとされるのです。アブラムははげ鷹(新しい聖書では猛禽)を追い払いながら、その時を待ちます。 | ||||
2月 25日「創世記15:12〜16」 | ||||
主はアブラムに言われた。「よく覚えておくがよい。あなたの子孫は異邦の国で寄留者となり、四百年の間奴隷として仕え、苦しめられるであろう。 (創世記15章13節) |
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神さまが夢の中で語り掛ける場面は、聖書によく見られます。アブラムは夢の中で、自分の子孫の未来について知ることになります。ただし自分自身は、良き晩年を迎えて葬られ、安らかに先祖のところに行くと告げられていますが。 | ||||
この夢が「出エジプト」のことだと、ユダヤの人たちはすぐに気が付くでしょう。アブラムの子孫が400年の間奴隷としてエジプトに仕えること、そのエジプトを神さまが裁かれること、そして多くの財産を携えてエジプトから出てくることを神さまは告げるのです。 | ||||
この夢はアブラムに対して予告をするという意味合いよりも、出エジプトの出来事が神さまのご計画であることを強調します。すべては神さまによる救済の歴史なのです。 | ||||
2月 26日「創世記15:17〜20」 | ||||
日が沈み、暗闇に覆われたころ、突然、煙を吐く炉と燃える松明が二つに裂かれた動物の間を通り過ぎた。 (創世記15章17節) |
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昨日のアブラムの夢の場面は、「日が沈みかけた頃」の出来事でした。今日の箇所は「日が沈み」から始まるので、アブラムが眠った時間はそれほど長くなかったようです。神さまがアブラムを無理やり眠らせた、ということでしょう。 | ||||
「煙を吐く炉と燃える松明」という具体的な言葉が出てきますが、その中に燃える「炎」は神さまの臨在のしるしだと考えることができます。出エジプトの「火の柱」や使徒言行録の聖霊降臨の物語でも、炎が想起させられます。 | ||||
神さまはこれらの出来事によって、アブラムと契約を結ばれました。言葉だけではなく儀式を通しても、「土地を与える」という約束が締結されたのです。しかしこの聖書の記述によって、たくさんの民族が苦しめられているという事実も忘れてはなりません。 | ||||
2月 27日「創世記16:1〜2」 | ||||
サライはアブラムに言った。「主はわたしに子供を授けてくださいません。どうぞ、わたしの女奴隷のところに入ってください。わたしは彼女によって、子供を与えられるかもしれません。」アブラムは、サライの願いを聞き入れた。 (創世記16章2節) |
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この時代に、跡取りを得るということは大変重要なことでした。しかし同じような考え方が、日本でも最近まで(今でも?)ありました。男の子が生まれたら大喜びする。家を守るために婿養子をとる。 | ||||
また子どもが生まれないのは、女性の責任だと考えることも普通でした。だからサライは自分の責任を感じ、アブラムに女奴隷ハガルのところに入るように願うのです。 | ||||
子孫を残し、土地や財産を相続させることは、正しいことだと考えられていました。ですからアブラムがハガルの元に入っても、姦淫とはならなかったようです。ただこの提案をせざるを得ないサライの心は、大変複雑だったことでしょう。 | ||||
2月 28日「創世記16:3〜6」 | ||||
アブラムはハガルのところに入り、彼女は身ごもった。ところが、自分が身ごもったのを知ると、彼女は女主人を軽んじた。 (創世記16章4節) |
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サライの提案どおり、アブラムは女奴隷ハガルの元に入り、ハガルは身ごもります。しかしこの妊娠によって、3人の関係が変わっていきます。まずハガルがサライを見下すようになりました。 | ||||
子どもが出来るということは、神さまの祝福のしるしだと考えられていました。ですからハガルの気持ちも、わからないではないです。サライはアブラムにハガルの態度について訴えると、アブラムは「好きなようにするがよい」と答えます。 | ||||
このアブラムの態度、どうでしょうか。もう少し責任感のある返答は、なかったのでしょうか。サライは本当に、好きなようにしました。その結果、ハガルは逃げ出します。3人の態度は、どれも愛のないもののように感じます。 |