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日ごとの聖書

ショートメッセージ 〜2026年4月11日〜20日

4月 11「士師記5611
わが心はイスラエルの指揮する者らと共に この民の進んで身をささげる者と共にある。主をほめたたえよ。
(士師記5章9節)
8節にあるように、イスラエルの人たちの「新しい神々を選び取った」という行動のために神さまは怒り、「隊商は絶え、旅する者は脇道を行き、村々は絶えた」という状況になりました。因果応報、自業自得ということでしょうか。
そこで「わたしデボラはついに立ち上がった。イスラエルの母なるわたしは ついに立ち上がった」と歌います。立ち上がったのではなく、神さまによって立てられたという方が正しいようにも思いますが。
「イスラエルの母」という表現も、他ではあまり聞きません。「信仰の父」というとアブラハムですが、「イスラエルの〜」という言い方はあまりしないようです。導き主としての自覚ということでしょう。
4月 12士師記51218
 奮い立て、奮い立て、デボラよ 奮い立て、奮い立て、ほめ歌をうたえ。立ち上がれ、バラクよ 敵をとりこにせよ、アビノアムの子よ。
(士師記5章12節)
12節の自らを鼓舞する言葉は、何を意味しているのでしょうか。神さまがいつも共におられることを思い起こし、常に力づけてくださることを覚えなさいという意味かも知れません。だとすれば、わたしたちにも必要なことですね。
この歌の元になった4章を見ると、ゼブルン族とナフタリ族だけがバラクと共に戦ったと記録されています。しかし5章14〜18節にはエフライム、ベニヤミン、マキル、イサカル、ルベン、ダン、アシェルといった部族も登場します。
実は聖書にはこのように矛盾に思える箇所が多くあります。それは聖書が、様々な資料や伝承を集めて作られたと考えられているからです。つまり4章と5章とはもともと別のものだったと考えられているのです。なかなか複雑ですね。
4月 13士師記51923
主の御使いは言った。「メロズを呪え、その住民を激しく呪え。彼らは主を助けに来なかった。勇士と共に主を助けに来なかった。」
(士師記5章23節)
ここでは戦いの様子が歌われています。カナンの王たちは戦ったものの、銀を奪うことができなかったと書きます。これは戦いに勝利して、戦利品を奪うことができなかったという意味になります。
20節の「もろもろの星は天から戦いに加わり」という記述は、この戦いが神さまによるものであると示しています。そのような相手に対して、カナンの人たちはどうしようもなかったのでしょう。
23節には「メロズを呪え、その住民を激しく呪え」とあります。メロズの人たちは戦いに加わらず、傍観者でした。争いが嫌いだったのかもしれません。でもその人たちが呪われるのです。とても悲しい記述です。
4月 14士師記52431
女たちの中で最も祝福されるのは カイン人ヘベルの妻ヤエル。天幕にいる女たちの中で 最も祝福されるのは彼女。
(士師記5章24節)
カナンの王ヤビンの将軍シセラは戦いから逃れ、カイン人ヘベルの天幕に逃げ込みます。王ヤビンとカイン人ヘベル一族とは有効な関係にあったので、ここまでくれば大丈夫だとシセラは安心したでしょう。
しかしヘベルの妻ヤエルは、水を求めるシセラにミルクを飲ませ、布で彼を覆い、シセラのこめかみに釘を打ち込みます。その結果、シセラは死んでしまうのです。27節に「かがみこみ」という言葉が三回続くのが印象的です。
そのヤエルこそ、女たちの中で最も祝福される人だとデボラとバラクは歌います。「女の中で最も祝福される」というとイエス様の母マリアが天使ガブリエルに言われた言葉ですが、マリアとヤエルは随分違いますね。
4月 15士師記6110
 イスラエルは、ミディアン人のために甚だしく衰えたので、イスラエルの人々は主に助けを求めて叫んだ。
(士師記6章6節)
5章の最後に「国は四十年にわたって平穏であった」と書かれていましたが、6章の最初には「イスラエルの人々は、主の目に悪とされることを行った」とあります。コピペをしているかのように、同じことが繰り返されます。
今度の「敵」は、ミディアン人です。ただ敵と言っても、イスラエルの人たちが悪いことをしたために、神さまがミディアン人にイスラエルの人々を渡したわけなので、ミディアン人がひどい目にあわされるのはかわいそうな気もします。
ここではまず預言者が遣わされ、「主の言葉」を伝えます。文字通り、神さまの言葉を預かって来たわけです。彼はイスラエルの人々に、「わたし(神さま)の声に聞き従わなかった」という指摘をします。そのことをはっきりさせたうえで、行動を起こすのです。
4月 16士師記61118
彼は言った。「わたしの主よ、お願いします。しかし、どうすればイスラエルを救うことができましょう。わたしの一族はマナセの中でも最も貧弱なものです。それにわたしは家族の中でいちばん年下の者です。」
(士師記6章15節)
テレビンの木の下に、主のみ使いが来て座りました。そして酒ぶねの中で小麦を打っているギデオンに現れて語り掛けます。「勇者よ、主はあなたと共におられます」と。ギデオンは、それならなぜミディアンに支配されるようなことになっているのかと尋ねます。
すると主のみ使いは、驚くべきことを言います。「あなたのその力をもって行くがよい。あなたはイスラエルを、ミディアン人の手から救い出すことができる。わたしがあなたを遣わすのではないか」。
これは、ギデオンの召命と呼ばれるものです。ただギデオンは主のみ使いの言葉に対して、自分の弱さや足りなさを一生懸命アピールします。これは果たして、「謙遜」と言えるのでしょうか。
4月 17士師記61924
 ギデオンは、この方が主の御使いであることを悟った。ギデオンは言った。「ああ、主なる神よ。わたしは、なんと顔と顔を合わせて主の御使いを見てしまいました。」
(士師記6章22節)
主のみ使いに料理を提供する場面は、創世記18章にもあります。三人の人がマムレの樫の木の所でアブラハムに現れ、イサクの誕生の予告をした場面です。このときはサラがパン菓子を作っていました。
今回は酵母を入れないパン、肉、肉汁を用意します。ただ主のみ使いはそれらを食べるのではなく、岩の上で焼き尽くしてしまいます。その結果ギデオンは、彼が主のみ使いであることを悟るのです。
この時代、神や神のみ使いを見ると死ぬ、と考えられていました。しかし主のみ使いはギデオンに、死ぬことはないと伝えます。そこでギデオンは主のために「平和の主」という祭壇を築きます。神さまとの新たな関係を記念したということでしょう。
4月 18士師記62532
その夜、主はギデオンに言われた。「あなたの父の若い雄牛一頭、すなわち七歳になる第二の若い牛を連れ出し、あなたの父のものであるバアルの祭壇を壊し、その傍らのアシェラ像を切り倒せ。
(士師記6章25節)
神さまはギデオンに対し、非常に具体的な命令を下します。それは「バアルの祭壇を壊し、アシェラ像を切り倒せ」というものです。ミディアンの人々が拝んでいる異教の神々の像を破壊せよというのです。
ギデオンは恐れました。それはそうだと思います。いわゆる「テロ行為」です。アシェラ像に至っては切り倒して薪にし、雄牛を焼き尽くすために用いよとまで言われるのです。ミディアン人の怒りを買うことは目に見えています。
ギデオンという名前には、「叩き砕く者」という意味があります。恐れの中、彼は夜中に主が命じられたことをおこないます。その結果、町の人たちはギデオンを責めたてますが、父ヨアシュは「バアルが本当に神なら、自分で何とかするだろう」とかばいます。
4月 19士師記63337
 主の霊がギデオンを覆った。ギデオンが角笛を吹くと、アビエゼルは彼に従って集まって来た。
(士師記6章34節)
ギデオンの行動を機に、ミディアン人だけではなくアマレク人、東方の諸民族までもが結束して川を渡ってきました。ということは昨日の箇所でギデオンを責めたてたのは、イスラエルの人だったようです。
今回はギデオンの角笛を聞いて、アビエゼルの人たちだけでなく、アシェルやゼブルン、ナフタリからも人々が集まってきて合流しました。それは「主の霊がギデオンを覆った」からに他なりません。
しかしギデオンは、まだ確信を持つことができませんでした。彼の一族はマナセの中でも最も貧弱で、ギデオンは家族の中でも一番年下だったからです。そこでギデオンは神さまに「しるし」を求めるのです。
4月 20士師記63840
 すると、そのようになった。翌朝早く起き、彼が羊の毛を押さえて、その羊の毛から露を絞り出すと、鉢は水でいっぱいになった。
(士師記6章38節)
ギデオンが神さまに求めたしるしは、麦打ち場に置いた羊の毛だけを露で湿らせて欲しいというものでした。雨が降っても湿りそうですが、「周りの土は乾いたまま」という条件をつけることで、神さまのみ業でなければ実行不可能なしるしです。
神さまはギデオンが望むようにされました。ここまででも、ギデオンはよくそんなこと神さまに言えるなあと少し恐ろしくもなりますが、ギデオンは「もう一度試させてください」と言うのです。
神さまを試すことで、たくさんの代償を払わされてきたイスラエルの人々の話が旧約聖書には多く載っています。その反面、ギデオンは二度試したのに無事でした。この違いは何なのでしょうか。

バナースペース

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