
| 2月 1日「ヨシュア記10:16〜28」 | ||||
| ヨシュアは言った。「恐れてはならない。おののいてはならない。強く、雄々しくあれ。あなたたちが戦う敵に対して主はこのようになさる。」 (ヨシュア記10章25節) |
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| このヨシュア記10章から11章にかけての記述は、かなり残酷な内容になっています。映画になったら、「R-18指定」がつけられるのではないでしょうか。イスラエル軍は5人の王をマケダの洞穴に追い込みます。 | ||||
| イスラエルの人たちは、まず“敵”に決定的な打撃を与えます。まさしく「敵を憎む」人たちがそこにはいたのです。さらに5人の王たちを洞穴から引き出し、首を踏みつけ打ち殺し、木にかけ、夕方までさらすのです。 | ||||
| イエス様は「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と語ります。旧約の残虐な出来事を、否定されるのです。 | ||||
| 2月 2日「ヨシュア記10:29〜35」 | ||||
| 主がラキシュをイスラエルの手に渡されたので、二日目には占領し、剣をもって町の住民をすべて撃ち、リブナと全く同じようにした。 (ヨシュア記10章32節) |
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| ヨシュア率いるイスラエル軍は、マケダからリブナ、ラキシュ、エグロンへと侵攻を繰り返していきます。そのすべての場所で王を滅ぼし、住民をすべて撃ち、町を占領していくのです。 | ||||
| これは、歴史的事実でしょうか。日本にも、古事記や日本書紀という歴史書があります。古事記の目的は天皇家の歴史を記すこと、そして日本書紀の目的は日本という国の成立を記すこと言われています。 | ||||
| 聖書も神さまとの関係を伝えるという目的があるので、歴史的事実よりも神学的意味が大切にされています。神さまの前では、「人間の王」は小さく弱いのだということが強調されているのかもしれません。 | ||||
| 2月 3日「ヨシュア記10:36〜43」 | ||||
| ヨシュアがただ一回の出撃でこれらの地域を占領し、すべての王を捕らえることができたのは、イスラエルの神、主がイスラエルのために戦われたからである。 (ヨシュア記10章42節) |
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| ヨシュア率いるイスラエル軍は、さらにエグロンからヘブロン、デビルへと行きます。そこでも同じように、町を占領していきます。山地やネゲブ、シェフェラ、傾斜地に至るまで、征服していくのです。 | ||||
| それもヨシュアは、ただ一回の出撃でこれらのことを成し遂げたというのです。ただ聖書はその理由として、「イスラエルの神、主がイスラエルのために戦われたからである」と書きます。 | ||||
| これらの出来事の意味は、「神さまが共におられる」ということであって、「神さまに頼ればすべての土地が手に入る」ということではないはずです。しかし世界を見渡すと、聖戦という名の元にこれと同じことが繰り返されているようで悲しいです。 | ||||
| 2月 4日「ヨシュア記11:1〜9」 | ||||
| 主はヨシュアに言われた。「彼らを恐れてはならない。わたしは明日の今ごろ、彼らすべてをイスラエルに渡して殺させる。あなたは彼らの馬の足の筋を切り、戦車を焼き払え。」 (ヨシュア記11章6節) |
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| 気の重くなる内容が続きます。しかしこれらの箇所をきちんと読むことは、今もやまない戦火の理由を知ることにもつながります。「主が彼らをイスラエルの手に渡されたので」という言葉が、ある人たちには正義なのです。 | ||||
| 特に「馬の足の筋を切り」という行為は、残虐な動物虐待です。ただこの時代、馬は軍隊用の動物でした。「軍事用」のものだから、その力をそぎなさいという命令のように思います。 | ||||
| 聖書のイスラエルが多くの国を征服したという出来事は、いわゆる「歴史書」には書かれていません。これはあくまでも、神学的事実と言えるものです。神さまのみ手によって、“当時の”イスラエルが土地を得た、ということを言っているのにすぎません。 | ||||
| 2月 5日「ヨシュア記11:10〜15」 | ||||
| 主がその僕モーセに命じられたとおり、モーセはヨシュアに命じ、ヨシュアはそのとおりにした。主がモーセに命じられたことで行わなかったことは何一つなかった。 (ヨシュア記11章15節) |
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| 出エジプトの際、約束の地に向かったときに民を率いたのはモーセでした。神さまはその行く先々でモーセを導き、またあらゆることを命じていきました。モーセはさらに、十戒や律法を神さまから与えられました。 | ||||
| モーセはそれを、ヨシュアに伝えていきました。モーセは荒れ野でさまよっている中で神さまに背き、約束の地に入ることを許されませんでした。そこで民の指導は、ヨシュアに託されたのです。 | ||||
| 新約聖書には、モーセとエリヤがイエス様と語り合う場面(マルコ9:2〜8)が出てきます。モーセはエジプトから民を導き出した偉大な指導者として覚えられていました。そしてヨシュアもまた、民を約束の地に導き入れた偉大な指導者です。 | ||||
| 2月 6日「ヨシュア記11:16〜23」 | ||||
| ヨシュアはこうして、この地方全域を獲得し、すべて主がモーセに仰せになったとおりになった。ヨシュアは、それをイスラエルに各部族の配分に従って嗣業の土地として与えた。この地方の戦いは、こうして終わった。 (ヨシュア記11章23節) |
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| ようやく、イスラエル軍の占領の記事が終わります。たくさんの王やその土地に住んでいた人たちが、命を落としたことでしょう。「滅ぼす」という言葉が簡単に使われていることに、不快感を持たざるを得ません。 | ||||
| 大河ドラマや戦争映画も、どの視点から見るかによってその景色は大きく変わっていきます。2006年に、硫黄島の戦いを描いた映画が2本公開されました。日本兵の視点から描いた「硫黄島からの手紙」がその1本です。 | ||||
| そして同じ出来事をアメリカ側の視点から描いたのが、「父親たちの星条旗」です。この映画を通して、物事は様々な面から見る必要があることを教わりました。ぜひ一度ご覧ください。 | ||||
| 2月 7日「ヨシュア記12:1〜6」 | ||||
| 主の僕モーセの率いるイスラエルの人々が二人の王を打ち殺した後、これらの地域は主の僕モーセによってルベン人、ガド人、マナセの半部族に領地として与えられた。 (ヨシュア記12章6節) |
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| ようやく11章までで、残酷な描写は終わりました。13章からは占領した土地をどのようにイスラエル12部族で分けたのかということが書かれますが、この12章ではこれまでの征服の結果が書かれます。 | ||||
| まず6節までには、ヨルダン川の東側のことが書かれています。後ろのページに聖書地図が付いている新共同訳聖書をお持ちの方は、「第3図 カナンへの定住」を見ていただくと、よくわかります。 | ||||
| ヨルダン川の東側(地図では右側)には、マナセ、ガド、ルベンという名前が並びます。マナセはヨセフの子、ガドとルベンはヤコブの子の名です。その名はそれぞれの民族の名となりました。そして地図にある場所を領地としていったのです。 | ||||
| 2月 8日「ヨシュア記12:7〜8」 | ||||
| それは山地、シェフェラ、アラバ、傾斜地、荒れ野、ネゲブであって、そこにはヘト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人が住んでいた。 (ヨシュア記12章8節) |
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| 続いてヨルダン川の西側(地図では左側)です。ダン、ナフタリ、アシェル、ゼブルン、イサカル、マナセ、エフライム、ベニヤミン、ユダ、シメオンという名前が並びます。それぞれヤコブの子や孫の名前です。 | ||||
| マナセは東側にも、領地を与えられていました。13章以降には「マナセの半部族」という言葉が出てきます。マナセ族は、二つに分けられたということです。またダンも、上下に分けられています。 | ||||
| 具体的にどのように分けられていったかは13章以降に書かれていきますが、「領土を分け与える」という流れは、戦国時代に手柄をあげた大名に褒美を与えるのと同じように感じてしまいます。 | ||||
| 2月 9日「ヨシュア記12:9〜24」 | ||||
| ケデシュの王一名、カルメルのヨクネアムの王一名、ドル台地のドルの王一名、ガリラヤのゴイムの王一名、ティルツァの王一名、計三十一名の王である。 (ヨシュア記12章22〜24節) |
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| イスラエル軍は、31名の王を征服したと聖書は伝えます。各地を治める王は、当然一人ずつです。しかし聖書にはいちいち、「一名」と書かれています。これは何かの記録のようにも思えます。 | ||||
| この31名の王の元に、どれだけ多くの人がいたのだろうかと想像します。イスラエルの人たちは「神の名のもとに」、すべてを滅ぼし、奪いました。大河ドラマもそうですが、人が亡くなっている以上、これは「良い出来事」とは考えにくいです。 | ||||
| 18節に、「シャロンにあるアフェクの王」とあります。奈良基督教会には、シャロンという部屋があります。シャロンは理想郷を意味し、またその地に咲く「シャロンのばら」は旧約聖書では純潔の象徴とされます。しかし、そこでは悲しい出来事がありました。 | ||||
| 2月 10日「ヨシュア記13:1〜7」 | ||||
| ヨシュアが多くの日を重ねて老人となったとき、主は彼にこう言われた。「あなたは年を重ねて、老人となったが、占領すべき土地はまだたくさん残っている。 (ヨシュア記13章1節) |
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| 唐突に、ヨシュアが老人となったという記述があります。ヨシュア記は24章まであり、ようやく折り返したところです。ヨシュア自身も24章まで登場するので、この記述が何を意味するのかはよく分かっていません。 | ||||
| 一説にはこの土地を配分した記録は、後から挿入されたのではないかと言われています。もしそうだとすれば、イスラエルの人々が「聖書に書かれた」という土地取得の根拠は崩れてしまうようにも思います。 | ||||
| 特に3節の「ガザ」という地名を見たときに、その思いは強くなります。聖書に書いてあろうとなかろうと、武力で人々の生活を脅かすことはあってはならないとわたしは思います。みなさんはどう思いますか。 |