2025年3月 「実を結ぶまで」 | ||||
園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。(ルカによる福音書13章8節) | ||||
今回与えられた聖書の箇所は、ルカ13章1節から9節ですが、ここでは特に後半の「実のならないいちじくの木のたとえ」について考えてみたいと思います。
さて、「実を結ぶ」と聞くと、みなさんは何を思い浮かべるでしょうか。受験生だったら合格、会社員だったら昇進、宝くじだったら高額当選、他にもいろいろと思い浮かぶかもしれません。 では、教会ではどうでしょうか。洗礼者が与えられる、礼拝に来る方が増える、教会会計が潤う…。 一昨年の11月に、「日本聖公会宣教協議会」がおこなわれました。そこには信徒と聖職132名が集まり、四日間にわたって分かち合いがなされたそうです。そして昨年2月、宣教協議会から「呼びかけ」が出されました。 「神のみ声に耳を傾けよう〈祈り・み言葉・礼拝〉」、「人々の声に耳を傾けよう〈教会・地域・となりびと〉」、「世界の声に耳を傾けよう〈神が創られた自然・世界・社会〉」、これらの言葉が書かれたカードをいつも祈祷書に挟んでいるのは、わたしだけではないと思います。 「宣教」と聞くと、とても難しい、特別な人だけが出来ることだと思うかもしれません。しかしカードに書かれた項目を見るたびに、「これならできそう」とか、「これをやっていきたい」と思えることが出てきます。教会で分かち合いをしたときにも、同じように感じてくださった信徒の方々が多くおられたことは、大きな喜びでした。 教会に集う人が減った。牧師の数も減った。教会の数も見直さなければいけない。わたしたちの周りには、そのような声が多く聞かれます。今回の聖書の物語に照らし合わせると、わたしたちの教会は実を結ばない木なのかもしれません。「もう肥やしをやっても無駄でした」と斧が振り下ろされるのを待つばかり、そのような状況にも感じます。 ただ同時に、イエス様の声が聞こえるようにも思うのです。 「大丈夫、わたしがあなたたちと共にいるから。わたしがあなたたちのために世話をし続けるから」。 その声に励まされながら、「自分にできることは何だろう」とご一緒に考えてみませんか。きっとイエス様は、その豊かに結んだ実を喜んでくださるでしょう。 |