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日ごとの聖書

ショートメッセージ 〜2026年1月11日〜20日

1月 11「ヨシュア記519
そのとき、主はヨシュアに、火打ち石の刃物を作り、もう一度イスラエルの人々に割礼を施せ、とお命じになった。
(ヨシュア記5章2節)
出エジプトから40年がたち、イスラエルの人々はようやくヨルダン川を渡りました。その間に、「エジプトを出て来たすべての民、戦士である成人男子は皆、エジプトを出た後、途中の荒れ野で死んだ」とのことです。
イスラエルの人たちはエジプトを出て移動する中で、何度も神さまに対して反抗します。その様子は民数記14章などにも書かれていますが、その結果、神さまは彼らを約束の地に入れないと告げるのです。
創世記17章で定められた割礼は、エジプトを出る前にイスラエルの民に施されていました。しかしその人たちがみな荒れ野で死んだため、ヨシュアはここで人々に割礼を施します。割礼は神さまとの契約なのです。
1月 12ヨシュア記51015
 彼らが土地の産物を食べ始めたその日以来、マナは絶え、イスラエルの人々に、もはやマナはなくなった。彼らは、その年にカナンの土地で取れた収穫物を食べた。
(ヨシュア記5章12節)
イスラエルの人たちは割礼を受けたギルガルで、宿営をします。そしてエリコの平野に行き、過越祭を祝います。ヨルダン川を渡ったのが第一の月の十日、そして過越祭はその月の十四日におこなわれました。
その日を境に、彼らにはマナが与えられなくなりました。神さまは40年間、マナで荒れ野のイスラエルの人々を養っていましたが、カナンの土地に入ったことでもうその必要はなくなったということでしょう。
そして13節以降には、不思議な出来事が書かれています。抜き身の剣を手にした一人の人が、ヨシュアに向かって立っていたのです。彼は主の軍の将軍でした。明日以降、イスラエル軍はエリコに向かいます。
1月 13ヨシュア記615
エリコは、イスラエルの人々の攻撃に備えて城門を堅く閉ざしたので、だれも出入りすることはできなかった。
(ヨシュア記6章1節)
いよいよヨシュア率いるイスラエル軍は、エリコの城を攻めようとします。戦国時代のお城の中には、「難攻不落」と称されるものがあります。エリコの城も、そのようなものだったのでしょう。
このとき神さまはヨシュアに、不思議なことを命じます。6日間、7人の祭司と兵士たちは町を一周します。そして7日目だけは町を7周し、あわせて祭司たちには角笛を吹き鳴らしなさいと告げるのです。
ヨシュアはこの神さまの言葉を、どう受け止めたのでしょうか。多分そこに疑いがあれば、町の城壁が崩れ落ちることはなかったのでしょう。しかしヨシュアは、神さまの言葉を信じ、受け入れたのです。
1月 14ヨシュア記6611
彼はこうして、主の箱を担いで町を回らせ、一周させた。その後、彼らは宿営に戻り、そこで夜を過ごした。
(ヨシュア記6章11節)
ヨシュアは神さまが伝えたままを、祭司たちに命じます。彼らにとって一番大切なものは、契約の箱でした。その箱を中心にして、祭司や兵士が町の周りを回っていきます。声は出さずに、ただ角笛の音だけが響きます。
エリコの人たちは、不気味だったでしょう。彼らは、ヨルダン川の水がせき止められて、その中をイスラエルの人たちが歩いていったということも知っていました。恐ろしい民族だと思っていたと思います。
この様子をイメージしている中で、竣工式を思い出しました。新しい建物の周りを、詩編を唱えながら回っていく。回る回数や言葉を発するところは違いますが、神さまの建物が与えられたときに礼拝する。何か共通点もあるような気がします。
1月 15ヨシュア記61221
 角笛が鳴り渡ると、民は鬨の声をあげた。民が角笛の音を聞いて、一斉に鬨の声をあげると、城壁が崩れ落ち、民はそれぞれ、その場から町に突入し、この町を占領した。
(ヨシュア記6章20節)
イスラエルの人たちはヨシュアに命じられた通り、6日間エリコの町の周りを回っていきます。エリコの人たちは、初日や2日目こそいつ急に襲われてもいいように、弓矢を構えていたりしたかもしれません。
しかし3日目、4日目と何も起きず、5日目、6日目になると、もう何もないのだろうと高を括っていたでしょう。しかし7日目、いつもと違いイスラエルの人たちは町を七度回ります。それはこの日だけのことでした。
そしてイスラエルの人たちは角笛を鳴らし、鬨の声をあげます。その声にあわせて、城壁は崩れ落ちました。この出来事はあくまでも神さまのみ手によるものだ、ということを聖書は伝えているのです。
1月 16ヨシュア記62227
斥候の若者たちは行って、ラハブとその父母、兄弟、彼女に連なる者すべてを連れ出し、彼女の親族をすべて連れ出してイスラエルの宿営のそばに避難させた。
(ヨシュア記6章23節)
イスラエルの人たちは、エリコの人たちを打ち破りました。いつも思いますが、一方的に滅ぼされる人たちはかわいそうです。しかしここで目を向けないといけないのは、イスラエルの人たちと神さまとの信頼関係です。
イスラエルの人たちは神さまの命じるとおりにおこないました。ここが大切なことです。さらに斥候を救ったラハブ一族を、彼らは助けます。そのラハブから、エッサイやダビデ、イエス様という系図が続くのです。
ラハブはエリコの遊女でした。しかし神さまは彼女を用い、そしてイスラエルの人たちは彼女をないがしろにしないで約束を守っていく。神さまの計画が不思議な形で実行されていくのです。
1月 17ヨシュア記716
 ヨシュアは衣服を引き裂き、イスラエルの長老たちと共に、主の箱の前で夕方まで地にひれ伏し、頭に塵をかぶった。
(ヨシュア記7章6節)
この7章には、「神さまへのささげ物」について書かれます。旧約聖書には「ささげ物の規定」がかなり細かく書かれています。その中に、「滅ぼし尽くしてささげる」という決まりがあります。
戦争のときに、いわゆる「戦利品」を獲ることがあります。衣類や武器、金銀などですが、「分捕り物」という名で書かれることもあります。しかし聖書で「滅ぼし尽くす」と書かれたときには、そのような戦利品を自分のものにしてはいけないのです。
そのようなものは、すべて神さまの物だという考えがその根底にあります。しかしアカンという人は、欲望に負けてしまったのでしょう。その一部を盗み取ってしまいます。あかんことです。
1月 18ヨシュア記7713
イスラエルは罪を犯し、わたしが命じた契約を破り、滅ぼし尽くしてささげるべきものの一部を盗み取り、ごまかして自分のものにした。
(ヨシュア記7章11節)
アイで戦いに敗れたヨシュアは、神さまに不平をもらします。エリコのときには鬨の声だけで城壁が崩れたのに、全軍をつぎ込まなくても大丈夫と思ったアイの前に敗退したわけですから。
神さまはなぜ、イスラエルがアイの前に敗退したのかを伝えます。イスラエルの罪とは、神さまが命じた契約を破り、滅ぼし尽くしてささげるべきものの一部を盗み取り、ごまかして自分のものにしたというものです。
本来であれば神さまにお返しすべきものを、自分の懐に入れてしまった。神さまの怒りの大きさはともかく、わたしたちもやってしまいそうなことです。「すべてのものは主のたまもの」という思いを忘れないでいきたいものです。
1月 19ヨシュア記71421
 ザブディ家の男子を一人ずつ進み出させると、ユダ族のゼラ氏族に属するザブディ家のカルミの子アカンが指摘を受けた。
(ヨシュア記7章18節)
「犯人さがし」がおこなわれます。名探偵コナンや相棒などでは、いろんな人の言葉や行動、さまざまな証拠をもとに推理を組み立てていきますが、聖書の中ではグループごとにわけ、「主の指摘」を受けるのです。
部族ごと、氏族ごと、家族ごと、そしてその中の男子の中から指摘を受けるのですが、一体どのような感じで指摘されたのでしょうか。光が当たったとか、煙に包まれたとか、どうだったのでしょう。
そこに集められた人たちは、たとえ犯人ではなかったとしてもかなりドキドキしていたのではないでしょうか。知らずに犯した罪もあるかもしれません。ただ一回でアカンを指摘した方が早いような気もしますが。
1月 20ヨシュア記72226
 ヨシュアの出した使いたちがアカンの天幕に走って行って見ると、果たして彼の天幕の中に、銀を下に敷いて地下に埋めてあった。
(ヨシュア記7章22節)
神さまが指摘したアカンは、罪を告白します。「わたしは、確かにイスラエルの神、主に罪を犯しました」と。もう言い逃れはできないと、彼は覚悟を決めたのでしょう。彼が奪ったものはこうでした。
一枚の美しいシンアルの上着、銀二百シェケル、重さ五十シェケルの金の延べ板です。確かに魅力のあるものです。それらを天幕の地下に、銀を下に敷いて埋めているとアカンは言いました。
罪を告白したものの、神さまの怒りをしずめるために、イスラエルの人たちはアカンを、そしてその家族をも打ち殺します。使徒言行録でアナニアとサフィラが土地を売った代金をごまかし、息絶えた物語(使徒5:1〜11)を思い出します。

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