
| 4月 1日「士師記2:16〜23」 | ||||
| その士師が死ぬと、彼らはまた先祖よりいっそう堕落して、他の神々に従い、これに仕え、ひれ伏し、その悪い行いとかたくなな歩みを何一つ断たなかった。 (士師記2章19節) |
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| ここから士師という言葉が出てきます。聖書で士師とは、イスラエルのために神さまが立てられた人を指します。ヨシュアが死んで、民を正しく導く指導者がいなくなったイスラエルの民のために、神さまが遣わされたのです。 | ||||
| 士師は「裁き主」として、また「治める者」として民を導きます。預言者が神さまから預かった言葉を伝えるのに対して、士師は指導者としての側面が強いようです。彼らが先頭に立っているときには、民はきちんと歩んでいきます。 | ||||
| しかし士師が死ぬと、民はまた神さまから離れ、堕落していく。そこで神さまはまた新たな士師を立てる。すると民は正しい道に戻って来る。けれどもまたその士師が死ねば…。それが繰り返されていくのです。 | ||||
| 4月 2日「士師記3:1〜6」 | ||||
| 彼らはイスラエルを試みるため、主がモーセによって先祖に授けられた戒めにイスラエルが聞き従うかどうかを知るためのものであった。 (士師記3章4節) |
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| ようやく土地の配分がおわりました。ただ当然、イスラエルの人たちが住むことになった場所には、先住民がいました。彼らは力づくで住んでいる場所を奪われます。「平和的解決」ではありません。 | ||||
| しかしすべての人たちが追い出されたわけではありません。カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人がそこにはいました。イスラエルの人たちは、その民族の人たちと婚姻関係を結ぶこともあったようです。 | ||||
| しかしそれは、神さまの目には良くないことでした。ユダヤ人は、血統をとても大切にします。他民族との交わりなど、あってはならないことだったのです。そのことによって、宗教も混在してしまうからです。なんだか排他的な民族ですね。 | ||||
| 4月 3日「士師記3:7〜11」 | ||||
| イスラエルの人々が主に助けを求めて叫んだので、主はイスラエルの人々のために一人の救助者を立て、彼らを救われた。これがカレブの弟ケナズの子オトニエルである。 (士師記3章9節) |
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| ここから、士師が登場していきます。最初の士師は、オトニエルです。彼はヨシュアと共に出エジプトを最初から経験したカレブ(エフネの子)の弟であるケナズの子どもでした。つまりオトニエルはカレブの甥にあたります。 | ||||
| 彼が士師として立てられたきっかけは、「イスラエルの人々は主の目に悪とされることを行い、彼らの神、主を忘れ、バアルとアシェラに仕えた」からです。特に他の神々に仕えることは、大きな罪でした。 | ||||
| 神さまは士師オトニエルにイスラエルの裁きを任せます。ここでいう「裁き」とは罰を与えることではなく、正しい道に導くという意味です。オトニエルは40年にわたって主の霊と共にイスラエルを裁き、その期間イスラエルは平穏でした。 | ||||
| 4月 4日「士師記3:12〜17」 | ||||
| こうしてイスラエルの人々は、十八年間、モアブの王エグロンに仕えなければならなかった。 (士師記3章14節) |
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| 最初の士師オトニエルが死んだ後、イスラエルの人々はまた神さまの目に悪とされることをおこないます。監視の目がなくなればすぐに悪いことをしてしまう、中高生のころの自分のようです。 | ||||
| そのイスラエルを懲らしめるために、神さまはモアブの王エグロンを強くします。近隣諸国に脅かされてしまうのは神さまの業であり、その原因もイスラエルの民にあるということを聖書は語ります。 | ||||
| 18年間、イスラエルの民はエグロンに仕えます。そして神さまに助けを求めるのです。ちゃんと自分の足元を見なさいという、神さまからのメッセージのようです。そして神さまは2番目の士師、エフドを立てます。 | ||||
| 4月 5日「士師記3:18〜23」 | ||||
| 剣は刃からつかまでも刺さり、抜かずにおいたため脂肪が刃を閉じ込めてしまった。汚物が出てきていた。 (士師記3章22節) |
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| エフドは左利きでした。当時、左利きには良いイメージがありませんでした。右利きより「劣っている」と考えられていたのです。日本でも少し前まで、左利きの人を右利きに矯正することがありました。それと同じような考えでしょうか。 | ||||
| ただエフドは、左利きの利点を生かします。右利きの人は左の腰に剣を指します。まさか右腰に武器が隠されていようとは、警備の人たちも気づかなかったことでしょう。そして貢物を持って、エグロンの元に行きます。 | ||||
| エフドはエグロンと二人きりになり、王の腹を刺します。エグロンはイスラエルから多くを搾取していたのでしょう。非常に太っていたそうです。ただ剣の刃が抜けないとなると、ちょっと太りすぎです。メタボですね。 | ||||
| 4月 6日「士師記3:24〜31」 | ||||
| 待てるだけ待ったが、屋上にしつらえた部屋の戸が開かないので、鍵を取って開けて見ると、彼らの主君は床に倒れて死んでいた。 (士師記3章25節) |
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| エフドが王の腹を刺したとき、血は流れ出ずに代わりに汚物(便のことでしょう)が出てきたそうです。そのため従臣たちは用を足しているのだと勘違いしました。叫び声もあげることができなかったのでしょうか。 | ||||
| そして従臣たちが手間取っている間に、エフドは逃げることができました。これらのことも、神さまの導きによるものなのでしょう。こうしてイスラエルの人たちはモアブを打ち滅ぼします。その後80年間、イスラエルは平穏でした。 | ||||
| 31節には、アナトの子シャムガルについて書かれています。彼は小士師と呼ばれ、オトニエルやエフド(大士師と呼ばれます)とは違い、直接外敵の攻撃は受けていないとされます。それにしてはペリシテ人を600人も打ち殺していますが。 | ||||
| 4月 7日「士師記4:1〜5」 | ||||
| ラピドトの妻、女預言者デボラが、士師としてイスラエルを裁くようになったのはそのころである。 (士師記4章4節) |
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| 士師記では、同じパターンが繰り返されます。士師が立てられイスラエルに平穏な日々が訪れる→士師が死ぬ→イスラエルの民が主の目に悪とされることをおこなう→主は怒り敵の手にイスラエルの民を渡す→民が助けを求めて叫ぶ→士師が立てられる、です。 | ||||
| 次に士師として立てられたのは、ラビドトの妻デボラです。彼女は女預言者でもありました。デボラという名前には、ミツバチという意味もあります。彼女はなつめやしの木の下でイスラエルを裁いていました。 | ||||
| 聖書に女性の指導者が登場するのは、大変めずらしいことです。ただ彼女は先頭に立って敵国に向かうのではなく、人を遣わしていたようです。いわゆる軍師のような役割ということでしょうか。 | ||||
| 4月 8日「士師記4:6〜11」 | ||||
| バラクはゼブルンとナフタリをケデシュに召集した。一万人が彼に従って上り、彼と共にデボラも上った。 (士師記4章10節) |
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| デボラはバラクを呼び寄せ、ヤビンの将軍シセラを攻めるように言います。そのときにバラクはこう言います。「あなたが共に来てくださるなら、行きます。もし来てくださらないなら、わたしは行きません」。 | ||||
| このような会話があるということは、普段デボラは命令だけして自分は動かなかったのかもしれません。しかし今回はデボラも重い腰を上げ、一緒にシセラを倒すべく、ケデシュに向かいます。 | ||||
| このときデボラは、「神さまは女の手にシセラを売り渡す」と預言します。この女というのがデボラを指すのか、あるいは他の女性なのか、このときデボラは分かっていたのでしょうか。 | ||||
| 4月 9日「士師記4:12〜24」 | ||||
| シセラは彼女に、「天幕の入り口に立っているように。人が来て、ここに誰かいるかと尋ねれば、だれもいないと答えてほしい」と言った。 (士師記4章20節) |
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| カナンの王ヤビンの将軍シセラはバラクとデボラが率いるイスラエル軍(ゼブルン人とナフタリ人)10,000人を見て、すぐに軍隊を召集します。鉄の戦車も900両ありました。この数が10,000人の前にどれほどの意味をなすか、それは分かりませんが。 | ||||
| デボラはバラクに対し、「立ちなさい。主が、シセラをあなたの手にお渡しになる日が来ました。主が、あなたに先立って出て行かれたではありませんか」と言います。ここから先、戦うのはバラクだけです。 | ||||
| 将軍シセラは、カイン人ヘベルの妻ヤエルの天幕で息絶えます。シセラが仕えるヤビンとカイン人ヘベル一族との間には友好関係がありましたが、ヘベルの妻ヤエルはシセラを殺害するのです。そこにはどのような「裏切り」の理由があったのでしょうか。 | ||||
| 4月 10日「士師記5:1〜5」 | ||||
| イスラエルにおいて民が髪を伸ばし 進んで身をささげるとき 主をほめたたえよ。 (士師記5章2節) |
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| 4章では、女預言者デボラが士師としてイスラエルを裁く様子が描かれました。彼女はバラクを呼び寄せ、1万の兵を出させます。その兵はカナンの王ヤビンの将軍シセラを追い詰めます。そしてシセラはカイン人ヘベルの妻ヤエルによって殺害されたのです。 | ||||
| この5章は、イスラエルの人々がカナンの王ヤビンを滅ぼしたその次の日に歌われたものです。旧約聖書には何か大きな出来事があった後に、歌が歌われることがあります。出エジプト記15章の「海の歌」はその一例です。 | ||||
| ただ今回の歌は1節にもあるように、デボラとバラクとで歌ったものです。新共同訳聖書の小見出しには「デボラの歌」と書かれていますが、正確には「デボラとバラクの歌」と言った方がいいのかもしれません。 |