本文へスキップ


日ごとの聖書

ショートメッセージ 〜2023年2月11日〜20日

2月 11「創世記111026
 セムの系図は次のとおりである。セムが百歳になったとき、アルパクシャドが生まれた。それは洪水の二年後のことであった。
(創世記11章10節)
聖書はここでまた、系図に入ります。今度はセムの系図です。10章21節以降にある系図と見比べると、少しずつ違っているのが分かります。まずどちらか片方にしか登場しない人の名前が見受けられます。
またどちらかというと、今回の系図に登場する人たちの方が丁寧に書かれているように思います。何歳で子どもをもうけたか、そして何歳まで生きたかということが書かれているからです。6章3節で人の寿命は120年になったはずなのに、とも思いましたが。
また系図の最後にテラが登場します。彼はアブラム、ナホル、ハランをもうけます。このアブラムは、イスラエルの人々にとってとても重要な人物です。ノアからアブラムに物語が移行していくことを、この系図は示しているのです。
2月 12創世記112732
 テラは、息子アブラムと、ハランの息子で自分の孫であるロト、および息子アブラムの妻で自分の嫁であるサライを連れて、カルデアのウルを出発し、カナン地方に向かった。彼らはハランまで来ると、そこにとどまった。
(創世記11章31節)
「テラの系図は次のとおりである」と始まる今日の箇所には、これから先にも登場していく重要な人物が何名か出てきます。アブラム、ナホル、サライ、ロトなどです。
この名前を見て、「あれ?アブラムとサライではなく、アブラハムとサラじゃなかったっけ?」と思う方もおられるでしょう。彼らの改名については17章に出てきますので、お楽しみに。
ここで気になるのは、アブラムの父テラがすでに家族を連れて、生まれ故郷であるカルデアのウルを出発してカナンに向かったことです。彼らはハランまで来て、そこに住みました。神さまがアブラムに「わたしの示す地に行け」と言われた場面は有名ですが、その父もすでに故郷を離れていたのです。
2月 13創世記1213
 わたしはあなたを大いなる国民にし あなたを祝福し、あなたの名を高める 祝福の源となるように。
(創世記12章2節)
パウロはガラテヤの信徒への手紙3章8節で、「聖書は、神が異邦人を信仰によって義となさることを見越して、『あなたのゆえに異邦人は皆祝福される』という福音をアブラハムに予告しました」と書きます。
このパウロの言葉は、今日の箇所にある神さまの言葉が元になっています。ユダヤの人々はこの神さまの言葉を、自分たちイスラエルの民への約束と捉え、自分たちは選ばれた民だと信じました。
しかしパウロは、この約束は全人類に対するものであると考えます。アブラムを通して始められた人類への救いの計画は、「地上のすべての氏族」に対してのものだったのです。
2月 14創世記1246
 アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。
(創世記12章4節)
奈良基督教会では、75歳になると教会委員への被選挙権がなくなります。つまり簡単に言うと、75歳が定年だというわけです。しかしアブラムは、75歳の時に新たな道を神さまに示されました。
アブラムは175歳まで生きたそうですから、まだこの時は人生の折り返し前とも言えます。しかし長年暮らしてきた場所を離れ、寄留者として知らない土地に行くことには、大変な勇気と決断が必要だったことでしょう。
しかしアブラムは、神さまが告げられたことに従い、家族を連れて出かけます。そこには他に、何も書かれていません。アブラムは、ただ神さまの言葉を信じたのです。これがアブラムが、「信仰の父」と呼ばれる所以です。
2月 15創世記1279
 主はアブラムに現れて、言われた。「あなたの子孫にこの土地を与える。」アブラムは、彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。
(創世記12章7節)
神さまはアブラムに、「わたしはあなたの子孫にこの地を与える」と約束されました。そのためこのカナンという土地は「約束の地」と呼ばれることになってしまいます。
その土地には、カナン人が住んでいました。カナン人はハムの子孫ですが、ノアは息子のハムに自分の裸を見られたことに怒り、「カナンは呪われよ 奴隷の奴隷となり、兄たちに仕えよ。カナンはセムの奴隷となれ」と言いました。
だからセムの子孫であるアブラムは、カナン人が住んでいる土地であろうとも与えられる権利があるのだという論法は、かなり強引のように思います。そしてそこに祭壇を築く。カナン人からすると、気持ちのよいことではなかったでしょう。
2月 16創世記121020
 ところが主は、アブラムの妻サライのことで、ファラオと宮廷の人々を恐ろしい病気にかからせた。
(創世記12章17節)
アブラムは約束の地カナンに入りますが、その地に飢饉が起こります。そこで彼らは、エジプトへと下っていきます。37章以降のヨセフ物語の中でも、エジプトは作物が豊富な土地として描かれます。ナイル川の恵みはそれほどすごかったのでしょうか。
エジプトに近づいたときアブラムは、妻のサライに「妹」と名乗るように言います。これと同じような物語は聖書の他の箇所にも見られますし、聖書以外にも伝えられています。
サライはアブラムより10歳年下でした。アブラムは少なくとも75歳ですから、サライも65歳以上ということになります。そしてそもそもウソをついたのはアブラムなのに、ファラオに神さまの怒りが下されるのは少しかわいそうにも思います。
2月 17創世記1317
 アブラムの家畜を飼う者たちと、ロトの家畜を飼う者たちとの間に争いが起きた。そのころ、その地方にはカナン人もペリジ人も住んでいた。
(創世記13章7節)
聖書は人間の弱さや醜さを、隠すことなく描いていきます。アブラムとロトは叔父と甥の関係でした。彼らの財産は非常に増えていきます。その結果、それぞれの家畜を飼う者たちの間に、争いが生じたということです。
旧約聖書の時代、財産を得ることは神さまの祝福だと考えられていました。つまりアブラムとロトには、神さまの祝福が与えられていたと思われていたのです。ところがそのために、争いが起こったということはどういうことなのでしょうか。
祝福を受けているからこそ、他者に寛容にありたいと思っていれば、彼らは争うことなどないのです。家畜を飼う者たちと、アブラムやロトとの考え方は違うかもしれません。しかしどこかに、自分たちは特別だという思いもあったのでしょう。
2月 18創世記13813
 アブラムはカナン地方に住み、ロトは低地の町々に住んだが、彼はソドムまで天幕を移した。
(創世記13章12節)
アブラムとロトは分かれて暮らすことを決意します。ロトはアブラムの甥ですので、アブラムの方が年長者です。ですからアブラムは、好きな土地を選ぶこともできたでしょう。しかし彼は、ロトに好きな方を選ばせました。
アブラムは神さまに命じられ、故郷を離れカナンの地にやってきました。ただただ神さまの言葉に信頼を置く、それがアブラムの信仰でした。「信仰の父」と呼ばれるアブラムは、ここでも必ず神さまに守ってもらえるという確信があったのかもしれません。
ロトが選んだのは、低地の「主の園」のように見えるとても良い地でした。しかし彼が天幕を移したそばにあるソドムには、とても邪悪で罪深い人々が住んでいました。ソドムの物語はまた後ほど出てきます。
2月 19創世記131418
 あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。大地の砂粒が数えきれないように、あなたの子孫も数えきれないであろう。
(創世記13章16節)
ロトが去った後、アブラムは神さまからの約束を聞きます。それはその地を、アブラムとその子孫に与えるというものでした。アブラムはすでに75歳を過ぎていましたが、まだ子どもはおりませんでした。
それでも神さまは、「あなたの子孫を大地の砂粒のようにする」と語ります。アブラムの耳には、その約束はどのように聞こえていたのでしょうか。
その言葉を聞いた後、アブラムは天幕を移し、マムレの樫の木のそばに来て住み、祭壇を築きます。どこに行ってもまず、神さまを礼拝することを大切にするのです。常に神さまに心を向けるアブラムの姿を、わたしたちも見習いたいと思います。
2月 20創世記14112
 ソドムに住んでいたアブラムの甥ロトも、財産もろとも連れ去られた。
(創世記14章12節)
突然地名と王様の名前が列記されて戸惑いますが、この時代においても国同士で争いが起こっていたということが書かれています。しかも「連合国」のような形で、国同士が結びついたりしています。織田につくのか、今川につくのか、どうする?ということでしょうか。
この時代、戦いに敗れると悲惨な状況が待っていました。財産や食料はすべて奪われ、また連行された人は皆、奴隷にされます。ソドムとゴモラの王は穴に落ちてしまい、戦いに敗れてしまいます。
ソドムというと、アブラムと別れたロトが住んでいた場所でした。戦いに勝利した人たちは、ソドムとゴモラの財産や食料をすべて奪い取ります。その中には、ロトとその財産も含まれていました。どうする?アブラム。

バナースペース

勤務地:日本聖公会 奈良基督教会
 教会HPはこちら

〒630-8213
奈良市登大路町45

TEL 0742-22-3818

牧師:司祭マタイ古本靖久
副牧師:司祭エレナ古本みさ