
| 2026年3月 | ||||
| 「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。(マタイによる福音書5章44節)」 | ||||
| みなさんは、「ドラえもん」というマンガをご存じでしょうか。わたしと同じ年(1969年)に誕生し、今もテレビアニメや映画を通して多くの人に愛されています。未来からやって来たネコ型ロボットドラえもんと、勉強もスポーツも苦手なのび太君との日常生活を描いたストーリーです。
その中に、ずっと心に残っている物語があります。それは『どくさいスイッチ』というものです。のび太君は、いつものようにジャイアンにいじめられていました。「ジャイアンさえいなかったらこんな目に…」とつぶやくのび太君を見て、ドラえもんが「じゃ、やってみる?」と手渡したひみつ道具が『どくさいスイッチ』です。ドラえもんはこの道具について、未来の独裁者が自分に反対する人を消し去るために使うものだと説明します。 のび太君はそのスイッチを受け取りますが、「いくら憎いとは言っても、消しちゃうのはかわいそうだよ」と使うのをためらいます。しかし外に出てまたジャイアンに殴られそうになったときに、「わあ、ジャイアン消えろ!」とスイッチを押してしまうのです。 ジャイアンは消えてしまいました。しかし不思議なことに、しずかちゃんや学校の先生に聞いても、ジャイアンのことなど知らないと言います。最初からいなかったことになってしまったのです。 ジャイアンがいなくなった世界では、今度はスネ夫がのび太君をいじめます。そしてスネ夫まで消してしまったのび太君。これ以上スイッチを押すのはやめようと部屋にこもり、昼寝をします。ところが夢の中でいろんな人に怒られ、馬鹿にされたのび太君は、「誰も彼も消えちまえ」と寝言を言いながら腕をジタバタさせるのですが、そこで枕元にあったスイッチに手が当たり、ボタンを押してしまいます。 シーンと静まり返った世界の中で、最初こそ「いつどこで何をしても勝手なんだ。この地球がまるごと僕のものになったんだ。僕は独裁者だ、ばんざい!」と喜びますが、どんどん孤独を感じていきます。そしてついに「ジャイアンでいいから出てきてくれえ!」と叫んだ時にドラえもんが登場し、このスイッチは独裁者をこらしめるためのものだったと明かします。そして世界は元通りに戻った、そういうお話です。 イエス様が来られる前、人々は「隣人を愛し、敵を憎め」と教えられていました。民族や宗教の違い、職業や性別、そして宗教的な『汚(けが)れ』によって、人は周りの人と距離を取り、壁を作り、『敵』として排除していったのです。でもそれは、聖書の中だけのことではありません。今の世界を見ても国同士の争いは絶えず、様々な理由で差別する側とされる側とに分断されています。そしてSNSでの誹謗中傷など、まさに『どくさいスイッチ』を押し続けるような世の中になっていると感じるのは、わたしだけでしょうか。 イエス様は「昔の人は敵を憎めと言っている」と言った後に、こう続けました。「しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と。 『敵を愛する』、それは能動的な言葉です。イエス様はそれまで『敵』とみなし、追い出していたような人たちと積極的に関わることを求められます。『どくさいスイッチ』を押して『敵』の存在を消すのではなく、共に歩むようにと促されるのです。 その根底には、神さまの愛があります。わたしたちは立派な人間でも、正しい人間でもありません。間違いを犯し、欠けたところのある一人ひとりです。神さまはそんなわたしたちを『どくさいスイッチ』で消すのではなく、イエス様を遣わして受け入れました。神さまがまず、わたしたちを愛してくださったのです。 だからわたしたちも、その愛に立ちたいと思うのです。敵を愛するということ。言葉では簡単ですが、なかなかできることではありません。でもそこに神さまの愛があるから、その愛を少しでも分かち合う。そのようになれればと思います。 どうか今、自分と考えの違う人、自分から遠ざけたい人、そのような人のために祈ってください。それが神さまの思いであり、イエス様のみ言葉なのです。 |