6月 21日「マルコによる福音書15:21〜32」 | ||||
そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。 (マルコによる福音書15章21節) |
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キレネ人シモンの息子二人(アレクサンドロとルフォス)の名前が聖書には載せられています。彼らは初期の教会においてよく知られていた人物なのでしょうか。彼らの証言によっても、イエス様の十字架は証明されているのでしょうか。 | ||||
イエス様は没薬混ぜたぶどう酒を飲むのを拒否されます。苦痛を和らげるために麻酔薬としてその飲み物は与えられますが、イエス様は飲まれません。イエス様は最後まで、苦しみをそのまま受けられるのです。 | ||||
そしてイエス様は、二人の罪人と共に十字架につけられました。罪人の一人として数えられ、苦しみを受け、人々からののしられました。すべての人がイエス様を見棄てました。そして静かに時は過ぎていきます。 | ||||
6月 22日「マルコによる福音書15:33〜41」 | ||||
三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。 (マルコによる福音書15章34節) |
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伝統的に十字架上のイエス様の言葉は「七聖語」としてまとめられています。しかしルカとヨハネには3つずつの言葉が記されていますが、マタイとマルコには1つだけです。そしてその1つが、この34節です。 | ||||
イエス様は人々に見棄てられました。そして今、神さまは沈黙しておられます。しかしその苦痛の中でも、イエス様は神さまから離れず、むしろしがみつこうとされているように思います。 | ||||
イエス様が息を引き取ったときに、百人隊長は「本当にこの人は神の子だった」と言います。百人隊長はいわゆる「異邦人」でした。この信仰告白は、マルコ福音書の読者を、そしてわたしたちを代表してなされているのではないでしょうか。 | ||||
6月 23日「マルコによる福音書15:42〜47」 | ||||
ヨセフは亜麻布を買い、イエスを十字架から降ろしてその布で巻き、岩を掘って作った墓の中に納め、墓の入り口には石を転がしておいた。 (マルコによる福音書15章46節) |
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イエス様が十字架上で息を引き取ったとき、弟子たちはその近くにはおりませんでした。ローマでは死刑を執行された犯罪人の遺体は、家族や親戚、友人などに渡すことになっていました。しかしペトロたちの姿はそこにはありませんでした。 | ||||
イエス様の遺体は、アリマタヤのヨセフが引き取りました。彼は議員ですから、それなりの地位にいました。(マタイ福音書では「金持ち」、ルカ福音書では「善良な正しい人」と書かれています)。 | ||||
彼は意を決し、ピラトに願い出ます。自分の身分が危うくなることなど考えず、自分ができることをイエス様のためにおこないました。そしてマグダラのマリアとヨセの母マリア(多分イエス様の母マリア)はずっと、お墓の方を見つめていました。 | ||||
6月 24日「マルコによる福音書16:1〜8」 | ||||
婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。 (マルコによる福音書16章8節) |
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今日の箇所の小見出しには「復活する」と書かれています。しかしここにはイエス様は登場しません。その代わりに白い衣を着た若者は女性たちに「ガリラヤで会える」と告げます。ガリラヤとは、人々が生活する場所です。人々の日常です。 | ||||
その言葉を、若者は弟子たちとペトロに伝えるようにと、女性たちに言います。イエス様を見棄て、逃げ出し、否認した弟子たちを招かれているのです。弱さの中から抜け出すことのできない一人ひとりに、声を掛けられるのです。 | ||||
マルコ福音書は元々、この16章8節で終わっていたと考えられています(理由は明日)。「震え上がり、正気を失っていた」、「恐ろしかったからである」。これが本来の復活物語でした。復活のイエス様との出会いは、人それぞれ違います。それぞれの復活物語がここから始まるのです。 | ||||
6月 25日「マルコによる福音書16:9〜20」 | ||||
婦人たちは、命じられたことをすべてペトロとその仲間たちに手短に伝えた。その後、イエス御自身も、東から西まで、彼らを通して、永遠の救いに関する聖なる朽ちることのない福音を広められた。アーメン。 (マルコによる福音書16章結び2) |
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この16章9節以降は、後代になって書き加えられたのだと考えられています。一つは有力な写本に9節以降が載せられていないということ。もう一つは使われている語句や文法が大きく変わっており、同じ人が書いたとは思えないからというのがその理由です。 | ||||
なぜ9節以降は書き加えられたのでしょうか。それは8節までで終わったら、復活のイエス様との出会いが語られないことになるからです。後に編集された他の福音書の復活物語には大きなインパクトがあり、そのことも伝えなくてはと思ったのかもしれません。 | ||||
しかし「具体的な」復活物語が載せられないことによって、わたしたち「独自の」復活物語ができていくということもあるのではないでしょうか。復活物語には決まったフォーマットなど存在しないのです。 | ||||
6月 26日「ルカによる福音書1:1〜4」 | ||||
そこで、敬愛するテオフィロさま、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました。 (ルカによる福音書1章3節) |
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今日からルカ福音書に入ります。ルカ福音書の冒頭は、献呈の辞の体裁がとられています。このような書き方は、当時のギリシア・ローマ世界の中で一般的なものでした。 | ||||
ルカ福音書はイエス様が十字架につけられてから、50年以上経って書かれたと考えられています。「順序正しく」というのは時間的なことではなく、神さまによる救済的な意味合いで、どのように関わっていこうとされているのかを正しく伝えようとしているということです。 | ||||
また「テオフィロ」は単なる人名だと考えることもできますが、「神の友」という意味もあることから、神さまを愛するすべての人に対して書かれたと解することもできます。つまりこの書は、わたしたちに対しても書かれているのです。 | ||||
6月 27日「ルカによる福音書1:5〜25」 | ||||
そこで、ザカリアは天使に言った。「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています。」 (ルカによる福音書1章18節) |
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ルカ福音書にはマルコ福音書にはない「イエス様の降誕物語」が記されています。また「洗礼者ヨハネの誕生物語」は、マタイ福音書にも見られません。ルカではイエス様と洗礼者ヨハネとの対比が、くっきりと描かれます。 | ||||
ここに登場する洗礼者ヨハネの父ザカリアは、祭司でした。彼と妻エリサベトとの間には、子どもがおりませんでした。当時、多くの子どもに恵まれることは神さまの祝福と考えられていましたが、子どもに恵まれないことは「恥」だと考えられていました。 | ||||
しかし神さまは、この「不妊の女性」と呼ばれていたエリサベトに、手を差し伸べられました。神さまの介入によって、物語が動き出します。しかしザカリアはすぐに受け入れることはできませんでした。 | ||||
6月 28日「ルカによる福音書1:26〜38」 | ||||
天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」 (ルカによる福音書1章28節) |
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次に神さまは、ナザレにいるマリアの元に天使ガブリエルを遣わされます。彼女はヨセフという男性のいいなずけであり、おとめでした。二人は婚約しており、同居はしていないものの、法的には実質的な夫婦とみなされていたようです。 | ||||
結婚した後であれば、子どもができることは神さまの祝福であり喜びだったことでしょう。しかし前回のエリサベト同様、マリアにとってもこのことは、「ありえない」出来事でした。「男の人を知りませんのに」というマリアの言葉が、それを物語っています。 | ||||
神さまはこのようにマリアに関与して、救い主の誕生へと導いていきます。彼女は一人の信仰者として神さまにすべてを委ね、神さまのみ心のままに歩んでいこうと決心します。 | ||||
6月 29日「ルカによる福音書1:39〜45」 | ||||
そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。 (ルカによる福音書1章39節) |
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マリアはどうしてエリサベトのところに行ったのでしょう。彼女は長期滞在をしていることから、天使が行ったことの真偽を確かめたかっただけではないようです。また赤ちゃんが生まれる前に帰ってきていることから、出産の手伝いでもないようです。 | ||||
マリアは天使ガブリエルから告げられた喜びの知らせを、エリサベトと分かち合いたいと考えたのではないでしょうか。自分と同じように神さまの恵みを与えられたエリサベトと共に、不思議なみ業を賛美したいと思ったのではないでしょうか。 | ||||
マリアの挨拶を聞いて、エリサベトのお腹の子は飛び跳ねました。エリサベトは聖霊に満たされ、これらの出来事の意味を知ります。エリサベトが口にした「わたしの主」という言葉は、彼女の信仰告白でした。 | ||||
6月 30日「ルカによる福音書1:46〜56」 | ||||
マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。 (ルカによる福音書1章56節) |
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今日の箇所は、「マリアの賛歌」と呼ばれるものです。そのラテン語の一節を取って、「マニフィカト」とも呼ばれます。日本聖公会の祈祷書では、夕の祈りの際に用いるように定められています。 | ||||
ユダヤでは、一日は日の入り(夕方6時ごろ)から始まりました。つまり夕方は、終わりであり始まりでもあるのです。この「マリアの賛歌」もまた、終わりと始まりを予示しているものだと考えることはできないでしょうか。 | ||||
マリアの賛歌の後半部分では、社会的・経済的境遇の逆転が語られます。マリアは「おとめ」でした。当時の社会において、若い女性が社会や政治に関心を持つことは不可能でした。ではこれらの言葉は、何を意味するのでしょうか。神さまの思いが代弁されたのでしょうか。 |