1月 21日「創世記5:25~32」 | ||||
ノアは五百歳になったとき、セム、ハム、ヤフェトをもうけた。 (創世記5章32節) |
||||
5章1節から始まったアダムの系図は、ノアの代まで進んで終わります。この中で一番長寿なのはメトシェラで、なんと969年も生きたそうです。キリスト教が東西分裂してから今までの長い期間、生きてきたようなものです。 | ||||
これまで出てきた人たちはみな、高齢で子どもを授かっていました。アダムは130歳、セトは90歳など。メトシェラでも187歳でした。しかしノアだけは500歳になってから、子どもが出来たそうです。どうしてここまで遅いのでしょうか。 | ||||
後に書かれていますが、ノアが600歳のときに洪水が起こります。従って三人の息子は、そのころ100歳ということになります。洪水が起こったときには彼ら三人にはまだ、子どもは出来ていませんでした。働き盛りの100歳、ということなのでしょうか。 | ||||
1月 22日「創世記6:1~4」 | ||||
主は言われた。「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから。」こうして、人の一生は百二十年となった。 (創世記6章3節) |
||||
今日の箇所はあまりにも唐突過ぎて、意味を掴むのに時間がかかってしまいます。まず「神の子」という言葉が出てきますが、これはイエス様のことではなく、天使など「天的存在」のことではないかと思われます。 | ||||
神さまは「天的存在」が人間の娘たちを妻とするのを見て、ご自分の霊が人の中に永久にとどまることを良しとはされませんでした。それまでも人の命には限りがありましたが、神さまはそれを「120年」と定められました。(その後アブラハムは175歳まで生きていますが) | ||||
ここに出てくる勇士「ネフィリム」という名は、民数記13章33節にも登場します。イスラエルの人たちがカナンの地を偵察に行ったときに、そこにいた人たちを見て「我々が見たのは、ネフィリムなのだ」と恐れます。伝説の勇士なのでしょう。 | ||||
1月 23日「創世記6:5~10」 | ||||
これはノアの物語である。その世代の中で、ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ。 (創世記6章9節) |
||||
聖書はここから、「ノアの箱舟」の物語に入ります。神さまは地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められました。 | ||||
この記述を読むと、今の世界を神さまはどのような目で見ておられるのだろうと心配になります。悪がはびこり、また自分自身の心も悪に傾いていることに気づかされることが多々あります。 | ||||
その中で神さまは、ノアに目を留められました。彼は神さまに従う無垢な人でした。新しい聖書では「正しく、かつ全き人」と訳されています。そのような人が一人でもいたことが、救いにつながっていきます。 | ||||
1月 24日「創世記6:11~17」 | ||||
見よ、わたしは地上に洪水をもたらし、命の霊をもつ、すべて肉なるものを天の下から滅ぼす。地上のすべてのものは息絶える。 (創世記6章17節) |
||||
神さまは正しく、全き人であったノアに、地とすべての肉なる者を滅ぼすことを告げられます。人間だけではなく動物や鳥たちも含めて、「肉なる者」はすべて滅ぼすというのです。 | ||||
しかし、同時に神さまはノアに「箱舟づくり」を命じられます。アンマというのは長さの単位で、1アンマはひじから中指の先までの長さです。1アンマを約45㎝と考えると、箱舟の大きさは、長さ135m、幅22.5m、高さ13.5mとなります。 | ||||
3階建ての巨大な箱舟を、ノアたちはどうやって造ったのでしょう。また家族だけで造ることができたのでしょうか。箱舟には屋根と戸口はつけられますが、オールや帆はつけられません。自力で動くことのできない、ただ漂うだけの舟なのです。 | ||||
1月 25日「創世記6:18~22」 | ||||
ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした。 (創世記6章22節) |
||||
神さまはノアとの間に、契約を立てます。この契約が具体的に何かは書かれていません。ノアの家族、鳥、家畜、地を這うあらゆるものを二匹ずつ箱舟に入れなさい。わたしはそれらが生きられるようにするというのが「契約」なのでしょう。 | ||||
神さまはここで、「すべての者を滅ぼす」と言われたことを思い直したのでしょうか。ただしノアは人間の中で「正しい者」として選ばれましたが、動物たちはそうではなく、無造作に選ばれたようです。 | ||||
ノアは箱舟を造るのに、どれだけの期間働いたのでしょうか。また神さまに疑問を呈することはなかったのでしょうか。聖書はノアの心情には一切触れません。ただ神さまを信じ、その命令を守ったノアの行動だけが伝えられます。 | ||||
1月 26日「創世記7:1~5」 | ||||
主はノアに言われた。「さあ、あなたとあなたの家族は皆、箱舟に入りなさい。この世代の中であなただけはわたしに従う人だと、わたしは認めている。」 (創世記7章1節) |
||||
ノアの箱舟のアニメや映画では、ノアたち家族は決まって周りの住民から馬鹿にされます。「こんな大きな箱舟造ってどうするんだ」、「ここまで水につかるような雨なんて降るはずがない」。ノアはそのようなことを言う人々を、どんな目で見ていたのでしょうか。 | ||||
確かにノアは正しく、神さまに選ばれた人物です。しかし、周りの人たちが死んでしまってもいいと考えたのでしょうか。自分たちだけが助かればいい、その思いはあまりいいとは思えません。 | ||||
この箇所で神さまは、清い動物と空の鳥については箱舟に入る数を雄・雌7匹ずつに変更します。のちに清い動物と鳥はいけにえとして献げられるので、数を増やしたのかもしれません。 | ||||
1月 27日「創世記7:6~10」 | ||||
ノアが六百歳のとき、洪水が地上に起こり、水が地の上にみなぎった。 (創世記7章6節) |
||||
ついに洪水が起こります。ノアはそのとき、600歳でした。さぞかし箱舟づくりはしんどかったことでしょう。さらに10節には、「七日たって、大洪水が地上に起こった」とあります。さらに大きな洪水がきたということでしょうか。 | ||||
ノアたち家族や動物、鳥などは急いで箱舟の中に入ります。ここでは清い動物も、雄と雌二匹ずつとなっています。様々な伝承をまとめていく中で、聖書の記述にも混乱が生じているように思えます。 | ||||
洪水で人々が滅ぼされる神話は、世界各地にあるそうです。ギリシア神話やギルガメシュ叙事詩、またヒンドゥー教などにも見られるそうですが、水に対する恐怖というものが共通してその根底にあるのでしょう。 | ||||
1月 28日「創世記7:11~16」 | ||||
神が命じられたとおりに、すべて肉なるものの雄と雌とが来た。主は、ノアの後ろで戸を閉ざされた。 (創世記7章16節) |
||||
洪水は激しさを増します。「大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた」と書かれていますが、ブルーシートを張っているところに雨水がたまり、それが一気に張り裂けたということが世界中で同時に起こったようなものでしょうか。 | ||||
かなりわかりにくいたとえになってしまいましたが、とにかく経験したことのないような豪雨が40日40夜続いたということです。そしてそのときに、箱舟の後ろの戸を閉じられたのは神さまでした。 | ||||
神さまが戸を閉じられたということ、それは箱舟の中の命は神さまが支配するということです。支配というときつい表現に聞こえますが、聖書では「守る」、「正しく管理する」という意味です。創世記1章28節の「人間が動物を支配する」のと同じことです。 | ||||
1月 29日「創世記7:17~24」 | ||||
地の面にいた生き物はすべて、人をはじめ、家畜、這うもの、空の鳥に至るまでぬぐい去られた。彼らは大地からぬぐい去られ、ノアと、彼と共に箱舟にいたものだけが残った。 (創世記7章23節) |
||||
洪水は40日間、地上で続きます。40という数字は聖書にたびたび登場します。出エジプトの際、イスラエルの民が荒れ野でさまよったのは40年間でした。イエス様が荒れ野で悪魔の誘惑を受けたのは40日間でした。 | ||||
40には文字通りの意味だけではなく、「大変長い期間」という意味も持ちます。つまり途方もなく長い間雨が降り続け、一番高い山の15アンマ(6.75m)上まで、水で覆われたというのです。 | ||||
その結果、鳥ですら羽を休める場所がないために息絶えていきました。水はさらに150日間、みなぎったままだったそうです。確かに蒸発する以外、水の行き場はありません。ノアたちはどのような思いで、一面の水を見ていたのでしょうか。 | ||||
1月 30日「創世記8:1~5」 | ||||
神は、ノアと彼と共に箱舟にいたすべての獣とすべての家畜を御心に留め、地の上に風を吹かせられたので、水が減り始めた。 (創世記8章1節) |
||||
神さまは、箱舟の中にいたノアや動物たちを忘れることはありませんでした。神さまが送られた風は、地上の水の勢いを収めます。聖書の中で、風は「霊」と同じ言葉です。「神の霊が水の面を動いていた」という1章2節の記述が思い起こされます。 | ||||
5か月経ってようやく水は引いていき、箱舟はアララト山の上にとどまります。、トルコ共和国の東に標高5,137mの「アララト山」がありますが、12世紀以降、これはきっと聖書の山に違いないと考えた欧州人が、そのように命名したそうです。 | ||||
その後2か月半ほどかけて、ようやく山々の頂があらわれます。水が引くのにそれだけたくさんの時間を要したということは、神さまの怒りがそれほど大きかったということを示しているようです。 | ||||
1月 31日「創世記8:6~14」 | ||||
鳩は夕方になってノアのもとに帰って来た。見よ、鳩はくちばしにオリーブの葉をくわえていた。ノアは水が地上からひいたことを知った。 (創世記8章11節) |
||||
ノアは地が渇いたかどうかを確かめるために、烏を放ちます。ところが烏は乾いた所がなかったので、行ったり来たりします。鳩を放しても、すぐに戻ってきました。しかし7日後に再び鳩を放つと、鳩はオリーブの葉を加えて戻ってきたそうです。 | ||||
奈良基督教会の大きな瓦(いわゆる鬼瓦)には、鳩とオリーブが刻まれています。鳩とオリーブは洪水が終わった平安のしるしです。礼拝堂という箱舟から外に出る時に、わたしたちには平安が約束されていることを心に留めましょう。 | ||||
さらに7日後に鳩を放すと、もう箱舟には戻って来ませんでした。乾いた地を見つけたのでしょう。ようやくノアたちは、地上に戻ることができるのです。 |