9月 11日「詩編104:24〜30」 | ||||
主よ、御業はいかにおびただしいことか。あなたはすべてを知恵によって成し遂げられた。地はお造りになったものに満ちている。 (詩編104編24節) |
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聖歌323番「この世はみな 神の世界」という聖歌があります。この詩編104編では、神さまがすべてのものを造られたことを振り返ります。そのときにわたしたちは思い出すのです。「この世はみな 神の世界」なのだと。 | ||||
「この世はみな 神の世界 天地(あめつち)すべてが 歌い交わす 岩も木々も 空も海も み神のみ業を ほめたたえる」、「この世はみな 神の世界 鳥の音花の香 主をたたえる 朝日夕日 空に映えて み神のみわざを 語り告げる」。一番と二番の歌詞です。 | ||||
すべての恵みは神さまからのものであり、すべての被造物は神さまに依存しています。そしてわたしたち人間も、同じ被造物なのです。岩や木々と共に、鳥や花と一緒に、主をたたえましょう。 | ||||
9月 12日「詩編104:31〜35」 | ||||
命ある限り、わたしは主に向かって歌い 長らえる限り、わたしの神にほめ歌をうたおう。 (詩編104編33節) |
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104編30節まで続いてきた創造主としての神さまの働きを受けて、31節以降では願いの祈りをささげます。「主の栄光がとこしえに続くように」との願いは、この豊かな世界がずっと続きますようにと聞こえてきます。 | ||||
さらに作者は、「命ある限り」、「長らえる限り」、神さまにほめ歌をうたうことを誓います。神さまに賛美をささげること、それはわたしたちに与えられた大きな恵みです。食事の前にも寝る前にも、神さまにいつも感謝・賛美をささげたいと思います。 | ||||
この詩編の最後には、「ハレルヤ」という言葉があります。「ハレル」はほめたたえるということ、そして「ヤ」は「ヤハウェ(神)」のことです。詩編で最初に出てくる「ハレルヤ」の声とともに、神さまを賛美しましょう。 | ||||
9月 13日「詩編105:1〜6」 | ||||
主の僕アブラハムの子孫よ ヤコブの子ら、主に選ばれた人々よ。 (詩編105編6節) |
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「イスラエルの不思議な歴史」:ほめ讃えの賛歌です。この詩編105編は、イスラエルがどのようにしてつくられたのかが書かれています。6節にあるように、この詩はアブラハムの子孫である会衆に宛てて書かれています。 | ||||
簡単に言うと、ここには神さまがどのようにしてアブラハムとの約束を果たされたのかということです。神さまは一方的に、イスラエルの民を選ばれました。その約束をわたしたちは「旧約(古い約束)」と呼びます。 | ||||
聖公会ではイエス様の十字架によって、新しい約束(新約)が神さまと結ばれたと考えます。しかしユダヤ教や福音主義のキリスト教では、旧約も文字通りに守らなければいけない大切なものだとします。そのため、その約束を巡って争いが続くのです。 | ||||
9月 14日「詩編105:7〜11」 | ||||
宣言された 「わたしはあなたにカナンの地を 嗣業として継がせよう」と。 (詩編105編11節) |
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7〜11節には、導入として主題が書かれます。イスラエルの歴史の中で重要なことは、「約束の地」が神さまによって与えられたということです。聖書の中では、そのことが一番強調されています。 | ||||
しかし昔からカナンに住んでいた人たちにとって、「聖書の神さま」はあくまでも「異教の神」にすぎません。自分たちが信じている神さまが「もっと良い土地をあげよう」と言ってカナンから離れるなら分かりますが、いきなり襲われても困るわけです。 | ||||
現在パレスチナで暮らす(暮らしてきた)多くの人たちは、「イスラエルの建国」によって聖書の時代のカナンの人々と同じ思いを持ったかもしれません。この聖書の歴史をわたしたちはどう捉えるべきか、考えていきたいと思います。 | ||||
9月 15日「詩編105:12〜15」 | ||||
「わたしが油を注いだ人々に触れるな わたしの預言者たちに災いをもたらすな」と。 (詩編105編15節) |
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ここから詩編は、イスラエルの歴史物語に入っていきます。これまでの神さまの導きを思い起こし、賛美をするのです。イスラエルは元々、とても小さな民族でした。エジプトやアッシリア、ペリシテなどに囲まれて、いつ消滅してもおかしくない群れでした。 | ||||
しかしその「小さな群れ」に神さまが目を注がれたというのが、旧約聖書の理解です。15節の「油を注いだ人々」や「預言者」とは、アブラハムとイサクのことです。実際に二人は預言者とは呼ばれていませんでしたが、神さまと親しくしていました。 | ||||
そして14節の「王たち」とは、エジプトの王ファラオやゲラルの王アビメレクのことです。ここに書かれているのは、創世記12、20、26章に出てくる物語です。アブラハムたちはさまよいながら、約束の地を目指すのです。 | ||||
9月 16日「詩編105:16〜38」 | ||||
エジプトは恐怖に襲われていたから 彼らが出て行くのを喜んだ。 (詩編105編38節) |
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16〜38節に書かれているのは、イスラエルの人たちが最も大切にしている「出エジプト」の出来事です。創世記37章から始まるヨセフ物語では、ヤコブの息子ヨセフがエジプトに奴隷として売られます。 | ||||
聖書はその出来事から、すでに神さまのご計画がスタートしたのだと語ります。カナンを襲った大飢饉によって、イスラエル(ヤコブ)はハムの地(エジプト)に住むようになります。そして時代が流れていきます。 | ||||
エジプトで奴隷状態になってしまったイスラエルの人々は、モーセとアロンによって、エジプトを脱出します。十の災いによってエジプトの人々を恐怖に陥れ、彼らは再び約束の地を目指すのです。その出来事が、彼らの信仰の拠り所となるのです。 | ||||
9月 17日「詩編105:39〜45」 | ||||
それゆえ彼らは主の掟を守り 主の教えに従わなければならない。ハレルヤ。 (詩編105編45節) |
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39節からは、荒れ野で神さまがいかにして養われたかということが書かれています。雲の柱、火の柱によって導かれ、天のパンであるマナやうずらによって満たされ、岩を打って得た水によって渇きをいやしていきました。 | ||||
創世記15章18〜21節にこうあります。「あなたの子孫にこの土地を与える。エジプトの川から大河ユーフラテスに至るまで、カイン人、ケナズ人、カドモニ人、ヘト人、ペリジ人、レファイム人、アモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人の土地を与える」。 | ||||
この“約束”によって、イスラエルの人たちは「頑な」になっているように思います。今の世界の状況が、この「旧約聖書の約束」によって引き起こされているという事実を、わたしたちはどのように受け止めたらよいのでしょうか。 | ||||
9月 18日「詩編106:1〜5」 | ||||
あなたの選ばれた民に対する恵みを見 あなたの国が喜び祝うとき共に喜び祝い あなたの嗣業の民と共に 誇ることができるようにしてください。 (詩編106編5節) |
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「イスラエルの忘恩の告白」:ほめ讃えの賛歌です。この詩編106編は前の105編と相互補完的な内容となっています。105編が神さまの驚くべきみ業について語っていたのに対し、106編はそれにもかかわらずイスラエルの民が神さまに背いた様を描きます。 | ||||
この詩編の中には、強情なイスラエルの民が神さまに逆らった様子が8つ挙げられます。人々はその出来事を過去のものとしてしまわないで、自分たちも同じように神さまを裏切っていることを覚え、悔い改めるのです。 | ||||
わたしたちもこの詩編を通して、ここに出てくるイスラエルの民と同じように神さまに背き、自分の思いを優先させようとしてきたことを思い出しましょう。そして神さまの前に、心を入れ替えることができればと思います。 | ||||
9月 19日「詩編106:6〜12」 | ||||
わたしたちは先祖と同じく罪を犯し 不正を行い、主に逆らった。 (詩編106編6節) |
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6節の言葉は、悔い改めのための礼拝式文に用いられていたと考えられています。これからイスラエルの民の罪の列挙が始まりますが、その罪を過去のものとせずに自分のものとして背負っていくのです。 | ||||
最初に出てくる「罪」は、葦の海の場面で民が反抗した場面です。彼らはモーセに言いました。「我々を連れ出したのは、エジプトに墓がないからですか。荒れ野で死なせるためですか。一体、何をするためにエジプトから導き出したのですか。(出14:11〜12)」と。 | ||||
神さまには、エジプト軍からイスラエルの人々を助け出す計画がありました。葦の海を二つに分け、イスラエルの人々にその間を通らせようとされていました。しかし彼らは、神さまの導きを信じることができませんでした。これが第一の罪です。 | ||||
9月 20日「詩編106:13〜23」 | ||||
主は彼らを滅ぼすと言われたが 主に選ばれた人モーセは 破れを担って御前に立ち 彼らを滅ぼそうとする主の怒りをなだめた。 (詩編106編23節) |
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13〜23節には、第2〜4の罪が列挙されます。13〜15節には、荒れ野で民がつぶやいた場面が書かれています。これは民数記11章にある出来事ですが、その結果神さまは、マナとうずらを民に与えています。 | ||||
次の16〜18節にあるのは、コラとダタンとアビラムがモーセやアロンに対して反逆を起こした物語です。これは民数記16章に書かれている出来事ですが、反逆した人たちは大地にのまれていきます。 | ||||
そして19〜23節の物語は、モーセが不在の間に不安になった人々が、アロンとともに金の子牛をつくってそれを拝んだというもの(出32章)です。しかしそれでも神さまに遣わされたモーセは、破れを担って御前に立ち、神さまをなだめるのです。 |