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日ごとの聖書

ショートメッセージ 〜2025年8月1日〜10日

8月 1「詩編86110
 苦難の襲うときわたしが呼び求めれば あなたは必ず答えてくださるでしょう。
(詩編86編7節)
「保護と導きを求める祈り」:救いを求める祈りです。この詩には、大きな特徴があります。それはオリジナルな部分が少なく、大部分が他の詩編やテキストで構成されているということです。
作者はこの詩を作成するにあたり、個人的なことは書かずに他の詩を流用することにしました。それは「盗作」と思うかもしれませんが、違います。作者の意図は、「誰もが祈ることのできる詩を作る」ことにあったのです。
聖公会で用いている礼拝の式文や諸祈祷をみてみると、ほとんどが詩編を含む聖書からの引用です。様々なテキストを用いながら、どのように祈るべきかを示しているのです。わたしたちはそれをベースにしながら、個人的な祈りを加えていくのです。
8月 2詩編861117
 神よ、傲慢な者がわたしに逆らって立ち 暴虐な者の一党がわたしの命を求めています。彼らはあなたを自分たちの前に置いていません。
(詩編86編14節)
昨日の箇所でも触れたように、この詩は誰でも祈ることのできる、礼拝式文のような要素を持ちます。呼びかけ(1〜7節)から始まり、神の特性を告げ(8〜10節)、備えを求め(11〜13節)、困難について書き(14節)、神さまのいつくしみを求める(15〜17節)のです。
この流れは、救いを求める祈りの神学的模範とも言われます。特にここで注目したいのは、備えを求める記述です。特に11節にあるように、「お教えください」、「お与えください」と神さまに願うのです。
わたしたち人間は、弱い者です。しかしその弱さを知りながら、自分の力で何とかしようともがいてしまいます。そんなときに、神さまに委ねることがとても大切なのです。なぜなら神さまはわたしたちに、良き道を必ず備えてくださるのですから。
8月 3詩編87
 「わたしはラハブとバビロンの名を わたしを知る者の名と共に挙げよう。見よ、ペリシテ、ティルス、クシュをも この都で生まれた、と書こう。
(詩編87編4節)
「万民の母シオン」、シオンの歌です。シオンとはエルサレム地方の歴史的地名です。神さまは世界を治めるときのためにシオンを選ばれ、そのシオンにご自分の都エルサレムを建てられたというのが旧約聖書の理解です。
イスラエルの民同様、シオンも神さまから一方的に選ばれました。しかし現在住んでいる人たちのことを思うと、そのことを単純に受け入れることは難しいです。そしてイエス様は、わたしたちは新しいエルサレムへと招かれます。
詩編にはラハブ(エジプトのこと)やバビロン、ペリシテやクシュ(エチオピアのこと)のようにイスラエルと敵対していた人たちも、選民に加えられたと書かれます。たとえどこに住んでいようとも、神さまから生まれたことには違いがない、そういうことです。
8月 4詩編88110
 あなたはわたしから 親しい者を遠ざけられました。彼らにとってわたしは忌むべき者となりました。わたしは閉じ込められて、出られません。
(詩編88編9節)
「暗闇からの祈り」:救いを求める祈りです。この詩編には誓いや神さまへの賛美、信仰告白が書かれていません。あるのは「願い」だけです。友人からも隣人からも見捨てられ、暗闇に落とされた中での願いです。
暗闇は怖いものです。作者は主の怒りによって、そのような状態になったのだと理解します。暗闇と聞くとわたしは、クリスマス物語の羊飼いを思い起こします。彼らは暗闇にいました。それは彼らが罪深いからだと、人々は思っていました。
しかしそこに、輝く光が与えられたのです。暗闇の中で祈るときに、自分の弱さや汚れを認めながら願い続けるときに、神さまは必ずそのみ手を差し伸べてくださいます。光を与えてくださるのです。
8月 5詩編881119
 愛する者も友も あなたはわたしから遠ざけてしまわれました。今、わたしに親しいのは暗闇だけです。
(詩編88編19節)
「沈黙」という遠藤周作の小説をご存じでしょうか。2016年には「沈黙‐サイレンス‐」という映画にもなりました。キリシタン禁令の時代、宣教師ロドリコやキチジローといった人物の信仰が問われる作品です。
小説の中で、イエス様が語りかける場面があります。「わたしは沈黙していたのではない。お前たちと共に苦しんでいたのだ」、「弱いものが強いものよりも苦しまなかったと、誰が言えるのか」。
苦しみの中にいるときに、わたしたちは周りが見えなくなります。でもそこには、必ずイエス様がいてくださると信じています。イエス様はわたしたちのそばにいて、一緒に苦しみ、涙を流しておられるのです。
8月 6詩編8915
 主の慈しみをとこしえにわたしは歌います。わたしの口は代々に あなたのまことを告げ知らせます。
(詩編89編2節)
「ダビデへの約束の実現を祈る」:イスラエルの民の祈りです。表題にあるエズラ人エタンとは、ソロモン宮殿の賢人だそうです。この詩の中では、ダビデとの間に結ばれた契約の誓いについて、語られていきます。
聖歌403番「いともかしこし イェスの恵み」が好きだという方は多いと思います。繰り返しの部分、「世にあるかぎりイェスの栄えと いつくしみとを語り伝えん」という言葉は、この詩編の2節を思い起こさせます。
この詩編が賛美しているのはイエス様ではなく主ですが、今日から始まる長い詩編の最初に神さまへの賛美をするのです。代々とこしえに、神さまを賛美していきながら、わたしたちもまた祈っていくのです。
8月 7詩編89613
 あなたはラハブを砕き、刺し殺し 御腕の力を振るって敵を散らされました。
(詩編89編11節)
6節から9節には、天上の会議の場面が書かれています。キリスト教は一神教だと言われますが、三位一体の神であったり、天使の存在であったり、聖なるものがいたりと、何だかよくわかりません。
そして10節以下には、驚くべき神のみ業が語られます。ラハブというのは、混沌を司る竜だそうです。神話上の海の怪物らしいのですが、そのような巨大なものでさえ、神さまは鎮められたというのです。
その故に、世界の基は据えられました。9節にある「あなたの真実」という言葉は、「主のまこと」とも訳せます。神さまのまことが立てられる世界、それが「神の国」と呼ばれるものなのでしょうか。
8月 8詩編891419
 正しい裁きは御座の基 慈しみとまことは御前に進みます。
(詩編89編15節)
この15節の言葉は、この詩編の中で一番重要な宣言だと言われます。まことの神さまがすべてのことを支配しておられる、そのことはわたしたちにとって、どのような意味を持つのでしょうか。
天上での会議の内容が地上へと降ろされ、神さまの王権が確立されていきます。そのときにイスラエルの人々は、喜びの声をあげるのです。そしてイスラエルにいよいよ、王が立てられることになります。
イスラエルの初代の王は、サウルでした。しかし彼は、イスラエルの人々を正しく導くことはできませんでした。そのため神さまは、新しい王を立てるのです。その王のことが、明日以降の箇所に書かれていきます。
8月 9詩編892026
 わたしはわたしの僕ダビデを見いだし 彼に聖なる油を注いだ。
(詩編89編21節)
ここから38節までには、預言的約束が書かれていきます。ダビデが王となったのは、神さまによる導き以外の何物でもありませんでした。サムエル記上16章1〜13節に、ダビデが選ばれる様子が書かれています。
エッサイの子ダビデには、兄が7人いました。彼は末の子で、羊飼いでした。サムエルがエッサイの元に来たときにも、ダビデはその場におらず羊の群れの番をしていました。しかし神さまはそんなダビデを選ばれたのです。
そして38節までには、ダビデが神さまから油注がれた王として、神さまが選ばれたことが書かれていきます。このことは、サムエル記下7章4〜17節の「ナタンの預言」と内容が似通っています。神さまの一方的な選びというのが、とても強調されています。
8月 10詩編892738
 彼はわたしに呼びかけるであろう あなたはわたしの父 わたしの神、救いの岩、と。
(詩編89編27節)
ダビデに対する神さまの選びの故に、ダビデは神さまに対して、「あなたはわたしの父 わたしの神、救いの岩」と呼ぶことができます。イエス様も神さまのことを、「父よ」と呼んでいました。そして主の祈りの中で、「あなたがたもこのように祈りなさい」と言われます。
ダビデの王権は、ダビデの子孫に引き継がれていきました。イエス様はダビデの子孫であるヨセフの息子として育てられました。そしてすべての人の王として、わたしたちにも関わってくださるのです。
31〜33節には、ダビデの子孫の過ちが書き記されます。しかし神さまは、自らがダビデを王として選び、救いを約束された契約を忘れてはいません。イエス様がわたしたちの間に遣わされたのは、この契約を成就するためなのです。

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