2024年9月 | ||||
「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。(ローマの信徒への手紙12章5節)」 | ||||
このたび、新しい牧師館および幼稚園舎が完成しました。昨年の3月17日に法蓮町の仮牧師館に移り、今年7月2日に戻ってくるまでおよそ470日間、いわゆる「定住」の牧師がいなかったことでご不便をお掛けしたこともあったと思います。この場を借りてお詫びいたします。
先日、幼稚園の保護者の方々に向けて、「礼拝堂の七不思議」という内容でお話しする機会がありました。その7つの不思議なこととは… @ どうして和風建築なの? A 礼拝堂の中にキリスト教の特徴はあるの? B 天井の形には意味があるの? C 礼拝堂の建物は何をあらわしているの? D 前にある十字架とロウソク立ては何で出来ているの? E 前の布はどうなっているの? F 右後ろにある白いものはなに? というものです。教会に普段から来られている方でも、よく知っている内容もあれば、首をかしげてしまう不思議もあるでしょう。参加された方々も興味津々で、他にもいろいろと質問されていました。これらの不思議についてお知りになりたい方はぜひ、日曜の午後におこなっている礼拝堂見学に紛れて聞いてみてください。 さて、この時の会に限らず教会の見学に来られた方に、わたしは決まってこういうお話しをします。それはわたしたちの教会は自己主張しない、周りとの調和を目指した礼拝堂だということです。 インターネットで「教会 イラスト」と検索して画像を表示してみると、そこに出てくるのは白い壁、三角屋根、大きな窓、高い塔、塔の中には鐘、塔の上には十字架、そんなイメージでしょうか。大草原の小さな家で日曜日に鐘が鳴ったらみんなが馬車でやって来る、その建物です。 ところがわたしたちの奈良基督教会を見ると、白い漆喰の壁や十字架はあるものの、かわいい三角屋根ではなく入母屋破風や千鳥破風の屋根が、高い塔ではなく立派な鬼瓦が目に飛び込んできます。興福寺の北円堂や南円堂、五重の塔といった建物と、とても調和しています。 教会を設計する際、当初は洋風建築で計画していたものの、申請が通らずに和風建築に変更したという経緯を聞きました。結果としてそのことが、わたしたちの信仰のあり方を教えてくれる教会、そして礼拝堂になったのではないかと思うのです。 わたしたちの教会は、自己主張しません。近隣の景色と一体化しています。それは、周りを排除することなく共に生きていく。違いを受け入れ、一緒に歩んでいくことを伝えてくれます。 世界には様々な争いがあります。残念なことに戦争の原因の多くは、宗教です。本来人を幸せにするはずの宗教が、人の命を奪っている。本当に悲しい現実です。自分の国さえよければと移民を排除したり、そこは神さまが定めたわたしたちの土地だと主張したり、自分たちの正義や思いばかりを声高に訴えることは、果たして神さまのみ心に適ったことなのでしょうか。 イエス様は人々が作り上げていた壁を乗り越えていかれました。罪人、徴税人、娼婦、異邦人、病人などの共同体から排除された様々な人と関わり、食卓を共にされました。教会も、そうあるべきなのです。違いを認め合い、共に歩んでいく。そのことが大切なのです。 今年の年間成句は、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。(ローマの信徒への手紙12章15節)」です。気の知れた仲間や家族とであれば、喜ぶ人と一緒に笑い、泣く人と一緒に涙を流すことはそれほど難しいことではないかもしれません。しかしここで、その人とは誰なのかということにも目を向けてみたいと思います。誰と一緒に喜ぶのか。誰とわたしたちは悲しみを共有するのか。「開かれた教会」を目指すときに、その視点はとても大事なのではないでしょうか。 |