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日ごとの聖書

ショートメッセージ 〜2026年7月21日〜31日

7月 21サムエル記上5112
主の御手はアシュドドの人々の上に重くのしかかり、災害をもたらした。主はアシュドドとその周辺の人々を打って、はれ物を生じさせられた。
(サムエル記上5章6節)
神の箱は奪われ、イスラエルからペリシテ人の手に渡りました。ペリシテの人たちは神の箱を、アシュドドにあるダゴンの神殿に運び入れます。ダゴンはペリシテ人の神で、神殿にはその像が置かれていました。
しかし神の箱が運び込まれた次の朝、ダゴンがうつぶせに倒れているのを人々は見ます。さらに翌朝には、ダゴンの頭と両手は切り取られていました。まさしくイスラエルの神の前に、「手も足も出ない」状態です。
さらに人々ははれ物(疫病)に悩まされます。そのため神の箱をガトに移しますが、そこでもはれ物は人々を襲います。さらにエクロンでも死の恐怖に人々が包まれたため、人々は神の箱をイスラエルに送り返そうとします。とんでもないものを奪ってしまったのです。
7月 22サムエル記上619
 主の箱を車に載せ、賠償の献げ物として主に返す金の品物を箱に入れ、傍らに置きなさい。それを送り出し、行くがままにしなさい。
(サムエル記上6章8節)
主の箱を返すことにしたのはいいものの、どうやって返したらいいのだろうか。ペリシテの人たちはそれを祭司と占い師たちに尋ねます。すると返ってきた答えは、「賠償の献げ物をきちんとしなさい」というものでした。
ちゃんとお詫びをしなさいということなのでしょう。ペリシテの領主の数に合わせて、5つの金のはれ物と5つの金のねずみを献げ物として持って行くことになりました、はれ物には「疫病を送り返す」という意味があり、ねずみは大地を荒らす動物の象徴です。
さらに車を引くのは、まだ軛をつけたことのない雌牛です。その牛はまだ子牛に乳を飲ませていましたが、それを引き離して行かせるのです。神さまの導きがなかったならば雌牛は一歩も進まない、そのような状況を作り上げたのです。
7月 23サムエル記上61016
雌牛は、ベト・シェメシュに通じる一筋の広い道をまっすぐに進んで行った。歩きながら鳴いたが、右にも左にもそれなかった。ペリシテの領主たちは、ベト・シェメシュの国境まで後をつけて行った。
(サムエル記上6章12節)
主の箱を乗せた車は、右にも左にもそれることなく進んで行きました。まさに「帰還」という言葉がよく似合います。車はベト・シュメシュまで進んで行き、ヨシュアの畑で止まりました。
「主の箱が奪われた!」という悲しい知らせは、ベト・シェメシュの人々の耳にまで届いていたのでしょう。主の箱が戻って来るのを見て、人々は喜びます。そして人々はいけにえを主にささげます。
ペリシテの領主たちは主の箱が無事にベト・シェメシュの人たちの元に戻り、そこでいけにえがささげられたのを見届け、自分たちの領地に戻ります。ところで5章までは「神の箱」と書かれていたのに、どうして6章以降は「主の箱」になっているのでしょうか。
7月 24サムエル記上61721
彼らはキルヤト・エアリムの住民に使者を送って言った。「ペリシテ人が主の箱を返してきました。下って来て、主の箱をあなたがたのもとに担ぎ上ってください。」
(サムエル記上6章21節)
「この中はのぞいてはいけません」と書かれた場所があると、わたしはどうしてものぞいてしまいたくなります。ホラー映画などではダメだと言われているものをのぞいてしまったがために、恐ろしい出来事に巻き込まれるなんてこともあります。
せっかくの喜びにあふれたベト・シェメシュの人たちに、恐れが生じます。主の箱をのぞいてしまったからです。70人の人が、そのことによって打たれてしまいました。怒りっぽい神さまです。
こうなると、主の箱は恐ろしい物になってしまいます。そしてベト・シェメシュの人々は、その箱を持って行って欲しいとキルヤト・エアリムの人たちに言います。何だか神さまが厄介者として扱われているようで、少し悲しいです。
7月 25サムエル記上718
 サムエルは命じた。「イスラエルを全員、ミツパに集めなさい。あなたたちのために主に祈ろう。」
(サムエル記上7章5節)
主の箱(5章までは神の箱)がイスラエルの元に戻ってきました。キリアト・エアリムの人々は主の箱をアビナダブの家に運び入れ、アビナダブの息子エルアザルに守らせることにします。そのときにエルアザルは、聖別されました。
それから20年の時がたちます。その期間の出来事は、聖書には記されていません。ただ3節の記述を見ると、イスラエルの人々は異教の神々にも仕えていたようです。そこで登場したのがサムエルです。
少年の頃から20年がたち、サムエルは立派な青年になっていたことでしょう。サムエルは預言者として、イスラエルの民を導きます。このとき彼は異教の神々を取り除くように民に伝え、主に助けを求めていきます。
7月 26サムエル記上7917
サムエルは石を一つ取ってミツパとシェンの間に置き、「今まで、主は我々を助けてくださった」と言って、それをエベン・エゼル(助けの石)と名付けた。
(サムエル記上7章12節)
サムエルはイスラエルのために焼き尽くす献げ物をささげ、イスラエルのために主に助けを求めて叫びました。預言者とは神さまの言葉を預かるとともに、民のために神さまにとりなしをする人です。
ペリシテ軍はイスラエルに戦いを挑みますが、神さまが激しい雷鳴によってイスラエルを助けたために、打ち負かされてしまいます。そこでサムエルは、「今まで、主は我々を助けてくださった」と言い、石をミツパとシェンの間に置きました。
この出来事は敵が現れても、神さまがやっつけてくださるという意味ではありません。それよりも「神さまを慕い求める」ことがどれだけ大切なのか、思い返しなさいということなのです。
7月 27サムエル記上819
 裁きを行う王を与えよとの彼らの言い分は、サムエルの目には悪と映った。そこでサムエルは主に祈った。
(サムエル記上8章6節)
8章になって、急にサムエルは年老います。それまでの期間、特に聖書に書くほどの大きな出来事はなかったのでしょう。そしてサムエルは、息子たちをイスラエルのために裁く者として任命します。
しかしその二人の息子ヨエルとアビヤは、不正な利益を求め、賄賂を取って裁きを曲げていたようです。サムエルが子どものときに仕えていたエリの子どもたちも、同じように堕落していました。神殿に仕える人には、誘惑が多いのでしょう。
イスラエルの長老は、サムエルに申し入れます。サムエルの息子たちが父の道を歩まないので、自分たちのために王を立てて欲しいというのです。これまでイスラエルは主を王として崇めていました。そのためサムエルはこの願いの是非を聞くため、主に祈るのです。
7月 28サムエル記上81018
その日あなたたちは、自分が選んだ王のゆえに、泣き叫ぶ。しかし、主はその日、あなたたちに答えてはくださらない。」
(サムエル記上8章18節)
昨日の箇所で主がサムエルに告げた返事は、「今は彼らの声に従いなさい」というものでした。そしてサムエルに、「王制とはなにか」ということを、きちんと民に伝えるように言います。
サムエルが語った王の権能は、厳しいものでした。息子や娘が徴用されること、また最上の畑などが没収され、穀物や羊も徴収されることなどを伝えます。王を立てるということは、王の奴隷になるということだというのです。
神さまからいただいたものを喜んでお返しするのと、子どもや収穫などを強制的に王に徴用されるのとでは、随分違います。しかしイスラエルの人々は、それでも王を立てて欲しいと願うのです。
7月 29サムエル記上81922
 主はサムエルに言われた。「彼らの声に従い、彼らに王を立てなさい。」サムエルはイスラエルの人々に言った。「それぞれ、自分の町に帰りなさい。」
(サムエル記上8章22節)
神さまはサムエルに、イスラエルの人々の声通りに王を立てるように告げます。それまでイスラエルには、王はいませんでした。そのことはイ、スラエルの人々にとって不満だったようです。
サムエルが脅したにもかかわらず、イスラエルの民はその声に聞き従おうとはしませんでした。当時、近隣諸国には王がいました。その統治の様子はイスラエルの人たちにとって、うらやましく見えたのでしょう。
「隣の畑は青く見える」と言います。神さまの声は直接聞くことができないですが、王様の姿は見ることができます。「見えないものではなく見えるものに頼ってしまう」、そのような思いは、わたしたちもよく分かるかもしれません。
7月 30サムエル記上9110
 彼には名をサウルという息子があった。美しい若者で、彼の美しさに及ぶ者はイスラエルにはだれもいなかった。民のだれよりも肩から上の分だけ背が高かった。
(サムエル記上9章2節)
イスラエルの人々はサムエルに、王を求めました。そして主はサムエルに、「彼らの声に従い、彼らに王を立てなさい」と言います。9章に入り、一人の人物が登場します。彼の名前はサウルです。
サウルはキシュというベニヤミン族の男の息子でした。ある日、キシュのろばが数頭行方不明になります。キシュはサウルに、ろばを捜してくるように命じますが、サウルは見つけ出すことができませんでした。
そのときにサウルの供の若者が、当時先見者と呼ばれていた預言者の元に行って、どうしたらよいかを聞こうと提案します。若者サウルと先見者サムエルとの出会いが、ここに設定されるのです。
7月 31サムエル記上91120
 サムエルがサウルに会うと、主は彼に告げられた。「わたしがあなたに言ったのはこの男のことだ。この男がわたしの民を支配する。」
(サムエル記上9章17節)
サムエルは先見者として、聖なる高台で民のためにいけにえをささげていました。二人の息子はどうなってしまったのだろう?という思いもあります。サウルは近くにいた娘に聞いて、高台に上ろうとします。
そのとき、サムエルもそこにやって来ました。サムエルの耳には、一人の男をベニヤミンの地から遣わすということが主から告げられていました。さらにサウルに出会ったとき、「わたしがあなたに言ったのはこの男のことだ」と主は告げられます。
サウルは背が高く、美しい若者でした。その彼を、主は選んだのです。サムエルは全イスラエルの期待があなたにかかっているとサウルに告げます。ろばを捜しに来ただけなのになあ、とサウルは思っていたかもしれませんが。

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