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日ごとの聖書

ショートメッセージ 〜2025年8月11日〜20日

8月 11「詩編893946
 あなたは彼の若さの日を短くし 恥で彼を覆われた。
(詩編89編46節)
この39節から、作者は神さまの約束にもかかわらず辛い状況にある現在のことを書いていきます。ダビデの契約とは大きく矛盾した状況を嘆き、油注がれた者までも敵に打ち負かされている現実を悲しんでいるのです。
果たしてダビデとの契約は、破棄されてしまったのだろうか。そのように人々は思います。しかしその根底には、ダビデの子孫が何度となく過ちを繰り返したという歴史的事実があるわけです。
46節に「あなたは彼の若さの日を短くし」とあります。ユダヤでは、長寿であることは神さまの祝福でした。聖書に書かれている人物の多くが長生きなのはそのためです。しかしイエス様は30歳台で十字架につけられました。わたしたちの本当の王となるためです。
8月 12詩編894749
 いつまで、主よ、隠れておられるのですか。御怒りは永遠に火と燃え続けるのですか。
(詩編89編47節)
「あのとき、こんな約束したの、覚えてる?」と誰かに聞くことがあるでしょう。たいていの場合、こちらがうれしくなるようなことほど、相手は覚えていないものです。しかし神さまはどうでしょうか。
作者は、昔ダビデと交わされた約束を思い起こしてもらいたいと神さまに叫びます。「いつまで待てばいいのですか?」、その問いは、わたしたちにも通じるものがあります。「明日まで我慢すれば」など、期限が決まっていたら少しは心も楽になります。
しかしいつ光が戻って来るのか予想もできないとき、人の心はなかなか前向きにならないものです。大震災や戦争で、そのような思いを持っている方も多くおられます。わたしたちはその人たちのために、何ができるのでしょうか。
8月 13詩編895053
 主よ、真実をもってダビデに誓われた あなたの始めからの慈しみは どこに行ってしまったのでしょうか。
(詩編89編50節)
「あなたの始めからの慈しみは どこに行ってしまったのでしょうか」、この叫びこそが、作者が一番言いたかったことなのかもしれません。これは願いというよりも、神さまに対する抗議のようにも感じます。
「どこに神さまはいるのか?」と思うことがあります。それどころか、「神さまはいないのではないか?」とさえ感じることもあります。目に見えない存在だからこそ、強い信仰が必要になってくるのでしょうか。
しかしきっといつの日か、神さまを感じるときが来ます。光や温かさ、柔らかい風、誰かの言葉の中で、いろんな形で神さまはわたしたちに語りかけてくださるのです。73編から始まった詩編第3巻は、ここで終わりです。明日から第4巻へと入っていきます。
8月 14詩編90110
 人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が八十年を数えても 得るところは労苦と災いにすぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。
(詩編90編10節)
「神の永遠性と人生のはかなさ」:救いを求める共同体の祈りです。この詩編90編から、第4巻が始まります。この詩は「神の人モーセの詩」と書かれていますが、この記述があるのはこの詩編だけです。
この詩編90編は、お葬式のときに用いられることが多くあります。わたしたち人間を含め、すべての生きる者はいつか死を迎えます。「塵にすぎないお前は塵に返る(創3:19)」と神さまが命じられた通りです。
ではわたしたちは死の前にして、嘆くしかないのでしょうか。わたしは牧師として、たくさんの方々が愛する人の死の前に嘆き悲しむ姿を見てきました。その中で神さまはどのように働いてくださるのか、そのことをお伝えできればと思います。
8月 15詩編901117
 あなたがわたしたちを苦しめられた日々と 苦難に遭わされた年月を思って わたしたちに喜びを返してください。
(詩編90編15節)
昨日の箇所でも書きましたように、この詩編90編はお葬式の中で用いられることが多いものです。11〜12節で作者は、嘆きから願いへと方向転換します。わたしたちは死ぬべきものではありますが、それ以前に神さまの僕(しもべ)なのです。
わたしたちはこの世の生涯の中で、多くの悲しみに出会います。しかしその中において、神さまがいつも共にいて下さることを知るのです。さらに神さまは、肉体の死を迎えたわたしたちの魂を、優しく憩わせてくださるのです。
この詩編は、悲しみの中で聞かれることが多いでしょう。しかしそこには、確かな希望があるのです。「わたしたちの手の働きを確かなものにしてください」と、願い続けたいと思います。
8月 16詩編91113
 主に申し上げよ 「わたしの避けどころ、砦 わたしの神、依り頼む方」と。
(詩編91編2節)
「主の翼のもとに」:王の詩編です。1節にある「いと高き神のもとに身を寄せて隠れ 全能の神の陰に宿る人よ」とは、主なる神さまに全幅の信頼を寄せている人たちのことを示しています。
この詩編はそのような人たちに対し、何が信頼に値することなのか、また何がわたしたちを恐怖から解き放つのかを伝えます。神さまはわたしたちの避けどころであり、砦であると言うのです。
わたしたちには、苦しみや艱難が襲いかかります。それこそ四方八方から襲われる感覚になることもあるでしょう。そのときに神さまは大盾、小盾をわたしたちの周りに置き、そしてみ翼の下に守って下さるのです。そのような方を、わたしたちは信頼するのです。
8月 17詩編911416
 彼がわたしを呼び求めるとき、彼に答え 苦難の襲うとき、彼と共にいて助け 彼に名誉を与えよう。
(詩編91編15節)
この14節から16節は、誰かが語った言葉として「 」に入れられています。この言葉を語られたのは、他でもない神さまです。神さまは一人称で、ご自分を慕う人たちにこの宣言をなされます。
「災いから逃れさせよう」、「高く上げよう」、「彼に答え」、「彼と共にいて助け」、「名誉を与えよう」、「彼を満ちたらせ」、「救いを彼に見せよう」。これらの言葉は、神さま自身のものだということです。
わたしたちにも、神さまのこれらの声が届けられているのです。はっきりと聞こえることはないかもしれません。しかしわたしたちが神さまにすべてをお委ねする限り、神さまはその信仰を認めてくださるのです。
8月 18詩編9217
 朝ごとに、あなたの慈しみを 夜ごとに、あなたのまことを述べ伝えることは
(詩編92編3節)
「神に感謝することは素晴らしい」:感謝の歌です。日本聖公会聖歌集には580曲の聖歌が収められていますが、それは様々なカテゴリーに分けられています。最初に出てくるのは、「日々の礼拝」です。
「日曜日」ではなく、「日々」というのが重要なところです。毎日の生活の中で、朝、昼、夕、就寝前に祈ることが大切なのだと伝えているのです。今日の箇所は聖歌27番で用いられています。
「今日もまた恵みのもとに日は過ぎて 喜びささぐ夕べの祈り」、1節だけの短い聖歌ですが、その日の終わりに神さまに感謝をささげていくのです。朝ごとに、夕ごとに、主に感謝し、御名をほめたたえることは楽しいことなのです。
8月 19詩編92816
 主よ、あなたに敵対する者は、必ず あなたに敵対する者は、必ず滅び 悪を行う者は皆、散らされて行きます。
(詩編92編10節)
この詩の中では、「神に逆らう者」と「神に従う人」が対比されて描かれます。神さまに逆らい悪をおこなう人は、野の草のように茂り花を咲かせるように見えても、永遠に滅ぼされるそうです。
雑草は分かりますが、花も焼かれると思うと少し寂しい気がします。ただここでは、大きさに目を向けてみましょう。神に従う人がたとえられたなつめやしは、常葉樹で30mほどになるそうです。レバノン杉も35mほどに成長するそうです。
きれいで目を引き、身近にあって手が届きそうなのは草花です。それに対して大木は、鳥の巣になり人に木陰を与えます。わたしたちはどうあるべきでしょうか。「主よ、あなたこそ、永遠に高くいます方」と伝え続けましょう。
8月 20詩編93
 主よ、あなたの定めは確かであり あなたの神殿に尊厳はふさわしい。日の続く限り。
(詩編93編5節)
「力ある宇宙の王」:賛歌です。冒頭にある「主こそ王」という言葉が、この詩のテーマになっています。昔から人間は、神さまをどうにかして描きたいと考えてきました。洞窟にある壁画や中世の絵画など、様々な形で伝えようとしてきました。
しかし目に見えない方をビジュアルで伝えることには限界があります。そこでこの詩編のように、言葉によって神さまを生き生きと描き出すのです。神さまは年月で計ることなどできず、またわたしたちが空間と知っているところよりもはるかに高い場所におられるのです。
旧約聖書の創世記11章には、バベルの塔の物語が載せられています。当時の人たちは、神さまを超えたと勘違いし、高い塔を建てていきました。しかし神さまは、わたしたちの想像をはるかに超えた方なのです。

バナースペース

勤務地:日本聖公会 奈良基督教会
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