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日ごとの聖書

ショートメッセージ 〜2022年6月11日〜20日

6月 11「マルコによる福音書1333142
 だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。
(マルコによる福音書13章35節)
「目を覚ましていなさい」、このようにイエス様は命じられます。退屈な説教を聞いている中でこのように言われると、とても苦痛です。太ももをつねったり、お昼ご飯は何にしようかと思い巡らせたり、必死でまぶたが落ちてくるのを我慢します。
しかしクリスマスイブの夜、小さな子どもたちは「眠りなさい」と言われても起きていようとします。クッキーやミルクやニンジンを用意して、何とかサンタさんに会おうとします。(結局は眠ってしまいますが…)
「目を覚ましていなさい」という言葉を、わたしたちは苦痛を伴うものとして受け入れるのでしょうか。それとも「イエス様が来て下さる!」というワクワク、ドキドキの中で聞くのでしょうか。
6月 12「マルコによる福音書14311
 イエスは言われた。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。」
(マルコによる福音書14章6節)
当時、食事の席には基本的に男性しかいることができませんでした。また食事は左手を下にして寝そべった状態でおこなっていたようです。頭は内側に、そして足は外側に投げ出されていました。
そこに突然女性がやってきて、イエス様の頭に香油をかけたわけです。人々は驚き、憤慨しました。食事の邪魔をされたからだけではありません。その香油がとても高価な物(現在の価値で約300万円)だったからです。
彼女は「今できること」を精一杯おこないました。わたしたちはその場にいて憤慨し、批判した人たちのように、彼女のおこないを排除するのでしょうか。
6月 13「マルコによる福音書141221
 一同が席に着いて食事をしているとき、イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている。」
(マルコによる福音書14章18節)
イエス様は逮捕され、十字架につけられる直前に、過越の食事を弟子たちと共にされます。その場所をイエス様は、不思議な方法で確保されます。すべてのことは神さまが備えられたということなのでしょう。
食事のときに、イエス様は「はっきり言っておくが」と言われます。これは「アーメン、わたしはあなたがたに言う」と訳すことができる言葉です。とても大事なことを言われるときに、イエス様は「アーメン〜」と語られます。
「自分を裏切る者がいる」、それはイエス様を死に引き渡すということです。しかし弟子たちは誰一人として、「いえ、わたしはそうではありません」とは答えることができませんでした。「あなたはどうだ?」その問いかけを、イエス様はわたしたちにもされています。
6月 14「マルコによる福音書142231
 一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしの体である。」
(マルコによる福音書14章22節)
イエス様が十字架の直前に弟子たちと囲んだ食卓は「最後の晩餐」と呼ばれ、今もキリスト教会では大切にされています。裂かれるパンはイエス様を想起させ、その体と血によって生かされていることを思い起こさせます。
この食事の場には、イエス様を売り渡すイスカリオテのユダもいました。イエス様はユダが裏切ることを知っていましたが、ユダを含む「皆」が杯から飲みました。すべての人が、食卓の交わりに加えられたのです。
そしてイエス様は、「神の国で飲む時までぶどうの実から作ったものを飲むことはしない」と言われます。その言葉は、「神の国でいつの日か、あなたたちと祝宴をあげよう」と言われているようにも聞こえます。その祝宴に、わたしたちも招かれるのです。
6月 15「マルコによる福音書143242
 誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」
(マルコによる福音書14章38節)
イエス様は弟子たちの見ている前で、悲しみを打ち明けます。人間の痛みや苦悩をわたしたちと同じように感じられるイエス様だからこそ、わたしたちの悲しみにも寄り添ってくれるのです。
そしてイエス様は「アッバ」と神さまに呼びかけます。「アッバ」は幼児語で父を指す言葉ですから、「おとうちゃん」という感じでしょうか。当時の人々は、神さまの名前すら呼ぶことができませんでした。しかしイエス様は、神さまとの親しい関係を示されます。
その場でイエス様は弟子たちに、目を覚ましているように願いますが、弟子たちは三度も眠ってしまいます。何度もつまずく弟子たちを、しかしイエス様はお見捨てにはなられませんでした。
6月 16「マルコによる福音書144352
 イエスを裏切ろうとしていたユダは、「わたしが接吻するのが、その人だ。捕まえて、逃がさないように連れて行け」と、前もって合図を決めていた。
(マルコによる福音書14章44節)
ついにイエス様は逮捕されます。ゲツセマネの祈りの後、ユダは剣や棒を持った群衆と一緒にやってきました。しかしイエス様は、逃げようとはされませんでした。静かに逮捕されるのを待っているようです。それが神さまのみ心であることを、イエス様はご存じでした。
この逮捕の場面ですが、マタイやルカと比較するととても淡々と進んでいくことに気づかされます。イエス様がユダに声を掛けることもないし、剣を使った人に対する言葉もありません。ただ静かに、十字架への道を進んでいかれます。
唐突に一人の若者が登場します。彼はマルコ福音書にしか出てきませんが、一体誰なのでしょう。マルコ自身だという説もあります。しかし大切なイエス様を見捨て、逃げるために亜麻布すら手放すその人物は、わたしやあなたの姿なのかもしれません。
6月 17「マルコによる福音書145365
 祭司長たちと最高法院の全員は、死刑にするためイエスにとって不利な証言を求めたが、得られなかった。
(マルコによる福音書14章55節)
聖書の中には「敵対者」と呼ばれる人たちが登場します。彼らにとってイエス様は邪魔者でした。どうしても殺さなければならない人物でした。彼らが自分たちの宗教を守り、自分の地位を揺るぎないものにするには、イエス様がいてはいけなかったのです。
最高法院(サンヘドリン)は71人で構成させ、少なくとも23人の賛成がなければ死刑のような重大な決定は出来ないはずでした。しかしイエス様が逮捕された夜間は、議場に入るための門は閉ざされていたと思われます。
さらに死刑が問題になっている裁判は夜間に開催してはならず、判決の確認を取るために翌日に二回目の公判が必要でした。被告の弁護すらないこの裁判は、イエス様を死刑にしたい敵対者の気持ちの表われなのでしょう。
6月 18「マルコによる福音書1466155
 するとすぐ、鶏が再び鳴いた。ペトロは、「鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」とイエスが言われた言葉を思い出して、いきなり泣きだした。
(マルコによる福音書14章72節)
聖公会の聖餐式では、説教のあとにみんなでニケヤ信経を唱えます。その中に「ポンテオ・ピラトのもとで、わたしたちのために十字架につけられ、苦しみを受け、死んで葬られ」という言葉がありますが、果たして十字架の責任をピラトだけに押し付けてよいのでしょうか。
一番弟子ともいえるペトロの三度の否認は、わたしたちも誘惑に負け、イエス様を見捨て、十字架へと向かわせる一人となることを示しています。
ペトロはいきなり泣き出しました。この言葉には、様々な意味があります。頭を覆って、地に身を投げ出して、上着を着て、走り出して、勢いよく、わっと。しかしそんなペトロを、イエス様は用いていかれます。これがわたしたちに対する、恵みの約束なのです。
6月 19「マルコによる福音書15615
 さて、暴動のとき人殺しをして投獄されていた暴徒たちの中に、バラバという男がいた。
(マルコによる福音書15章7節)
ここでバラバという人物が登場します。彼の名はマタイ福音書では「バラバ・イエス」となっていましたが、マルコでは「バラバ」としか書かれていません。
もし名前がバラバ・イエスだったとしても、彼は神さまの愛を伝えていたイエス様とは違い、暴徒、つまり革命や反乱を起こそうとしたり、人々を暴力へと先導したりする人物でした。
それなのになぜ、群衆はイエス様を「十字架につけろ!」と叫んだのでしょうか。群集心理なのでしょうか。もはや冷静に物事を判断する心がなくなってしまったのでしょうか。あなたがその場にいたならば、どうしていたでしょうか。
6月 20「マルコによる福音書151620
 このようにイエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した。
(マルコによる福音書15章20節)
兵士たちは様々な方法でイエス様を侮辱します。紫は位の高い人が身につけていた色でした。聖公会の主教も紫のクラジーシャツを着ますし、宗派によってはお坊さんも高僧しか着ることのできない色でした。
そしてイエス様は、金の冠ではなく茨で編んだ冠をかぶせられました。この侮辱に対しても、イエス様は逆らうことなく何も言われませんでした。
イザヤ書50章6節に、このような預言があります。「打とうとする者には背中をまかせひげを抜こうとする者には頬をまかせた。顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた」。この預言が今、成就したのです。

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