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日ごとの聖書

ショートメッセージ 〜2023年1月11日〜20日

1月 11「創世記創世記3813
 アダムは答えた。「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」
(創世記3章12節)
神さまは園の木の間に隠れていたアダムたちに声を掛けます。「どこにいるのか」と。その後、「誰が告げたのか」、「食べたのか」と矢継ぎ早に質問しますが、神さまはすべてを知っている上でアダムたちに尋ねたのかもしれません。
アダムの「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が」という答えからは、「責任の一端はあなた(神さま)にある」という思いが透けて見えます。さらに女は、「蛇がだましたので」と、責任を蛇に負わせようとします。
二人は二つの罪を犯しました。一つは神さまの言いつけに背き、木の実を食べたこと。そして二つ目は、自分の罪を認めずに責任転嫁をしたことです。二つ目の罪がなければ、神さまはそこまで怒ることもなかったのではないか?と思うのはわたしだけでしょうか。
1月 12創世記31419
 お前は顔に汗を流してパンを得る 土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。
(創世記3章19節)
聖書学の用語で「原因譚」という言葉があります。わたしたちの身の周りにある事柄を説明するために、その原因を聖書の物語に遡らせることを言います。今日の箇所の中にも、いくつか登場します。
なぜ蛇はあんなに気持ち悪い姿で這いまわるのか。なぜ多くの女性は蛇を嫌うのか。なぜ出産は苦痛を伴うのか。なぜ労働はしんどいのか。それらの原因を、聖書の中に見出すのです。さらに人間の罪も、アダムとエバから始まった「原罪」だと理解するのです。
しかしアダムとエバの罪の結果、人間と神さまとの関係が壊れてしまったということは押さえておきたいと思います。この断絶を修復するために、イエス様がわたしたちの間に来てくださったのですから。
1月 13創世記32024
 主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた。
(創世記3章21節)
新共同訳聖書では、エバという名前の後に(命)という原意(原語の意味)が書かれていましたが、新しい聖書にはそれはありません。もともとの聖書に書かれていないからなのですが、あった方が読みやすいという気もします。
二人はそれまで、いちじくの葉をつづり合わせ、腰に巻いていました。しかしここで神さまは、皮の衣を作って着せます。恥ずかしさを隠すだけのものを、身体を保護する物へと変えられるのです。
ここに、神さまの人間に対する思いを見ることができます。確かに楽園からアダムとエバは追放されました。しかし神さまは彼らに皮の衣を着せることで、人間を守っていくという思いを示されたのです。
1月 14創世記創世記417
 もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。
(創世記4章7節)
エバはカインとアベルという兄弟を産みます。子どもが与えられることは神さまの祝福だと考えられていましたから、神さまは追放してもなお、人間を祝福されているということを覚えておきたいと思います。
カインは農耕を、アベルは遊牧を生業とします。そしてそれぞれささげ物をささげますが、神さまはアベルの物にのみ目を留められました。アベルの物は「肥えた羊の初子」とわざわざ書いてあるのに対し、カインの物は「土地の実り」としか書かれていません。
アベルが最上の物を厳選して神さまにささげたのに、カインはその辺にある収穫物をささげたから神さまの怒りを買ったのか、それとも他の理由があるのかはわかりません。ともかくカインは神さまに対して怒り、その怒りの矛先は弟アベルに向けられていきます。
1月 15創世記4816
 カインが弟アベルに言葉をかけ、二人が野原に着いたとき、カインは弟アベルを襲って殺した。
(創世記4章8節)
聖書の時代、農耕民族と遊牧民とは仲が悪かったようです。そのことと関係があるのか分かりませんが、羊を飼うアベルは土を耕すカインによって殺害されました。聖書が描く、人類最初の殺人です。
カインは自分のささげ物が神さまの目に留まらなかったことに怒り、アベルを殺します。アベルは何も悪いことをしていないのに、理不尽な怒りです。しかし人間の怒りは、同じような理不尽と思われるものが多いのも事実です。
神さまはカインを追放しますが、同時にカインにしるしをつけられます。カインを殺す者があれば7倍の復讐を受けるというしるしによって、人がカインに手を出さないようにとされるのです。大きな罪を犯した者をも守られる神さまの寛大さが見て取れます。
1月 16創世記41724
 アダはヤバルを産んだ。ヤバルは、家畜を飼い天幕に住む者の先祖となった。
(創世記4章20節)
アダムの子カインは弟のアベルを殺害したために、地上をさまよう者となりました。そして妻を迎えます。この時点で地上にはアダム、エバ、カインの3名しかいないはずですが、そういう細かい所は考えないようにしましょう。
カインからエノク、イラド…とその血筋は受け継がれていきました。神さまはカインに対して、その子孫を与えていくという祝福までは奪われなかったようです。
カインの子孫の中から、様々な職業の先祖が生まれていきます。「家畜を飼い天幕に住む者の先祖」であるヤバル、「竪琴や笛を奏でる者すべての先祖」であるユバル。二人の父であるレメクは妻たちに、「わたしは傷の報いに男を殺し 打ち傷の報いに若者を殺す」と言います。何だか物騒です。
1月 17創世記42526
 再び、アダムは妻を知った。彼女は男の子を産み、セトと名付けた。カインがアベルを殺したので、神が彼に代わる子を授け(シャト)られたからである。
(創世記4章25節)
ルカによる福音書3章23節以降にはイエス様の系図がありますが、そこには「エノシュ、セト、アダム。そして神に至る」(ルカ3:38)と書かれています。カインとアベルの名は、系図から消えています。
「授ける」という意味を持つヘブライ語「シャト」にちなみ、新たに生まれた男の子は「セト」と名付けられます。彼の妻は「セトの花嫁」と呼ばれるのか、と小柳ルミ子を思い出してしまうのは、わたしだけでしょうか。
今日の箇所の最後に、「主の御名を呼び始めたのは、この時代のことである」とあります。新しい聖書では、「その頃、人々は主の名を呼び始めた」となっています。人々の間に「信仰」と「礼拝」が生まれてきたということです。
1月 18創世記515
 アダムは百三十歳になったとき、自分に似た、自分にかたどった男の子をもうけた。アダムはその子をセトと名付けた。
(創世記5章3節)
ここからアダムからノアまでの、10代にわたる系図が書かれます。マタイによる福音書の冒頭にも系図が書かれており、ユダヤでは血統を大切にしているのがわかります。ただしマタイ福音書では、系図の始まりはアブラハムとなっています。
ここでも「神は人を創造された日、神に似せて(新しい聖書では『神の姿に』)これを造られ、男と女に創造された」と強調されています。わたしたちは神の似姿に造られていることを心に留めたいと思います。
一方でセトは、「自分(アダム)に似た、自分(アダム)にかたどった男の子」と書かれています。元々は神さまの似姿に造られた人間ですが、少しずつ親の欠けた部分を引き継いでいくのでしょうか。何度もコピーをすると、印刷物がだんだん薄れていくように。
1月 19創世記5620
 セトは百五歳になったとき、エノシュをもうけた。セトは、エノシュが生まれた後八百七年生きて、息子や娘をもうけた。セトは九百十二年生き、そして死んだ。
(創世記5章6〜8節)
ユダヤでは、神さまの祝福は次のような形であらわされると考えられてきました。子孫を残すこと、財産を得て裕福になること、そして長寿です。そのこともあり、旧約聖書の前半に出てくる人物は、いずれも長寿です。
アダムは930歳、セトは912歳、エノシュは905歳…と長寿の域をはるかに超えています。1094年に生まれた平安時代後期の公卿、藤原顕頼が2023年の今も生きているようなものです。
また、かなりの高齢になってから子どもが与えられています。それでも計算上では、アダムはセト、エノシュ、ケナン、マハラエル、イエレド、エノク、メトシェラ、レメクというひひひひひひ孫(言い方があっているかは知りません)の誕生に立ち会っていることになりますが。
1月 20創世記52124
 エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった。
(創世記5章24節)
アダムから始まる系図に出てくる人々は、「〜年生き、そして死んだ」という終わり方をしています。しかしエノクだけは、「神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった」と書かれています。
このため、エノクは神さまの手によって天に引き上げられたのではないかと考えられてきました。列王記下2章11節の、旧約の預言者エリヤが天に上って行ったという記述が思い起こされます。
新約聖書にも、エノクに関する記述があります。ユダの手紙14節です。「アダムから数えて七代目に当たるエノクも、彼らについてこう預言しました。『見よ、主は数知れない聖なる者たちを引き連れて来られる』」。エノクは神に近い存在として考えられていたのでしょう。

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