2025年6月号 | ||||
「さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」(ルカによる福音書10章36節) | ||||
イエス様はあるとき、こんな話をしました。
あるユダヤの旅人が道を歩いていると、追いはぎに襲われ、瀕死の重傷を負ってしまいます。しかし血だらけで倒れていた彼の近くを、祭司やレビ人というユダヤの宗教者たちが通りましたが、見て見ぬふりをしました。当時「血に触れるとけがれる」と考えられていたため、同胞であるその旅人に関わろうとはしなかったのです。 そこにサマリア人という、ユダヤの人たちととても仲の悪い(というよりも憎しみ合っている)民族の人が通りかかります。そのサマリア人は傷つき倒れた旅人を見るなり、近寄り、憐れに思い、手を差し伸べ、介抱し、宿屋に連れていきました。 このサマリア人は、民族や宗教といった壁を越え、旅人の“となりびと”となりました。イエス様はこの話の最後に言われます。「行って、あなたがたも同じようにしなさい」と。 わたしたちの社会を見渡しても、あらゆる違いによって、様々な差別や分断が起こっています。しかしわたしたちのとなりには、傷つき倒れている人がいるのです。壁を越えてその人の“となりびと”となれるよう、わたしたちは歩みたいと思います。 |
||||
司祭 マタイ古本靖久 |