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日ごとの聖書

ショートメッセージ 〜2025年11月21日〜30日

11月 21「詩編128
 妻は家の奥にいて、豊かな房をつけるぶどうの木。食卓を囲む子らは、オリーブの若木。
(詩編128編3節)
「家庭の幸福」:巡礼者の歌です。「いかに幸いなことか」と作者は語ります。この言葉は「幸いなるかな」と語られたイエス様の山上の説教を思い起こします。ではこの詩の中では何が、「幸い」だというのでしょうか。
二つのことが書かれています。2節では労苦が報われ、手にしたものが自分の食べ物になるということが書かれています。そして3節には妻や子どもたち、つまり家族が与えられていることが幸いだというのです。
それらは当時、神さまからの祝福だと考えられていました。実り多き働きと繁栄する家族、それらは神さまから与えられたものだというのです。わたしたちも同じように、自分の力ですべてが得られたのではなく、神さまの恵みによるものだと感謝しましょう。
11月 22詩編129
 わたしが若いときから 彼らはわたしを苦しめ続けたが 彼らはわたしを圧倒できなかった。
(詩編129編2節)
「虐げられたイスラエルの祈り」:巡礼者の歌です。作者は過去の危機的状況を思い起こしています。「わたしが若いときから 彼らはわたしを苦しめ続けたが」という言葉が二度繰り返されています。よほどの苦しみだったのでしょう。
3節にある「わたしの背を耕し」とは、エルサレムの滅亡を指していると考えられています。エルサレム神殿が崩壊し、イスラエルの人たちがバビロンに捕囚として連れていかれた歴史的事実は、彼らをいつまでも苦しめていました。
しかし思い返せば、その苦しみの中にも神さまがいたではないか、それが作者の信仰です。わたしたちにも苦しみや悲しみのときは来ます。その中においても、神さまはわたしたちに手を差し伸べておられる。そこに信頼を置きましょう。
11月 23詩編130
 わたしの魂は主を待ち望みます 見張りが朝を待つにもまして 見張りが朝を待つにもまして。
(詩編130編6節)
「深い淵からの叫び」:巡礼者の歌です。今年の降臨節(アドベント)は今日から一週間後、11月30日から始まります。奈良基督教会では例年、その前の週の日曜日(つまり今日)、クリスマスの飾りつけをおこないます。
主にのみ望みをおき、主を待ち望む。そのことをこの降臨節に心に留めたいものです。聖歌64番「久しく待ちにし 主よとく来たりて」という歌があります。9世紀のグレゴリアンチャントです。
その2節にこのようにあります。「あしたの星なる 主よとく来たりて おぐら(暗)きこの世に み光をたまえ 主よ 主よ み民を救わせたまえや」。暗闇の中、朝日を待ち望むわたしたちに、必ず光は訪れます。
11月 24詩編131
 わたしは魂を沈黙させます。わたしの魂を、幼子のように 母の胸にいる幼子のようにします。
(詩編131編2節)
「幼子のような信頼」:巡礼者の歌です。作者は神さまに対し、「驕っていません」、「目は高くを見ていません」、「追い求めません」、「魂を沈黙させます」と語ります。どれも「自分の力に頼る」ことと通じるようです。
イエス様はマタイによる福音書18章3節で、「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない」と言われました。同じようにパウロはフィリピ3章の中で、「肉に頼らない」ことの大事さを手紙に書きます。
「幼子のように」神さまに信頼を置くことが、大切なのです。すべてのものが与えられることを信じ、よき方へ導いてくださると信頼を置く。自分の力を誇示するのではなく、弱いわたしたちを守ってくださる神さまにその道を委ねましょう。
11月 25詩編13217
 見よ、わたしたちは聞いた それがエフラタにとどまっていると。ヤアルの野でわたしたちはそれを見いだした。
(詩編132編6節)
「ダビデの誓いと主の誓い」:巡礼者の歌です。イスラエルには王がいました。初代がサウル、二代目がダビデ、三代目がソロモンです。その中でもダビデが最も偉大な王として、人々に記憶されています。
この詩編132編は、ダビデが神さまに対して何をし、そして神さまがダビデに対して何を約束したのかを語ります。イスラエルの人々にとって、ダビデの出来事はとても大切なものでした。
ダビデは神さまに、「居場所」を定めると誓います。旧約聖書には「神の箱」というものが出てきます。そこに神さまは臨在すると考えられ、それをどこに置くべきかが大事なことでした。ダビデはその場所を見出していきます。
11月 26詩編132818
 ダビデのために一つの角をそこに芽生えさせる。わたしが油を注いだ者のために一つの灯を備える。
(詩編132編17節)
神さまはシオンを、神の箱が置かれる場所として選びます。8〜9節は、神の箱の行進の際の礼拝式文でもあるようです。神さまはこのようにして、ダビデの子孫に対してシオンで君臨することをダビデに誓います。
さらにシオンの食糧を豊かに祝福することや、飽きるほどパンを与えることを約束します。そして17節の「一つの灯を備える」というのは、子孫がとだえないことの象徴だということです。
ただこの「シオン」が、現在の「エルサレム」という場所と同一視しすぎると、その場所だけが聖なるところ、その場所にのみ、神さまの臨在を認めるということになり、争いの火種となります。「新しいエルサレム」を求めていきましょう。
11月 27詩編133
 【都に上る歌。ダビデの詩。】見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。
(詩編133編1節)
「麗しい兄弟愛」:巡礼者の歌です。讃美歌21という聖歌集があります。聖公会ではあまり使うことがありませんが、その162番に「見よ、兄弟が」という歌が入っています。133編1節をそのまま歌詞にしています。
作者は前の132編と同様、ここでもシオンを祝福の場所として定めます。そしてシオンで子どもたちが親とともに座っている姿を喜ぶのです。それは教会が、「神の家族」としてお互いを「兄弟姉妹」と呼ぶのと似ているのかもしれません。
神さまを中心とした結びつきは、教会特有のものだと思います。そこに集う人は、誰一人孤独ではありません。「神の家族」としてお互いを大切にしていく、そのような共同体でありたいものです。
11月 28詩編134
 天地を造られた主が シオンからあなたを祝福してくださるように。
(詩編134編3節)
「夜の礼拝の祝福」:巡礼者の歌です。120編から続いてきた「巡礼者(都に上る者)の歌」の最後のものです。この詩は3節しかなく、巡礼者の歌の中でも一番短いものとなっています。
作者は1〜2節で、「主をたたえよ」と促します。いわゆる賛美の招きです。都に上ることが叶い、一番になすべきことは神さまを賛美することなのです。わたしたちの礼拝も、賛美から始まります。
わたしたちはどのような思いで、礼拝に向かっているでしょうか。一週間にあったことを思い返し、そして礼拝に集うことができたことを感謝し、賛美することが大切なのではないでしょうか。その上で、神さまからの祝福を求めるのです。
11月 29詩編13517
 主を賛美せよ、恵み深い主を。喜ばしい御名をほめ歌え。
(詩編135編3節)
「唯一の神、主をたたえよ」:賛歌です。聖歌346番「ほめ讃えよ 生ける神を」という歌をご存じでしょうか。347番「アブラハムを 召された神」と調が違うだけですので、その歌詞を見て曲が頭に浮かんだ方もおられるかもしれません。
その346番の2節に、このような歌詞があります。「たぐいもなき 聖なる主の その麗しさを見つめよ すべてのもの 主を讃えよ み旨に従い 仕えよ」。この詩は、詩編135編の3節と明日読まれる13節が元になっています。
神さまのみ名を賛美し、ほめたたえる。イスラエルの人たちはそのことをいつも大切にしてきました。わたしたちはどうでしょう。お祈りの中で、賛美の中で、いつも神さまのみ名をほめたたえる。そのことを大切にしていきたいものです。
11月 30詩編135814
 主よ、御名はとこしえに。主よ、御名の記念は代々に。
(詩編135編13節)
この135編8〜12節には、何度も繰り返し書かれてきたイスラエルの歴史が綴られます。8〜9節では出エジプトの際、エジプトの初子を打たれた出来事が書かれ、10〜11節にはいわゆる「約束の地」に入ったときのことが書かれます。
わたしたちは日本書紀や古事記を繰り返し読むことはあまりありません。それは別に歴史をないがしろにしているということではないでしょう。イスラエルの人々は、自分たちのアイデンティティを確かめるためにも、神さまとの歴史を大事にしているのです。
現在のイスラエルやユダヤを語るときには、彼らがこのような過去をずっと大切にしているという事実を押さえておくべきです。そのことをないがしろにしてしまったら、彼らとの対話も成り立たないのかもしれません。

バナースペース

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